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シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレート」 D.944


ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団 1961年2月録音


この作品はある意味では「交響曲第1番」です。

天才というものは、普通の人々から抜きんでているから天才なのであって、それ故に「理解されない」という宿命がつきまといます。それがわずか30年足らずの人生しか許されなかったとなれば、時代がその天才に追いつく前に一生を終えてしまいます。

 シューベルトはわずか31年の人生にも関わらず多くの作品を残してくれましたが、それらの大部分は親しい友人達の間で演奏されるにとどまりました。彼の作品の主要な部分が声楽曲や室内楽曲で占められているのはそのためです。
 言ってみれば、プロの音楽家と言うよりはアマチュアのような存在で一生を終えた人です。もちろん彼はアマチュア的存在で良しとしていたわけではなく、常にプロの作曲家として自立することを目指していました。
 しかし世間に認められるには彼はあまりにも前を走りすぎていました。(もっとも同時代を生きたベートーベンは「シューベルトの裡には神聖な炎がある」と言ったそうですが、その認識が一般のものになるにはまだまだ時間が必要でした。)

 そんなシューベルトにウィーンの楽友協会が新作の演奏を行う用意があることをほのめかします。それは正式な依頼ではなかったようですが、シューベルトにとってはプロの音楽家としてのスタートをきる第1歩と感じたようです。彼は持てる力の全てをそそぎ込んで一曲のハ長調交響曲を楽友協会に提出しました。
 しかし、楽友協会はその規模の大きさに嫌気がさしたのか練習にかけることもなくこの作品を黙殺してしまいます。今のようにマーラーやブルックナーの交響曲が日常茶飯事のように演奏される時代から見れば、彼のハ長調交響曲はそんなに規模の大きな作品とは感じませんが、19世紀の初頭にあってはそれは標準サイズからはかなりはみ出た存在だったようです。
 やむなくシューベルトは16年前の作品でまだ一度も演奏されていないもう一つのハ長調交響曲(第6番)を提出します。こちらは当時のスタンダードな規模だったために楽友協会もこれを受け入れて演奏会で演奏されました。しかし、その時にはすでにシューベルがこの世を去ってからすでに一ヶ月の時がたってのことでした。

 この大ハ長調の交響曲はシューベルトにとっては輝かしいデビュー作品になるはずであり、その意味では彼にとっては第1番の交響曲になる予定でした。もちろんそれ以前にも多くの交響曲を作曲していますが、シューベルト自身はそれらを習作の域を出ないものと考えていたようです。
 その自信作が完全に黙殺されて幾ばくもなくこの世を去ったシューベルトこそは「理解されなかった天才の悲劇」の典型的存在だと言えます。しかし、天才と独りよがりの違いは、その様にしてこの世を去ったとしても必ず時間というフィルターが彼の作品をすくい取っていくところにあります。この交響曲もシューマンによって再発見され、メンデルスゾーンの手によって1839年3月21日に初演が行われ成功をおさめます。

 それにしても時代を先駆けた作品が一般の人々に受け入れられるためには、シューベルト?シューマン?メンデルスゾーンというリレーが必要だったわけです。これほど豪華なリレーでこの世に出た作品は他にはないでしょうから、それをもって不当な扱いへの報いとしたのかもしれません。

謙譲の人?


音楽をどのように形作っていくのかというテイストは前回に紹介したメンデルスゾーンの「イタリア」とほぼ同じです。そして、同じ時期に同じコンビで録音したワーグナーやハイドンなどもまたテイストはよく似ています。
しかし、不思議なのは、「イタリア」では、その演奏の立派さには感心しながらも、それを聞き終わった後に「何か一つ足りない」モノがあると感じてしまう不満が、この「未完成」ではそれほど感じないのです。

その違いは何処にあるかと思いをめぐらせていて気がついたのは、音楽そのものが持つ「テイスト」の違いではないかと言うことです。

確かに、シューベルトは「歌」の人であり、その底には次のロマン派に繋がっていく「テイスト」もあるのですが、やはり本質的には「古典派」というグループに属してると言うことです。そこでは、音楽の形を精緻に積み上げていけば、と言うよりは、精緻に積み上げていくことによってのみその姿が明らかになるという側面があるような気がします。

しかし、それに続くロマン派の音楽には、それに加えてどこかに、「俺が俺が」と前に出てくる強烈な自己主張が底に流れています。ですから、演奏という行為においても、その「俺が俺が」に呼応して、演奏する側も「自己意識」みたいなモノが前に出てこないと、それがどこかで「何か足りない」という思いにさせられるのかもしれません。

しかし、基本的にサヴァリッシュという人は、そういう「俺が俺が」みたいな主張が希薄な人だったように思います。
カラヤンやビングから歌劇場に招聘されたときも、「まだまだ私には役不足」みたいな言い方をして断ってしまったのは、今となってみれば何の衒いもない本音だったことでしょう。しかし、自己主張してなんぼの欧米系の世界で、それも生き馬の目を抜くような芸の世界でそんな事を本気で言う奴がいるなどとは信じてもらえなかったのでしょう。
結果として、カラヤンからもビングからも、つまらぬ小細工を労する奴とでも思われたのか、それ以後目の敵にされてしまいました。

そして、こういうサヴァリッシュの人となりを考えてみれば、彼が何故に日本を愛し、N響を愛したのかが何となく納得できるような気がします。
日本社会の底を流れる価値観は欧米とは真逆です。
そこでは「謙譲」こそが美徳であり、過度な自己主張は軽蔑される社会でした。それは、サヴァリッシュのような人にとっては、本当にホッと肩の力が抜ける世界だったのかもしれません。

もっとも、これは、あくまでも、彼の演奏を聞いて感じた私の妄想でしかないのですが、それほど的は外れていないような気はします。
それにしても、この精緻に組み立てられた音の綾から自ずとあふれ出すシューベルトの歌の何という素晴らしさ!!

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