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ベーム(Karl Bohm) |モーツァルト:交響曲第26番 変ホ長調 K.184 (161a)
モーツァルト:交響曲第26番 変ホ長調 K.184 (161a)
ベーム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1955年9月19日~22日録音 Mozart:Symphony No.26 in E-flat major K.184 [1st movement]
Mozart:Symphony No.26 in E-flat major K.184 [2nd movement]
Mozart:Symphony No.26 in E-flat major K.184 [3rd movement]
ザルツブルグにおける宮仕え時代の作品・・・ザルツブルグ交響曲
ミラノでのオペラの大成功を受けて意気揚々と引き上げてきたモーツァルトに思いもよらぬ事態が起こります。それは、宮廷の仕事をほったらかしにしてヨーロッパ中を演奏旅行するモーツァルト父子に好意的だった大司教のシュラッテンバッハが亡くなったのです。そして、それに変わってこの地の領主におさまったのがコロレードでした。コロレードは音楽には全く関心のない男であり、この変化は後のモーツァルトの人生を大きな影響を与えることになることは誰もがご存知のことでしょう。
それでも、コロレードは最初の頃はモーツァルト一家のその様な派手な振る舞いには露骨な干渉を加えなかったようで、72年10月には3回目のイタリア旅行、さらには翌年の7月から9月にはウィーン旅行に旅立っています。そして、この第2回と第3回のイタリア旅行のはざまで現在知られている範囲では8曲に上る交響曲を書き、さらに、イタリア旅行とウィーン旅行の間に4曲、さらにはウィーンから帰って5曲が書かれています。これら計17曲をザルツブルグ交響曲という呼び方でひとまとめにすることにそれほどの異論はないと思われます。
<ザルツブルク(1772年)>
交響曲第14番 イ長調 K.114
交響曲第15番 ト長調 K.124
交響曲第16番 ハ長調 K.128
交響曲第18番 ヘ長調 K.130
交響曲第17番 ト長調 K.129
交響曲第19番 変ホ長調 K.132
交響曲第20番 ニ長調 K.133
交響曲第21番 イ長調 K.134
K128?K130は5月にまとめて書かれ、さらにはKK132とK133Kは7月に書かれ、その翌月には134が書かれています。これらの6曲が短期間に集中して書かれたのは、新しい領主となったコロレードへのアピールであったとか、セット物として出版することを目的としたのではないかなど、様々な説が出されています。他にも、すでに予定済みであった3期目のイタリア旅行にそなえて、新しい交響曲を求められたときにすぐに提出できるようにとの準備のためだったという説も有力です。ただし、本当のところは誰も分かりません。
この一連の交響曲は基本的にはハイドンスタイルなのですが、所々に先祖返りのような保守的な作風が顔を出したと思えば(K129の第1楽章が典型)、時には「first great symphony」と呼ばれるK130の交響曲のようにフルート2本とホルン4本を用いて、今までにないような規模の大きな作品を仕上げるというような飛躍が見られたりしています。
アインシュタインはこの時期のモーツァルトを「年とともに増大するのは深化の徴候、楽器の役割がより大きな自由と個性に向かって変化していくという徴候、装飾的なものからカンタービレなものへの変化の徴候、いっそう洗練された模倣技術の徴候である」と述べています。
<ザルツブルク(1773?1774年)>
交響曲第22番 ハ長調 K.162
交響曲第23番 ニ長調 K.181
交響曲第24番 変ロ長調 K.182
交響曲第25番 ト短調 K.183
交響曲第27番 ト長調 K.199
交響曲第26番 変ホ長調 K.184
交響曲第28番 ハ長調 K.200
交響曲第29番 イ長調 K.201
交響曲第30番 ニ長調 K.202
アインシュタインは「1773年に大転回がおこる」と述べています。
1773年に書かれた交響曲はナンバーで言えば23番から29番にいたる7曲です。このうち、23・24・27番、さらには26番は明らかにオペラを意識した「序曲」であり、以前のイタリア風の雰囲気を色濃く残したものとなっています。しかし、残りの3曲は、「それらは、---初期の段階において、狭い枠の中のものであるが---、1788年の最後の三大シンフォニーと同等の完成度を示す」とアインシュタインは言い切っています。
K200のハ長調シンフォニーに関しては「緩徐楽章は持続的であってすでにアダージョへの途上にあり、・・・メヌエットはもはや間奏曲や挿入物ではない」と評しています。そして、K183とK201の2つの交響曲については「両シンフォニーの大小の奇跡は、近代になってやっと正しく評価されるようになった。」と述べています。そして、「イタリア風シンフォニーから、なんと無限に遠く隔たってしまったことか!」と絶賛しています。そして、この絶賛に異議を唱える人は誰もいないでしょう。
時におこるモーツァルトの「飛躍」がシンフォニーの領域でもおこったのです。そして、モーツァルトの「天才」とは、9才で交響曲を書いたという「早熟」の中ではなく、この「飛躍」の中にこそ存在するのです。
全盛期のベームは素晴らしい
ベームという人は存命中はオーストリアの音楽監督と称されるほどの絶大な権威をもった存在でした。しかし、1956年にウィーン国立歌劇場の音楽監督の地位を退いてからは特定のオケや歌劇場のポストに就任すると言うことは一度もありませんでした。
ウィーンの国立歌劇場は戦争中の爆撃によって瓦礫の山となってしまいます。その歌劇場が昔の姿でよみがえったのは1955年のことでした。
そのこけら落としではベートーベンのフィデリオが上演され、その指揮をしたのがベームでした。
戦争中のナチスへの協力疑惑でひっそりと活動を再開せざるを得なかったベームにとっては、まさにその様な過去の負の遺産を精算して、新しい時代に向けての華々しいスタートの第一歩となる晴れ舞台でした。さらに、ベームは活動の範囲を広げて翌年にはアメリカ各地を客演して回り、そして、再びウィーンに帰ってきてフィデリオの舞台に立ちます。
ところがその時思いもよらないような事態が起こります。ベームにとっては世界各地に活躍の場を広げまさに凱旋の思いでかえってきたはずなのに、観客席からは一斉に批難の口笛が巻き起こったのです。それは、行儀が良くておとなしいことで有名なシュタッツオパーでの出来事ですから、まさに前代未聞のスキャンダルでした。
その批難は、ウィーンを留守にしてアメリカやヨーロッパ各地を飛び回るベームに対する批難の表明だったと言われていますが、今では、この伏魔殿とも言うべきシュタッツオパーで常に繰り返されてきた権力闘争に巻き込まれた結果だと誰もが信じています。
ベームはこのスキャンダルに心を痛めて4年もの契約を残して辞任することを表明します。驚いたウィーンの聴衆は彼の翻意を期待し、マスコミもその事をかきたてたのですが、歌劇場当局はすでにカラヤンと契約した事を発表します。そのあまりの手際の良さに、一部ではこのスキャンダルをカラヤン派の陰謀という人もいるようですが今となっては真相は藪の中です。しかし、この出来事がベームを深く傷つけたことは確かで、彼自身もこの出来事を生涯克服できなかったと述べています。つまり、何らかのポストに就くことを自ら拒否してしまったのです。
ベームの業績を振り返ってみると、この50年代の録音が最も優れているように思います。確かに、ウィーンフィルと何回か来日し、そのうちの何度かは信じがたいほどの名演を聞かせてくれたベームですが、自分の手兵とも言うべきオケをもたない彼にとって、本当に己の理想とするような演奏が出来たのかは疑問です。
それは、カラヤンとベルリンフィル、ムラヴィンスキーとレニングラードフィル、セルとクリーブランド、さらに言えばオーマンディとフィラデルフィアであっても(オーマンディファンの人、ごめんなさい^^;)そこには彼らの信ずるものがしっかりと刻印された業績が残されています。その事を思えば、ウィーンでは日常茶飯事のように繰り返される愚かな権力闘争は、もしかしたら私たちからかけがえのないものを奪ったかもしれないのです。
そんな愚にもつかないことが頭をよぎるほどに、この50年代の全盛期のベームは素晴らしいです。
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