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BEETHOVEN

<ドイツ:1770年〜1827年>

経歴


1770年、ボンに生まれる。父親は選帝侯の宮廷歌手から楽長に就任した音楽家だったが、音楽的には凡庸な存在だったと言われている。幼くしてその父親から鍵盤楽器のレッスンを強要され、7歳にしてケルンでピアノの演奏会を開催する。
 しかし音楽的に開眼するのは宮廷オルガニストであったネーフェの指導を受けてからで、1782年、13歳にして変奏曲を初出版する。
 その後、ウィーンに旅をしてモーツァルトと出会ったり、ハイドンから励ましを受けながら音楽家としての才能を伸ばしていく。そして、1792年、選帝侯から学費を支給されて活躍の場をウィーンに移す。
 94年にはリヒノフスキー侯の廷内に一室を与えられ、翌95年3月29日にははじめての公開演奏会を成功させて音楽家としての地歩築く。
 1800年にはブルク劇場で第1交響曲などを公演して交響曲作家としても評価されるようになるが、このころから耳疾の徴候が明らかになってくる。旧知の医者であったヴェーゲラーに依頼して秘密裏に治療に励むも効果がなく、ついに1802年10月6日、ウィーン近郊のハイリゲンシュタットで遺書をしたためる。この遺書は二人の弟に宛てられたものだが、ついに出されることはなくベートーベンの死後まで秘められた。
 この不幸を乗り越えたベートーベンは、この後、目を見張るような創作の高揚期に突入していく。
 しかし私生活面では「不滅の恋人への手紙」に象徴されるような貴族の娘との恋愛と破局を繰り返し、孤独の色を深めていく。
 また耳疾はますます悪化し、ピアノの名手としての腕前も色あせて、1814年の大公トリオの演奏が室内楽でピアノを演奏する最後の機会となる。
 15年には補聴器も用をなさなくなり会話帳を常用するようになる。
 また16年からは甥のカールの後見問題をめぐって泥沼の争いに巻き込まれる。
 しかし創作面では第7交響曲以降の後期の高みへ上り詰める歩みが始まり、22年にはミサ・ソレムニス、24年にはロンドン・フィルハーモニー協会からの依頼で第9交響曲を完成させる。そして、最晩年は旧友のシュパンティヒが四重奏団を組織したため、弦楽四重奏曲をのみを連作するようになる。
 1827年弟ヨハンの家からウィーンに帰る途中発熱して倒れる。肝硬変が原因と見られる水腫で腹部からの排水手術を重ねるが、27年3月26日の夕刻、ウィーンにおいて56歳と3ヶ月あまりの生涯を閉じる。

ユング君の一言


ベートーベンの生涯を俯瞰すると、いつもモーツァルトが頭をよぎります。
 どちらも貴族に仕えるのを潔しとせず、フリーの音楽家として活動する道を選びました。
 その結果、ベートーベンは色々な曲折はあったとしても、基本的には偉大な芸術家としての尊敬を受けながら生涯を全うすることができましたが、モーツァルトは野良犬のようにウィーンの町で野垂れ死にをしてしまいました。
 もちろんこの差は二人の能力の差ではないことは明らかです。
 モーツァルトがザルツブルグの大司教と決裂してウィーンに出たのは1781年、ベートーベンが選帝侯から奨学金をもらってウィーンに旅立ったのは1792年です。
 このわずか10年あまりの時間差が二人の運命を決定づけました。
 時代は貴族の時代から市民階級の時代に大きく転換していきました。音楽家は貴族に仕えなくても、彼らの音楽を求める市民階級の力によって生計を立てることができるようになっていったのです。
 その意味では、ベートーベンは貴族の召使いではなく、一人の芸術家として貴族とも対等に渡り合った最初の音楽家だったと言えます。
 そして、そのようなベートーベンの姿こそは、モーツァルトが心の底から望みながら結局はかなえられなかった音楽家としての姿でした。
 このような環境の違いが二人の音楽の性質の違いとしてはっきりと刻印されていると思うのはユング君だけでしょうか。

【リスニングルームの更新履歴】

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スカルラッティ:20のソナタ集(2)(Scarlatti:20 Sonates Pour Clavecin)
(Cembalo)ワンダ・ランドフスカ:1940年3月8日~9日録音(Wanda Landowska:Recorded on March 8-9, 1940)

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スカルラッティ:20のソナタ集(1)(Scarlatti:20 Sonates Pour Clavecin)
(Cembalo)ワンダ・ランドフスカ:1940年3月8日~9日録音(Wanda Landowska:Recorded on March 8-9, 1940)

[2024-04-30]

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[2024-04-26]

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ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲, Op.120(Beethoven:Variations Diabelli in C major, Op.120)
(P)ジュリアス・カッチェン 1953年録音(Julius Katchen:Recorded on 1953)