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チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64


マゼール指揮 ウィーンフィル 1963年9月&1964年10月録音


何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・



チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。

 4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
 ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。

 さてユング君はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
 そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
 確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
 いかがなものでしょうか?

上りの美学、下りの美学


マゼールがこの時期に、ウィーンフィルとの間でシベリウスとチャイコフスキーの交響曲全集を完成させることができたのはマゼール自身にとっても、聞き手ある私たちにとってもとても幸運なことでした。
何故ならば、ここには頂点を目指して駆け上がっていく溢れる才能がほとばしっているからです。

この少し後になるとアバドやムーティ、そしてメータや小沢などと言う若手が同じような勢いに溢れる演奏を聴かせてくれるようになります。
確かに、若い頃の小沢は今からは想像もできないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれたものです。

ただし、彼らには残念な共通もがあります。
それぞれが世界的にトップクラスのオケのシェフと言う地位を手に入れて、そこで安定して音楽活動を始められるようになると、平均点はそこそこなのに、彼らが何をしたいのかが聞き手に伝わってこないような音楽ばかりを生み出すようになったことです。
いや、こんな言い方をすると反論もあるでしょう。しかし、私には、そう言う不満がいつもついて回り、結果として90年代以降になると彼らの新しい録音は殆ど聴かないようになってしまいました。
それはマゼールにおいても同様です。

当時は別に何故なんだろう?などとは考えませんでした。
私も若かったですから、ただ「面白くないものに金は使いたくはない」という一点だけでした。

しかし、年を重ねてきて、気がつくこともあります。

頂点目指して駆け上がっていくのは体力も必要ですし気力も求められますから、しんどいことはしんどいです。
しかし、目指すべき頂点ははっきり見えているわけですから、その見えている一点を目指して駆け上がっていくのはそれほど困難なことではありません。

問題は、頂点に近づいてきて、今度は何処を目指して進んでいくかを自分で見いださなければならなくなったときです。そして、彼らの多くはその頂上付近でぐるぐる回るばかりでした。
その違いは、たとえばテンシュテットやクライバーと比較してみれば明らかです。

しかし、山は登れば下りなければいけません。
やがて、彼らもまた下山の時を迎え、その衰えを自覚して下りの芸術に取り組むことを余儀なくされるときがきています。

しかし、どうしても下れない人もいます。
世間はそれを「老醜」と言います。

指揮者にはこの「老醜」をさらす人が多いのですが、稀に、見事に下って見せる人がいます。
そして、驚くべきは、同世代の指揮者の中では一番ギラギラしていると思われていたマゼールが見事に山を下ってみせたことです。結果として、大きな環を閉じることで、この若い時代の勢いに満ちた演奏にも大きな価値が生まれたのです。

指揮者にとって「若い頃は良かったのにね」と言われるのは屈辱以外の何ものでもないと思われます。この屈辱をはねのけるには、誰もが認める天辺まで駆け上がるか、見事に山を下ってみせるかの二つしかありません。

ネット上の評価を散見していると、マゼール&ウィーンフィルの演奏を取り上げて、後期の4番以降は深みが足りなくて物足りないが、初期シンフォニーではマゼールの手際の良さが馴染みのうすい作品を面白く聴かせてくれる、などと書いている人が少なくないようです。
あまり悪口は書きたくないのですが、何を聴いているんだ!と言いたくなります。

たとえば6番「悲愴」の、この割り切れた表現は希有のものです。本当に、あれよあれよという間に終わってしまうので、人によっては物足りなく思える人もいるかもしれません。
しかし、だからといって、これを「深み」が足りないなどと言うのは、クラシック音楽の聴き方としてはあまりにも一面的に過ぎます。
作品が持つ本来の姿を過不足なく描き出し、さらに勢いと情熱をも感じさせてくれる演奏というのは、それほど簡単なものではないのです。

それは、もったいぶった恣意的解釈を持ち込んで、さも深みがあるかのように偽る演奏と比べれば、遙かに困難な仕事なのです。
また、第5番のシンフォニーの方は、冒頭の部分は重々しい雰囲気で始まるのですが、アレグロの主部に入れば若いマゼールらしい勢いと明晰さがしっかりと前面に出てきます。

また、こういうアプローチだとオケの響きに物足りなさを感じたりするのですが、そこをウィーンフィルの本能が上手くカバーしてくれています。
シベリウスの時はその本能が必ずしもプラスにはたらかない場面もあったのですが、チャイコフスキーだとそんな心配は全くありません。

なお、1番から3番までの初期シンフォニーに関しては、あれこれ言えるほどの数を聴いていませんので何とも評しようがないのですが、ともすれば交響曲というよりは組曲のように聞こえてしまう作品の弱さを上手くカバーしていることは間違いありません。
そして、こういう演奏で聞かされると、これら初期シンフォニーも、少なくともシベリウスの1番や2番程度の頻度では演奏されてもいいのではないかと思われます。

ただし、凡人の手にかかると、こんなに面白く聴けないのかもしれません。

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