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シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D485

スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ミネアポリス交響楽団 1962年4月21日録音


シューベルトの交響曲のナンバリングにつて。

シューベルトの交響曲には悩ましい問題がつきまといます。それは、彼が作曲した、もしくは作曲しようとした交響曲の総数がクリアに確定できないので、ナンバリングの仕方が複数存在しているという問題です。
シューベルトの作品と言えば、O.E.ドイチュによって敢行された年代順作品目録(1978年刊)が基本です。そこでは、シューベルトの交響曲は以下のように整理されています。


  1. D.2B→交響曲 ニ長調 1811年?

  2. D.82→ 交響曲第1番 ニ長調 1813年

  3. D.125→ 交響曲第2番 変ロ長調 1814年-15年

  4. D.200→ 交響曲第3番 ニ長調 1815年

  5. D.417→ 交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』 1816年

  6. D.485→ 交響曲第5番 変ロ長調 1816年

  7. D.589→ 交響曲第6番 ハ長調 817年-18年

  8. D.615→ 交響曲 ニ長調 1818年

  9. D.708A→交響曲 ニ長調 1820年以後

  10. D.729→交響曲 ホ長調 1821年

  11. D.759→ 交響曲第7(8)番 ロ短調『未完成』

  12. D.944→ 交響曲第8(9)番 ハ長調『ザ・グレート』1825年-26年

  13. D.936A→交響曲 ニ長調 1828年?



なんだか見慣れない「交響曲」もたくさん入っているのですが、紆余曲折の末に、現在ではこの13曲が確定されています。
それでは、いささか煩わしいのですが、その紆余曲折を簡単に紹介しておきます。

まず、「D.28」が与えられているニ長調の交響曲は断片しか残っていませんので、「作曲しよう」としたことは認定されているものの「番号」は与えられていません。ですから、栄えある「交響曲第1番」は「D.82」のニ長調交響曲の方に与えられています。
そして、ここから「D.589」までの交響曲についてはなんの問題もありません。作品は完成されていますし、作曲年代も確定されていますので、「第1番」から「第6番」までのナンバリングが揺らぐことはありませんでした。

問題はここからです。
まず、シューベルトの死後、1849年に「大ハ長調」交響曲が出版されます。いわゆる「ザ・グレート」です。この時に、出版社は6番に次ぐ交響曲と言うことで「7番」という番号を割り振りました。
そして、1865年には、「未完成」というタイトルで知られる事になる「ロ短調交響曲」が発見されたので、こちらの方には順番通り「第8番」が付与され、このナンバリングが1884年から1885年にかけて出版されたシューベルトの旧全集にも反映されました。

しかし、その後、第6番の交響曲を完成させた後に、シューベルトが多くのスケッチを残していることが音楽学の成果によって明らかになってきました。その中で、特に問題となったのが、現在では「D.729」が与えられているホ長調交響曲でした。この交響曲はピアノ譜は完成されているのでスケッチ以上の状態であることが判明しました。さらに、幾人かの手になる補筆譜も公にされるようになったので、それをきっかけに成立順にナンバリングの見直しが行われ、この「ホ長調交響曲」には「7番」、ロ短調の「未完成交響曲」は「8番」、そしてハ長調の「ザ・グレート」は「9番」ということになりました。
これが現在一般的に使用されているナンバリングです。

しかし、1978年に刊行されたドイチュの新作品目録では、演奏できる形で作品が残っていない「D.729」のホ長調交響曲に「7番」を与えることに疑義があるとして削除されてしまいました。そして、この時、ついでに「未完成」と「ザ・グレート」の番号も繰り上げてしまったので、それぞれ「第7番」、「第8番」となってしまって、これが混乱を招く要因となってしまいました。
つまり、ハ長調交響曲の「ザ・グレート」は時代によって「7番」「8番」「9番」という3つの番号、ロ短調の「未完成交響曲」も「8番」と「7番」という二つの番号を持つようになったのです。

さらに、この問題を複雑にしているのが、「D.789」が与えられている「ガスタイン交響曲」という謎の交響曲の存在です。これも、色々なすったもんだがあったのですが、結論から言えばこれは現在のハ長調交響曲「ザ・グレート」と同一の作品だということで、その存在は否定されています。しかし、この「定説」にも根強い反論もあり、この謎の交響曲のために「7番」を確保し、未完成には「8番」、「ザ・グレート」には「9番」という慣れ親しんだ番号を与えておこうという主張も根強く存在します。
ですから、今日ではその様な煩わしさから解放されるために「交響曲第7(8)番 ロ短調『未完成』」「交響曲第8(9)番 ハ長調『ザ・グレート』」と表記されることが多くなっているのです。

以上、どうでもいいような些末な話題におつきあいいただきありがとうございました。
ただ、どうしてこんな些末なことを話題にしたのかというと、某有名ヴァイオリニストが監修するクイズ番組で「9番の呪い」という話題が取り上げられ、その具体例として「シューベルトも9番の交響曲を書いた後に亡くなった」と述べていたからです。

今さら言うまでもないことですが、この「9番の呪い」を気にした作曲家はマーラーだけです。ですから、彼がベートーベンやブルックナーやドヴォルザークが9番目の交響曲を書いた後に亡くなったという事実に恐れをなしたと解説していればよかったのですが、そこにシューベルトを持ってくると、いささか困った話だなと思わざるを得ませんでした。
何故なら、マーラーが生きた時代は「旧全集」の時代ですから、シューベルトの交響曲は「第8番」までしかなかったからです。
ましてや、シューベルト自身が「自分がいったい何曲の交響曲を書いたのか」などということを問題にしていなかった・・・どころか、よく分かってもいなかったことが明らかなのですから。

不用意と言えば不用意なのでしょうが、それでも、シューベルの交響曲のナンバリングに関わる話はそれほどコアな話でもありません。しかし、そのヴァイオリニストの話しぶりから推測すると、彼はこの問題については何も理解していないこと明らかでした。
日本のクラシック音楽界というところは、演奏は指が回ればいいのであって、そういう周辺部の知識はそれほど必要ではないというスタンスです。それはアメリカなども同様のようです。
しかし、ヨーロッパでは指が回るだけでは不十分であり、それに加えて音楽が生み出されてきた背景についても十分に理解していなければいけないというスタンスを取ります。

何でもないようなことですが、今回の一寸した出来事から図らずも両者のスタンスが垣間見られたような気がしました。それから、そのヴァイオリニストはクイズの問題として時々演奏するのですが、その左手の雑さには驚かされました。プロなんだから、どんな場であってもまじめに演奏してほしいものです・・・と言ってから、真面目にやってあの雑さだったらどうしよう・・・と言う、怖い思いもしたりして・・・。

閑話休題。
最後に、簡単に作品の紹介もしておきます。

シューベルトの音楽家としての出発点はコンヴィクト(寄宿制神学校)の学生オーケストラでした。彼は、そのオーケストラで最初は雑用係として、次いで第2ヴァイオリン奏者として、最後は指揮者を兼ねるコンサートマスターとして活動しました。この中で最も重要だったのは「雑用係」とシェの仕事だったようで、彼は毎日のようにオーケストラで演奏するパート譜を筆写していたようです。
当時の多様な音楽家の作品を書き写すことは、この多感な少年に多くのものを与えたことは疑いがありません。

ですから、コンヴィクト(寄宿制神学校)を卒業した後に完成させた「D.82」のニ長調交響曲はハイドンやモーツァルト、ベートーベンから学んだものがつぎ込まれていて、十分に完成度の高い作品になっています。そして、その作品はコンヴィクト(寄宿制神学校)からの訣別として、そこのオーケストラで初演された可能性が示唆されていますが詳しいことは分かりません。

彼は、その後、兵役を逃れるために師範学校に進み、やがて自立の道を探るために補助教員として働きはじめます。しかし、この仕事は教えることが苦手なシューベルトにとっては負担が大きく、何よりも作曲に最も適した午前の時間を奪われることが彼に苦痛を与えました。
しかし、その様な中でも、「D.125」の「交響曲第2番 変ロ長調」と「D.200」の「交響曲第3番 ニ長調」が生み出されます。

ただし、これらの作品は、すでにコンヴィクト(寄宿制神学校)の学生オーケストラとの関係は途切れていたので、おそらくは、シューベルトの身近な演奏団体を前提として作曲された作品だと思われます。この身近な演奏団体というのは、シューベルト家の弦楽四重奏の練習から発展していった素人楽団だと考えられているのですが、果たしてこの二つの交響曲を演奏できるだけの規模があったのかは疑問視されています。
第2番の変ロ調交響曲についてはもしかしたらコンヴィクトの学生オーケストラで、第3番のニ長調交響曲はシューベルトと関係のあったウィーンのアマチュアオーケストラで演奏された可能性が指摘されているのですが、確たる事は分かっていません。

両方とも、公式に公開の場で初演されたのはシューベルトの死から半生ほどたった19世紀中葉です。
作品的には、モーツァルトやベートーベンを模倣しながらも、そこにシューベルトらしい独自性を盛り込もうと試行錯誤している様子がうかがえます。

そして、この二つの交響曲に続いて、その翌年(1816年)にも、対のように二つのシンフォニーが生み出されます。この対のように生み出された4番と5番の交響曲は、身内のための作品と言う点ではその前の二つの交響曲と同じなのですが、次第にプロの作曲家として自立していこうとするシューベルトの意気込みのようなものも感じ取れる作品になってきています。

第4番には「悲劇的」というタイトルが付けられているのですが、これはシューベルト自身が付けたものです。しかし、この作品を書いたとき、シューベルトはいまだ19歳の青年でしたから、それほど深く受け取る必要はないでしょう。
おそらく、シューベルト自身はベートーベンのような劇的な音楽を目指したものと思われ、実際、最終楽章では、彼の初期シンフォニーの中では飛び抜けたドラマ性が感じられます。しかし、作品全体としては、シューベルトらしいと言えば叱られるでしょうが、歌謡性が前面に出た音楽になっています。
また、第5番の交響曲では、以前のものと比べるとよりシンプルでまとまりのよい作品になっていることに気づかされます。もちろん、形式が交響曲であっても、それはベートーベンの業績を引き継ぐような作品でないことは明らかですが、それでも次第次第に作曲家としての腕を上げつつあることをはっきりと感じ取れる作品となっています。シューベルトの初期シンフォニーを続けて聞いていくというのはそれほど楽しい経験とはいえないのですが、それでもこうやって時系列にそって聞いていくと、少しずつステップアップしていく若者の気概がはっきりと感じとることが出来ます。

この二つの作品を完成させた頃に、シューベルトはイヤでイヤで仕方なかった教員生活に見切りをつけて、プロの作曲家を目指してのフリーター生活に(もう少しエレガントに表現すれば「ボヘミアン生活」に)突入していきます。

そして、これに続く第6番の交響曲は、シューベルト自身が「大交響曲ハ長調」のタイトルを付け、私的な素人楽団による演奏だけでなく公開の場での演奏も行われたと言うことから、プロの作曲家をめざすシューベルトの意気込みが伝わってくる作品となっています。
また、この交響曲は当時のウィーンを席巻したロッシーニの影響を自分なりに吸収して創作されたという意味でも、さらなる技量の高まりを感じさせる作品となっています。

その意味では、対のように作曲された二つのセット、2番と3番、4番と5番の交響曲、さらにはプー太郎になって夢を本格的に追いかけ始めた頃に作曲された第6番の交響曲には、夢を追い続けたシューベルトの青春の、色々な意味においてその苦闘が刻み込まれた作品だったといえます。


スコアに書かれた音は全て聞き手に伝えるべき

「Stanislaw Skrowaczewski」・・・日本では長く「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ」と表記されてきましたが、実際の発音に則せば「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」の方が正しいそうなので、最近は「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」と表記されることが多くなってきているようです。
ただし、何処の国であっても,
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ」であろうが、「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」であるが、あまりにも長すぎて発音しづらいので、とりわけ英語圏を中心として「Mr.S(ミスターS)」と呼ばれることが多い指揮者です。そして、最近は読売日本交響楽団との関係が深いので日本人にとっては非常に馴染みのある指揮者の一人ともなっています。

それにしても、芸歴の長い人です。
1923年生まれですから、今年で御年92歳です。大変な早熟の天才で、11歳でピアニストとしてリサイタルを開き、13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振りするなど、神童ぶりを発揮した話は結構有名です。しかし、彼の名が世界に知れ渡ったのはセルの目にとまってクリーブランド管の客演に招かれた事がきっかけでした。そして、その客演指揮の成功でドラティの跡を継いでミネアポリスのオケを率いる事になり、さらにそのコンビでマーキュリー・レーベルやVOXレーベルに多くの録音を行ったことにによって多くの人にその存在を知られるようになりました。

そして、20年に近くにわたったミネアポリスとの関係を終えて再びヨーロッパに戻り、とりわけ1990年代にザールブリュッケン放送交響楽団とブルックナーの交響曲全集を完成させたことで押しも押されもせぬビッグネームの一人となりました。

「Mr.S」は本業は指揮者なのでしょうが、作曲家としての活動も活発に行っているという点ではパレーなどと似通っています。その意味では、作曲家が指揮活動を行ったときの特徴がそっくりそのまま彼にもあてはまります。
作曲家としての立ち位置がパレーと「Mr.S」とでは随分と違うのですが、指揮活動と言うことになると似通ってくるのは面白い現象です。

パレーのところで次のように述べたことが、「Mr.S」にもほぼあてはまるのではないでしょうか。

プロの作曲家であれば、言いたいこと、表現したいことは全て楽譜に詰め込んだという思いがあるはずです。
ですから、かなり思い切った言い方をしてしまえば、作曲家が指揮者(演奏家)に求めるものは、その楽譜を大切にして、それを「いかに」表現するかに力を傾注してくれることです。
間違っても、その楽譜を深読みして、そこに「何が」表現されているかを詮索し、その詮索をもとにしてもう一度「今まさに作品が生まれたか」かのように演奏するなどというのはお節介以外の何ものでもないはずです。」

そして、この「表現したいことは全て楽譜に詰め込んだという思い」はより強く、そうであるならば、そのスコアに書かれた音は全て聞き手に伝えるべき努力をするのが指揮者の仕事だというスタンスを絶対に崩さないのが「Mr.S」なのです。そして、そう言う彼の信念は若い頃からすでに確立していたことがはっきりと分かるのが、この30代のシューベルトの録音です。

非常に全体のバランスが良くて、ともすればエキセントリックになりがちなパレーと較べれば非常に真っ当な演奏に聞こえます。しかし、その真っ当なように聞こえる背景にある「バランス」と「明晰さ」への執念は尋常でないことが、聞き進んでいくうちにじわじわと伝わってきます。そして、その明晰さへの執念がともすれば音楽的なスケールを小さくするという批判がよく浴びせられるのですが、これを聞くと、ではあなたの言う「音楽的スケールっていったい何なのよ?」と聞いてみたくなったりします。
それはもしかしたら、「「何が」表現されているかを詮索し、その詮索をもとにしてもう一度「今まさに作品が生まれたか」かのように」演奏することを求めているのだとしたら、それは求める方が間違っているのです。最初から求めもしなければ追求もしていないものがないからと言って文句を言うのは筋違いで、もしもそう言うものが欲しいのならば、そう言うものを「売っている」お店に行けばいいのです。

でも、八百屋に行って肉がないと喚いている人の何と多いことか!!

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