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マウツジンスキ(Witold Malcuzynski) |ショパン:バラード集(全4曲)
ショパン:バラード集(全4曲)
P:マウツジンスキ 1962年12月10,12&14日録音 Chopin:Ballades No.1 in G minor Op.23
Chopin:Ballades No.2 in F Op.38
Chopin:Ballades No.3 in A flat Op.47
Chopin:Ballades No.4 in F minor Op.52
ピアノによる物語
バラードというのは物語のことですから、これは基本的にピアノという「言語」を使った物語だと思います。
しかし、どういうわけか、音楽に物語性を持ち込むことは一段レベルが低くなると思う風潮がこの国にはあるようで、どの解説書を読んでも創作の動機となった物語の内容とこの作品の結びつきをできる限り過小に評価しようという記述が目立ちます。
とは言え、ショパンの研究家の間ではポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチのどの作品と結びつきがあるのかという研究は熱心されてきましたので、今日ではおおよそ以下のような対応関係が確定されているようです。
バラード第1番ト短調 作品23→→→「コンラード・ヴァーレンロッド」
バラード第2番ヘ長調 作品38→→→「魔の湖」
バラード第3番変イ長調 作品47→→→「水の精」
バラード第4番ヘ短調 作品42→→→どうもこれだけがミツキェヴィッチの詩とは関係ないらしい
もちろん、それぞれの作品がそっくりそのままミツキェヴィッチの詩と対応しているという事はありません。そういう意味では、R.シュトラウスの交響詩などのような「標題音楽」とは異なります。
しかし、優れたピアニストによる演奏でこの作品を聞くと、明らかに一つの物語を聞かされたような「納得感」みたいなものを感じ取ることができます。昨今の、指だけがよく回る若手ピアニストによる演奏を聴かされて何がつまらないからと言うと、この「納得感」みたいなものが希薄なことです。ピアノだけは派手に鳴り響くのですが、聞き終わった後に何とも言えない取り留めの無さしか残らないのは実に虚しいのです。
あまり専門的なことは分からないのですが、「スケルツォ」や「バラード」のような作品は、明らかに始まりの時点から終わりが意識されています。それは、「ノクターン」などにおいて、いろいろなフレーズが取り留めもなく流れくるような雰囲気とは大きく異なります。
たとえば、バラードの1番で冒頭のユニゾンを鳴り響かせたときに、それはコーダの「Presto con fuoco」に向けた明確な一本の線で結びついていなければいけません。
ある方は、こんな風に書かれていました。
「各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。」
なんと上手いこと表現するのでしょう。
明らかに、この作品を生み出す原動力となったのはミツキェヴィッチの詩によって喚起されたショパンの内なるイメージです。しかし、作品というものはそれが生み出され発表されてしまえば、それは作曲家の手を離れて一人歩きします。
即物主義は、一人歩きを始めた作品の恣意的解釈を戒めて、作曲家の内なるイメージに迫ることを要求しました。しかし、このような作品ならば、演奏家はスコアから喚起された己のイメージに忠実に演奏することも許されるでしょう。少なくとも、お約束ごとの上に胡座をかいて、ひたすらスコアを正確に音に変換する作業を聞かされるよりは百倍は幸福なはずです。
バラード第1番ト短調 作品23
自分でピアノを演奏する人のなかでは非常に人気のある作品です。
そこそこ難しくて、そしてその苦労に見合うだけの華やかな演奏効果が期待できます。
シューマンはこの作品に対して「彼の作品のなかでは最も優れた作品とは言えないが、そこには彼の天才性が現れているように思われます。」などと、ほめているのか貶しているのか分からないような言葉を残しています。
バラード第2番ヘ長調 作品38
最初は牧歌的で伸びやかな音楽が奏され、それがやがて静かに幕が閉じられます。なんだこれは?とてもショパンの作品とは思えないような退屈で陳腐な作品じゃないか!!と思ったとたんに「Presto con fuoco」でピアノが爆発します。後は聞いてのお楽しみ・・・です。
シューマンは手紙の中で「その熱狂的なエピソードはあとから挿入されたものらしい。ショパンがこのバラードをここで演奏してくれたとき、曲がヘ長調で終わっていたのを思い出す。ところが今度はイ短調に変わっている。彼はそのとき、このバラードを書くためにミツキェヴィチのある詩(=「魔の湖」)から感銘を受けたと言っていた。しかし他面彼の音楽は詩人をしてそれに歌詞をつけさすような感銘を与えるだろう。」と書いています。
バラード第3番変イ長調 作品47
最も優雅な情緒に満ちていて、まさにパリの社交界の雰囲気を彷彿とさせる作品です。
シューマン曰く「フランスの首都の貴族的環境に順応した、洗練された知的なポーランド人が、そのなかに明らかに発見されるであろう。」
まさにおっしゃるとおりです。
バラード第4番ヘ短調 作品52
おそらく、ショパンの最高傑作の一つと言い切っていいでしょう。演奏する人にとってはさりげなく難しい箇所が多く、かといって華やかな演奏効果にも縁遠い作品なので、実に怖い作品でもあるようです。
ただし、気楽に聞くだけの人にとっては、これ一曲でその人が持っている表現力が分かってしまうので、実に面白い作品です。
ショパンてぇのは、こんな風に弾くモンだよ
「Malcuzynski」は「マウツジンスキ」と読むそうです。読み方さえ曖昧になるほどに、今ではほとんど忘れ去られた存在のピアニストですが、50年代から60年代にかけてはショパン弾きとしてそれなりのポジションを占めていたようです。それがどうして忘れ去られてしまったのかという興味もあって彼の一連の録音を聞いてみたのですが、正直なところ、その理由が全くもって分からないのです。
彼の録音を聞く前に、カペルの録音をまとめて聞いていました。カペルは若くして亡くなったこともあって、かなり忘却の淵に足を踏み込んではいるものの、知っている人は知ってるという存在で踏みとどまっています。それと比べれば、マウツジンスキの凋落ぶりは著しいものがあります。
ところが、この二人の録音を聞いてみれば、私の好みは明らかに「マウツジンスキ」です。
まず、彼の録音を聞いて真っ先に気に入ったのは、その響きの軽さです。
実に飄々と何の気負いもなくショパンのロマンを描き出していくピアノは実に魅力的です。それは、ともすれば鍵盤をぶっ叩くことに力を注ぎすぎているカペルやホロヴィッツのピアノとは対極に位置する世界です。そして、そう言う軽やかなショパンを聴いていると、カペルみたいな若手連中に対して「何もそんな青筋たててピアノを叩くモンじゃないよ。ショパンてぇのは、こんな風に弾くモンだよ」というマウツジンスキの呟きが聞こえてきそうな気になりました。
そして、彼のピアノでショパンを聴いていると、改めてショパンの音楽というのは基本的に「サロンの音楽」だったことに気づかされます。そう言う意味では、ソナタなんかよりはマズルカやワルツみたいな音楽の方がマウツジンスキにはあっているように思います。そして、もしも彼が終生このようなショパンを演奏していればもう少し彼の名前を多くの人の記憶にとどまったことでしょう。
これはあくまでも他人からの受け売りなので、自分の耳で確かめたことはにのですが、聞くところによれば60年代以降のマウツジンスキはさらに軽く淡泊なショパンになっていったそうです。50年代から60年代初めの頃のショパンが端麗な味わいだとすれば、その後は端麗が行き過ぎて「水くさく」なってしまったようなのです。そう言う意味では、60年前後に英EMIで録音された一連のショパン録音は彼の絶頂期を記録したものかもしれません。
埋もれさせるに惜しい録音をうまく拾いあげることができました。
この演奏を評価してください。
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いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
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最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
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よせられたコメント 2014-05-03:カンソウ人 ユング様の感覚とカンソウ人は異なるのですが…
マウツジンスキ(マルクジンスキーと呼ばれていた頃もあったけれど)さんは、ショパンコンクールのかなりの上位入賞者だったのでは。
アカデミックな世界では成功者であっても、ポーランドでのショパンに飽き足らずフランスで学ぶのですね。
スラブ系だったけれど、フランス人の如く思われる、ペルルミュテールのように。
東欧の原色系の音色よりも、より西欧系に変身して、西側に染まり聴いて分かり易いピアニストになり音楽で勝負するタイプになる。
軽いと言うのは、ホロヴィッツやカペルと比べての話であって、同様にギレリスやベルマンやリヒテルなどの超絶技巧持ち主とは違う。
この5人は人の世に出るのに、そもそも消耗するコンクールなんかを必要としない。
ショパンコンクールの上位者でも、ヨッフェやシェバノワは柔軟で西側にも人生の早い段階で出れたのでモデルチェンジも出来ている。
アシュケナージもそう。
変わり身が早い。
ジメルマンは哲学者の様な男なので異なるし、ポゴレリチはこの世の人ではない魔界の出身なので、2人とも西も東も無い。
東側の俊英で、西側で学び鍛え直した人 マウツジンスキ。
その音楽に安心感を感じるのは理解できます。
しかし、軽い音楽でサロン的と言えるほど、20歳代半ばでの音楽的モデルチェンジは簡単な事と思えません。
21世紀になって、聴く価値を感じる音楽には、こうだからこうと言う一つの公式は無い様に自分は感じます。
「バラード4番の終結部分の2分間」特に、両手の激しいアルペジオが終わった後の余りに静かなコラール風の部分。
個人的と言うよりも、民族としての悲しみを表現されてしまっている。
敢えて言えば、民族の殲滅の様な恐ろしい概念が、刻印されている。
ユダヤ人に限りません。
私たち日本人も、画策されたし差別されたけれど・・・。
現代の作曲家ペンデレツキーの弦楽合奏のためのトーンクラスターを使用されたあの楽曲を思い出して下さい。
個人的な死よりも、おそらくは深く苦しいだろう、そんな意味。
ナショナリズムやイデオロギーの世界が終りかけていて、別の価値観を求めている私たちに何かを与えてくれる時間芸術。
意図されずに、意味を持ってしまった音楽の録音。
そういう音楽が聴きたいという欲求があります。
バッハの音楽には、どのようなスタイルで演奏されようとも、持つ可能性を高く持っているように感じます。
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