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クリップス(Josef Krips)|ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93
ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音
Beethoven:Symphony No.8 in F major Op.93 [1st movement]
Beethoven:Symphony No.8 in F major Op.93 [2nd movement]
Beethoven:Symphony No.8 in F major Op.93 [3rd movement]
Beethoven:Symphony No.8 in F major Op.93 [4th movement]
谷間に咲く花、なんて言わないでください。
初期の1番・2番をのぞけば、もっとも影が薄いのがこの8番の交響曲です。どうも大曲にはさまれると分が悪いようで、4番の交響曲にもにたようなことがいえます。
しかし、4番の方は、カルロス・クライバーによるすばらしい演奏によって、その真価が多くの人に知られるようになりました。それだけが原因とは思いませんが、最近ではけっこうな人気曲になっています。
たしかに、第一楽章の瞑想的な序奏部分から、第1主題が一気にはじけ出すところなど、もっと早くから人気が出ても不思議でない華やかな要素をもっています。
それに比べると、8番は地味なだけにますます影の薄さが目立ちます。
おまけに、交響曲の世界で8番という数字は、大曲、人気曲が多い数字です。
マーラーの8番は「千人の交響曲」というとんでもない大編成の曲です。
ブルックナーの8番についてはなんの説明もいりません。
シューベルトやドヴォルザークの8番は、ともに大変な人気曲です。
8番という数字は野球にたとえれば、3番、4番バッターに匹敵するようなスター選手が並んでいます。そんな中で、ベートーベンの8番はその番号通りの8番バッターです。これで守備位置がライトだったら最低です。
しかし、ユング君の見るところ、彼は「8番、ライト」ではなく、守備の要であるショートかセカンドを守っているようです。
確かに、野球チーム「ベートーベン」を代表するスター選手ではありませんが、玄人をうならせる渋いプレーを確実にこなす「いぶし銀」の選手であることは間違いありません。
急に話がシビアになりますが、この作品の真価は、リズム動機による交響曲の構築という命題に対する、もう一つの解答だと言う点にあります。
もちろん、第1の解答は7番の交響曲ですが、この8番もそれに劣らぬすばらしい解答となっています。ただし、7番がこの上もなく華やかな解答だったのに対して、8番は分かる人にしか分からないと言う玄人好みの作品になっているところに、両者の違いがあります。
そして、「スター指揮者」と呼ばれるような人よりは、いわゆる「玄人好みの指揮者」の方が、この曲ですばらしい演奏を聞かせてくれると言うのも興味深い事実です。
そして、そう言う人の演奏でこの8番を聞くと、決してこの曲が「小粋でしゃれた交響曲」などではなく、疑いもなく後期のベートーベンを代表する堂々たるシンフォニーであることに気づかせてくれます。
ウィーンへの意趣返し
クリップスのベートーベンはこの時代の巨匠たちのような強烈な個性は全くありません。始めから終わりまで、至って自然体で、楽譜をそのまま音にしただけのような演奏に聞こえます。しかし、何も考えずに楽譜を音にしただけではこのような自然体で音楽は実現できません。ここには、音楽をあるがままの自然体で構築しようという強い意志が貫徹しています。
クリップスはウィーン生まれの指揮者であり、ワインガルトナーの弟子と言うことになれば、これはもうドイツ・オーストリア系の正当派指揮者というイメージが浮かび上がります。
しかし、ヨーロッパでの評価はあまり高くありません。
特に、ルーペルト・シェトレの「舞台裏の神々 指揮者と楽員の楽屋話」に紹介されているエピソードなどを見る限りでは、随分とオケ(ウィーンフィル)のメンバーからいじめられたようです。特に、絶対音感がないというコンプレックスを標的にした嫌がらせは、読んでいてあまり気持ちの良いものではありません。
考えてみれば、これは不思議なことです。
何故ならば、ナチスによって迫害された経歴を持ちながら、そのナチスとの関係で苦境に立たされたウィーンの歌劇場に救いの手をさしのべたのがクリップスだったからです。
ところが、困った時に差し伸べてくれた手は有り難く握りしめても、一息つければそんな手にすがった己の過去を「恥」と考えて、今度はそう言う「恥」を覆い隠すために悪し様に扱って追い出してしまったのです。
もちろん、考えようによってはそれが「都市」というものの本性であり、まさにそのような振る舞いこそがウィーンという街なのでしょう。
しかし、最近のネット事情を見てみると、日本の、それもどちらかといえば専門家筋のあたりからクリップス再評価の動きがあるようです。特に、61年の1月に集中的にスタジオ録音されたベートーベンの交響曲全集の評価が意外なほど高いのです。
なおこの録音はデッカやEMIのような老舗レーベルではなくEVERESTという新興レーベルによって企画されました。
EVERESTは1950年代後半に35ミリ磁気テープを用いた録音で驚異的な音の良さを実現したことで知られているのですが、こういう手堅い指揮者を登用することで、演奏の方にも十分な気配りをしていたあたりは偉いものです。
クリップスのベートーベンはこの時代の巨匠たちのような、聞けばすぐに誰の演奏かが分かるような強烈な個性は全くありません。
始めから終わりまで、至って自然体で、楽譜をそのまま音にしただけのような演奏に聞こえます。しかし、これは注意が必要なことなのですが、何も考えずに楽譜を音にしただけの演奏だと、このような自然体で音楽が気持ちよく流れていくことはありません。
音楽をあるがままの自然体で流そうと思えば、そうなるような意志が貫徹していなければいけませんし、そのような意志が希薄になるととたんに音楽は不自然なものになってしまうのです。
そう言う意味では、この演奏をウィーン風の典雅で滋味あふれるベートーベンだと書いている人もいるのですが、私にはどちらかというアメリカ的な、それもセルのような方向性が感じ取れるのです。
ただし、ここにはセル&クリーブランド管のような「凄み」はありませんから、聞く方にしてみればもう少し気楽構えて聞いていられます。
深読みかもしれませんが、なんだかこの録音は、クリップスなりのウィーンへの意趣返しのような気がします。
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