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ベートーベン:ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1

(P)アラウ1964年4月録音

Beethoven:Piano Sonata No.1 in F minor Op.2 No.1 [1.Allegro]

Beethoven:Piano Sonata No.1 in F minor Op.2 No.1 [2.Adagio]

Beethoven:Piano Sonata No.1 in F minor Op.2 No.1 [3.Menuetto. Allegretto]

Beethoven:Piano Sonata No.1 in F minor Op.2 No.1 [4.Prestissimo]


ハイドンに献呈されたピアノソナタ

ボン時代にベートーベンはハイドンと知り合います。イギリスに招かれての行き帰りの時です。
若きベートーベンの才能を認めたハイドンはウィーンに出てきて自分のもとで学ぶようにすすめます。喜んだベートーベンは選定侯の支援もあって飛ぶようにウィーンに向かいます。
ハイドンがイギリスからの帰りにベートーベンと出会い、ウィーン行きをすすめたのが1792年の7月です。そのすすめに応じてベートーベンがウィーンに着いたのが同じ年の11月10日です。当時の社会状況や準備に要する時間を考えれば、ベートーベンがどれほどの期待と喜びをもってウィーンのハイドンのもとにおもむいたのかが分かります。

しかし、実際にウィーンについてハイドンのもとで学びはじめるとその期待は急速にしぼんでいきます。偉大な選手が必ずしも偉大なコーチになり得ないことはよくあることで、偉大な作曲家ハイドンもまた教師に向いた人ではなかったようです。
おまけにベートーベンの期待があまりにも大きく、そして、ベートーベン自身もすでに時代を越え始めていました。

ハイドンの偉大さは認めつつも、その存在と教えを無批判に受け入れるというのはベートーベンには不向きなことでした。それよりは、自分が必要と思うものだけを飽いてからクールに受け取れる存在の方がよかったようです。
そこで、ベートーベンはサリエリ(映画アマデウスのおかげで凡庸な作曲家というイメージが定着してしまいました)やアレブレヒツベルガーなどから作曲理論を学ぶようになり、結局は翌年の春にはハイドンのもとを去ることになります。

この作品番号2としてまとめられている3曲のピアノソナタは、そのような若き時代の意気軒昂たる姿がうかがえて興味深い作品です。
そして、世上噂されるハイドンとの不和も、これらの3曲がハイドンに献呈されていることを考えると、決定的なものではなかったようです。

ちなみに、この3曲が完成したのは1795年と言われているのですが、作品の着想そのものはボン時代にまでさかのぼるそうです。そして、イギリスでの大成功をおさめてウィーンに帰ってきたハイドンに謝意を示すために一気に完成されたと言われています。

ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1

第1楽章 アレグロ ヘ短調

冒頭の第1主題を聞いてどこかで聞いたことがあるような気がした人は鋭い!!
この出だしの部分はモーツァルトのト短調シンフォニーの終楽章との類似性がよく指摘されていました。おそらく、偶然ではなくてベートーベン自身も強く意識してのことだったと思われます。

ベートーベンという人は、同時代、もしくは先駆ける時代の作曲家と比べると短調の作品の割合が多いように思われます。この3つのソナタから作品2でも、冒頭の1番にイ短調のソナタを持ってきています。そう言う意味では、音楽に強い劇的な感情を持ち込んだベートーベンの萌芽がこういうところにも垣間見ることが出来そうです。
そして、これもよく指摘されることですが、この後音楽が長調に移っても臨時記号で一貫して短調の雰囲気が保持されています。そして、最後は相違色づけの中で明らかにヘ短調に舞い戻ってそのまま終結を迎えます。

第2楽章 アダージョ ヘ長調

この楽章は18世紀的なオペラ的なアリア様式の音楽になっています。形式としては、アリアの両端、つまりは提示部と再現部だけで真ん中の展開部が欠けたような構造になっています。いわゆる、カヴァティーナ形式と呼ばれるものです。
音楽の最後も主調のヘ長調で完全終始するので、非常に静かに幕を閉じるような印象が残ります。

第3楽章 メヌエットア レグレット ヘ短調

伝統的なABA形式で書かれていますが、トリオの部分には挿入句を入れて少し工夫が為されているようです。

第4楽章 プレスティッシモ ヘ短調

まさにベートーベンの若さが持っている激しさが爆発したような音楽になっています。作品2の3曲のソナタの中では最も独創的で大胆な音楽だという人もいます。(私ならば、第3番のアダージョ楽章を取りたい。)
至る所にフォルティッシモの指定があるのも、後のベートーベンを彷彿とさせる楽章です。


ドイツという国の「芸養子」

バックハウスのピアノの音が綺麗だと言うことは吉田秀和氏は事あるごとに強調していました。
私の再生ステムはどういう訳かピアノとは相性が悪くて、長らくその言葉の真意がよく理解できませんでした。ただし、その理解できないというのはバックハウスだけに限った話ではなくて、誰の録音を聞いても今ひとつパッとしないのです。唯一の例外はチェルカースキーの録音で、そのCDだけはなかなかにいい感じで再生されるので、ピアノと言えばそればかり聞いていた時期がありました。

それから時は流れて、PCオーディオに取り組むようになってから、俄然調子が良くなってきて吉田秀和氏が褒めていたバックハウスの音の綺麗さもよく分かるようになりました。特に、その音の綺麗さはステレオ録音だとよりいっそう明瞭に聞き取ることが出来て、その透明度の高いクリアな響きは、確かに他のピアニストの録音からはなかなか聞くことの出来ない性質の響きだと納得した次第です。

そして、同じように、このアラウもまた、非常に響きの綺麗なピアニストであることに気づかされました。
ただし、その綺麗さの方向性がバックハウスとは全く違います。
バックハウスの持ち味がクリアな透明感だとすれば、アラウのピアノは豊かで厚みのある響きが特徴です。おそらく、左手が非常に綺麗に鳴っていて、その豊かな低声部に支えられて全体的な響きがより豊かで魅力的なものになっているのです。実際のコンサートでこういう響きを聞かされれば、うっとりとするような時間が保障される事は間違いないでしょう。

日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。

アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。
まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。

彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。

言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。

しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づいたのです。

言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強で伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。

特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。

「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界です。「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。
しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。

この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。

例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。

そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。
逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。

そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。

そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。

もちろん、アラウに関するこういうとらえ方には異論もあるでしょうが、このサイトのポリシーは「井の中の蛙大海を知らず されど天の青さを知る」です。
出来ることは、私が見つめた空の青さを語るだけです。

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