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R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

ベーム指揮 シュターツカペレ・ドレスデン 1957年2月7日~9日録音

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [The Hero]

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [The Hero's Enemies]

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [he Hero's Companion]

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [The Hero's Field of Battle]

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [The Hero's Works of Peace]

R_Strauss:Ein Heldenleben - Symphonic for Orchestra Op.40 [The Hero's Withdrawal from the World]


オーケストラによるオペラ

シュトラウスの交響詩創作の営みは「ドン・ファン」にはじまり(創作そのものは「マクベス」の方が早かったそうだが)、この「英雄の生涯」で一応の幕を閉じます。その意味では、この作品はシュトラウスの交響詩の総決算とも言うべきものとなっています。

「大オーケストラのための交響詩」と書き込まれたこの作品は大きく分けて6つの部分に分かれると言われています。
これはシュトラウスの交響詩の特徴をなす「標題の設定」と「主題の一致」という手法が、ギリギリのところまで来ていることを示しています。つまり、取り扱うべき標題が複雑化することによって、スッキリとした単一楽章の構成ではおさまりきれなくなっていることを表しているのです。

当初、シュトラウスがあつかった標題は「マクベス」や「ドン・ファン」や「ティル」のような、作曲家の体験や生活からははなれた相対的なものでした。その様なときは、それぞれの標題に見合った単一の主題で「つくりもの」のように一つの世界を構築していってもそれほど嘘っぽくは聞こえませんでした。そして、そこにおける主題処理の見事さとオーケストラ楽器の扱いの見事さで、リストが提唱したこのジャンルの音楽的価値を飛躍的に高めました。

しかし、シュトラウスの興味はその様な「つくりもの」から、次第に「具体的な人間のありよう」に向かっていきます。そして、そこに自分自身の生活や体験が反映するようになっていきます。
そうなると、ドン・ファンやティルが一人で活躍するだけの世界では不十分であり、取り扱うべき標題は複雑化して行かざるをえません。そのために、例えば、ドン・キホーテでは登場人物は二人に増え、結果としてはいくつかの交響詩の集合体を変奏曲形式という器の中にパッキングして単一楽章の作品として仕上げるという離れ業をやってのけています。
そして、その事情は英雄の生涯においても同様で、単一楽章と言いながらもここではハッキリと6つの部分に分かれるような構成になっているわけです。
それぞれの部分が個別の標題の設定を持っており、その標題がそれぞれの「主題設定」と結びついているのですから、これもまた交響詩の集合体と見てもそれほどの不都合はありません。

つまり、シュトラウスの興味がより「具体的な人間のありよう」に向かえば向かうほど、もはや「交響詩」というグラウンドはシュトラウスにとっては手狭なものになっていくわけです。
シュトラウスはこの後、「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」という二つの管弦楽作品を生み出しますが、それらはハッキリとしたいくつかのパートに分かれており、リストが提唱した交響詩とは似ても似つかないものになっています。そして、その思いはシュトラウス自身にもあったようで、これら二つの作品においては交響詩というネーミングを捨てています。

このように、交響詩というジャンルにおいて行き着くところまで行き着いたシュトラウスが、自らの興味のおもむくままにより多くの人間が複雑に絡み合ったドラマを展開させていくこうとすれば、進むべき道はオペラしかないことは明らかでした。
彼が満を持して次に発表した作品が「サロメ」であったことは、このような流れを見るならば必然といえます。
そして、1幕からなる「サロメ」を聞いた人たちが「舞台上の交響詩」と呼んだのは実に正しい評価だったのです。

そして、この「舞台上の交響詩」という言葉をひっくり返せば、「英雄の生涯」は「オーケストラによるオペラ」と呼ぶべるのではないでしょうか。
シュトラウスはこの交響詩を構成する6つの部分に次のような標題をつけています。

第1部「英雄」
第2部「英雄の敵」
第3部「英雄の妻」
第4部「英雄の戦場」
第5部「英雄の業績」
第6部「英雄の引退と完成」

こう並べてみれば、これを「オーケストラによるオペラ」と呼んでも、それほど見当違いでもないでしょう


優れた職人の技が遺憾なく発揮された録音

ベームの壮年期とも言うべき50年代にリヒャルト・シュトラウスの交響詩がまとめて録音されています。

録音順に並べると以下のようになります。


  1. 「死と変容」:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1955年9月27日録音

  2. 「英雄の生涯」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年2月7日~9日録音

  3. 「アルプス交響曲」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月14日~18日録音

  4. 「ドン・ファン」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月18日~25日録音

  5. 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月26日~27日録音

  6. 「ツァラトゥストラはこう語った」:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年4月15日?7日録音



こうして並べてみると、聞くべきは1957年に、リヒャルト・シュトラウスゆかりのシュターツカペレ・ドレスデンとのコンビで集中的に録音された演奏であることは一目瞭然です。ただし、57年の録音であるにもかかわらずモノラルであるというのが残念です。想像の域を出ませんが、一連の録音がドレスデンの聖十字架教会で行われたので、ステレオ録音用の機材を持ち込むことを躊躇したのではないかと思われます。ステレオ録音はまだまだ実験段階だったので、経験の少ない教会でのステレオ録音には二の足を踏んだのではないかと勝手に想像しています。

しかしながら、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲のような音楽では、オケの響きが真ん中に固まっているというのは違和感があります。
解像度は非常に高くて細部の見通しも良くて、おそらくはモノラル録音としては最優秀の部類には入るとは思うのですが、やはり残念なことではあります。これが、ピアノ曲やヴァイオリンソナタのような室内楽曲だとほとんど気にはならないのですが、こういう規模の大きなオーケストラ曲だとやはりしょぼさ否めません。

なお、55年のコンセルトヘボウとの録音は言うまでもなくモノラル録音ですし、58年のベルリンフィルとの録音はさすがにステレオ録音です。
特に、ベルリンフィルとの録音は細密画を見るような精緻な録音であり、かなりの優れものです。

こうしてベームの録音をまとめて聞いてみると、一つの特徴が浮かび上がってきます。
それは、どの録音を聞いても、オケの響きが透明で、なおかつしなやかな剄さを持っていることです。「つよさ」というのは「強さ」ではなくて「剄さ」という漢字を当てたくなるような「つよさ」です。

何が違うのかと言えば、「強さ」というのは単純な物理量の大きさとしてとらえられます。それに対して、「剄さ」とは体の奥底から大きなエネルギーとしてあふれ出していくようなイメージです。
ですから、一部でベームの代名詞のように使われる「剛直」という言葉は、彼の音楽を表現する上ではふさわしくないのです。ついでながらもう一つ、彼の晩年によく使われた「木訥」という言葉などはここでは全く当てはまりません。

ベームの音楽はそう言う「剛直」という音楽からイメージされるような「直線性」とは「似て非なる」音楽です。たとえ音楽は直線性を保持して突き進んでいるように見えても、その音楽はどこまで行ってもしなやかなのです。しなやかである故に、その音楽はどんな場面にあってもぽきりと折れてしまうような「脆さ」とは無縁です。

ですから、その反面として、ベームの演奏するリヒャルト・シュトラウスからは、シュトラウスらしい官能性や艶のようなものは希薄です。いや、もっと正確に言えば、そう言うものは求めていけません。
ベームにとっては、相手がリヒャルト・シュトラウスであっても、その音楽は常に「男気」があふれているのです。

おそらく、オケからこのような響きを出すためにネチネチとした細かい指示を与え続け、その要求が満足できるまでしつこく粘り続けた事は間違いありません。
クナのように音楽を大きくうねらせ、そう言う大きな構えの中で音楽を聴かせるような行き方ならばならば、そこで一番必要なのはカリスマ的な啓示なのかもしれません。

しかし、オケの精緻な響きで聞かせるベームのような指揮者にとって必要なのは細部の丹念な積み上げです。そういう指揮者にとって必要なのはネチネチとした細かい指示を与え続け、その要求が満足できるまでしつこく粘り続ける体力と精神的スタミナこそが重要です。この粘着質を失ったときに、ベームはあっという間に二流・三流の指揮者に転落してしまうのです。

ベームという人は基本的には腕利きの職人だったんだと思います。そんな優れた職人の技が遺憾なく発揮されているのが、この一連の録音であることは間違いありません。
壮年期の覇気に満ちたこれらの録音では、オケの隅々にまで己の意志を貫徹させているベームの姿が浮かび上がってきます。

55年のコンセルトヘボウとの録音では、このオケ特有の暖かくてふくよかな響きが前面に出て、いささか内部の見通しが悪いようにも感じますが、時代を考えれば立派なものです。
57年のドレスデンでの録音は、驚くほど威勢の良い響きに驚かされます。「シュターツカペレ・ドレスデン=いぶし銀」みたいなステレオタイプの決めつけはここでは全く通用しません。もちろん、いぶし銀と称されることの多い弦楽器群の響きは十分に魅力的なのですが、金管群の気迫あふれる突撃には驚かされます。
そして、58年のベルリンでの録音は、こけおどしで終わりがちなこの作品の内部構造を克明に描き出したという意味で出色の録音です。あの冒頭の有名なテーマだけは見事で、後は退屈なだけと酷評される作品がいかに緻密に構成されているかを教えられます。

ただ、気になるのは、こういう録音は再生するシステムをかなり選ぶだろうなと言うことです。
特に、モノラル録音に関してはチープシステムで再生されると真ん中でなんだかモゴモゴやっているだけにしか聞こえない恐れがあります。
さらに、58年のステレオ録音でも、システムの解像度が悪いと、ベームのやりたいことがはっきりと伝わってこない懸念があります。

こういう事を書くと、また「お前は金をかけないと音楽は聴けないというのか!!」というお叱りを受けるのですが・・・。

この演奏を評価してください。

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