Home|
メンゲルベルグ(Willem Mengelberg)|バッハ:マタイ受難曲
バッハ:マタイ受難曲
メンゲルベルグ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団他 1939年4月2日 ライブ録音
Bach:マタイ受難曲 第1部
Bach:マタイ受難曲 第2部
詩人の中原中也には変わった癖があったそうです。
彼ははじめてであった人に必ず同じ質問をしたそうです。
それは、
「あなたはバッハのパッサカリアを聞いたことがありますか」
という質問です。
そして、その人が「聞いたことがない」と答えると、心の底から羨ましそうな顔をして、「あんなにも素晴らしいものに出会える喜びがあなたの人生に残されているとは、何と羨ましい」と語ったそうです。
ユング君はこのエピソードが大好きです。なぜなら、ここには最も幸福で、最も素直な芸術との出会いが示されているからです。
クラシック音楽という世界においても、こういう幸せな出会いが一般的であれば、今日のようなゆがんだ姿にはならなかったでしょう。
ちなみに、中也はバッハのパッサカリアをあげていますが、これは彼が生きた時代を考えればやむを得ない選択でしょう。
彼の時代にマタイ受難曲を耳にすることは、とうてい望み得なかったはずです。
もし彼が、マタイ受難曲を耳にしていたら、どのような言葉でその感動を表してくれたでしょう。
おそらくは、パッサカリア以上の感動を詩人の鋭い感性で言語化してくれたでしょう。そう言う条件に巡り会うには、彼は早く死にすぎました。
それにしても、ペテロの否認に続くこのアルトのアリアの美しさを何と言えばよいのでしょうか。低声部で執拗に鳴り続ける音型は、ペテロの涙の象徴でしょうか。
ペテロの痛恨の思いが、やがてこのアリアの中で神の許しによって浄化されていきます。
しかし、こういう言葉は、この音楽のまえでは無意味です。このような音楽の前では、言葉は沈黙せざるを得ません。
そして、中也にならってユング君も、会う人ごとに聞いてまわりましょうか、「あなたはバッハのマタイを聞いたことがありますか?
歴史の証言者としての音楽
音楽を語るのに、音楽以外のあれこれを持ち出して論議するのを嫌う人がいます。ユング君自身も基本的にはそういうスタンスを取っていますが、それでも、時にはそういう「あれこれ」にふれずにはおれない演奏というものがあります。
このメンゲルベルグ指揮のあまりにも有名な「マタイ受難曲」も、その、「ふれずにはおれない演奏」の一つです。
今の趨勢から見れば「論外」と切って捨てる人もいます。
まずもって、大編成のオーケストラと合唱団を使った演奏スタイルが許せないと言う人もいるでしょう。至るところに見られるカットも我慢できないと言う人もいるでしょう。解釈に関わる問題でも勘違いと間違いだらけだと憤慨する人もいるかもしれません。(例えば、フェルマータの処理をそのままフェルマータとして処理している、等々。今ではバッハのフェルマータは息継ぎの指示程度にしか受け止められていません。)
しかし、どのような批判をあびたとしても、やはりこの演奏は素晴らしく、20世紀の演奏史における一つの金字塔であることは確かです。
この演奏の数ヶ月後、ナチスドイツはポーランド国境になだれ込んで第2時世界大戦が始まりました。一年後には、中立国だから戦争とは無縁だとの幻想にしがみついていたオランダ自身もまた、ナチスに蹂躙される運命をむかえます。
メンゲルベルグによるこの演奏会は、その様な戦争前夜の緊張感と焦燥感のもとで行われたものでした。
特にオランダのおかれた立場は微妙なものでした。
侵略の意図を隠そうともしないナチスドイツの振る舞いを前にして、自らの悲劇的な行き末に大きな不安を感じつつも、日々の生活では中立的な立場ゆえに戦争とは無縁だという幻想にしがみついて暮らしていたのです。
悲劇というものは、それがおこってしまえば、道は二つしかありません。
踏みつぶされるか、抵抗するかであり、選択肢が明確になるがゆえにとらえどころのない焦燥感にさいなまれると言うことは少なくなります。しんどいのは、悲劇の手前です。
人間というものは、その悲劇的な未来が避け得ないものだと腹をくくりながらも、あれこれの要因をあげつらってはあるはずのない奇跡に望みを託します。この、「もしかしたら、悲劇を回避できるかもしれない」という思いが抑えようのない焦燥感を生み出し、人の心を病み疲れさせます。
この演奏会に足を運んだ人たちは、その様な「病みつかれた」人たちでした。そして、疑いもなく、自らを受難に向かうキリストに、もしくはそのキリストを裏切ったペテロになぞらえていたことでしょう。
冒頭の暗さと重さは尋常ではありません。そして、最後のフーガの合唱へとなだれ込んでいく部分の激烈な表現は一度聴けば絶対に忘れることのできないものです。
そして、マタイ受難曲、第47曲「憐れみたまえ、わが神よ」
独奏ヴァイオリンのメロディにのってアルトが「憐れみたまえわが神よ、したたりおつるわが涙のゆえに!」と歌い出すと、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきます。
ポルタメントを多用してこの悲劇を濃厚に歌いあげるヴァイオリンの素晴らしさは、今の時代には決して聴くことので着ないものです。
まさに、この演奏は第2時世界大戦前という時代の証言者です。
ちなみに、この4年後、1943年にローゼンストックによる指揮でマタイ受難曲が東京で演奏されています。記録によると、その時も会場のあちこちからすすり泣きの声が聞こえたと言われています。
逆から見れば、バッハのマタイは時代を証言するだけの力を持っていると言うことです。
追記
どうでもいいことかもしれませんが、ノンフィクション作家として有名な柳田邦夫氏は、この演奏に関わって傾聴に値するいくつかのエッセイを書かれています。
ピリオド演奏を標榜する一部の人たちは、このメンゲルベルグの演奏を酷評し、それだけでは飽きたらず、この演奏を聞いて感動する多くの人々を冷笑しています。(例えば、某国立<くにたち>音大のバッハ研究者〜と自分で思っている人;ちなみに柳田氏はこの人物を磯山雅と実名をあげていますが・・・))
柳田氏の一文は、このようなイデオロギーによって押し進められているピリオド演奏という潮流が、いかに音楽の本質から外れたものかを鋭くついています。
「かけがえのない日々」「犠牲(サクリファイス)」などなど・・・。
興味があれば一読をおすすめします。
この演奏を評価してください。
- よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
- いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
- まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
- なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
- 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10
19 Rating: 6.8/10 (429 votes cast)
よせられたコメント
2008-03-14:no name
- 一度、聞いてみたい演奏でした。
ダウンロードして、MP3プレイヤで通勤の行き帰りに3回聞きました。
いわゆる名演とはいえないが音楽のデモーニッシュな力を感じます。その場にいた人にとって一生忘れられない経験となったものと想像できます。
「時代を証言する力を持っている」というのはしかりです。
47曲のアルトののアリアは圧倒的です。その場の人たちの「共有したもの」のあらわれかもしれないと思いました。
それが何であったか考えてみます。
2009-04-07:dai
- マタイとの出会いはこの演奏でです。そして、最も好きな演奏です。大仰過ぎると言われても、この演奏が醸し出す緊張感と何とも言えない祈りに満ちた空気に惹かれてしまいます。余談ですが、私は年末は第九ではなくマタイを聞くことにしています。自省も込めて・・・。
2011-01-08:メフィスト
- マタイは「クラシックのNo.1」と言っても過言ではないくらいの名曲だけど、
如何せん、敷居が高すぎる曲です。
僕の場合・・・最初に買ったマタイはリヒター盤でしたが、聴き通すことが出来ませんでした。
多分、レチタティーヴォの部分で躓いてしまったものと思われます。
が、メンゲルベルク盤は・・・「ここもいいよ、ここも聴かせどころだよ」と言わんばかりの演奏で、適度なカットも相まって、一気呵成に聴くことが出来たとともに、マタイのよさに取り付かれてしまった次第です。
あと、歴史の背景についてですが、その当時のオランダはドイツに蹂躙される存在であるとともに、ABCD包囲網の「D」として日本と対立していた存在でもあり、現在のインドネシアへ過酷な植民地経営を行っていた国でもあったことを忘れてはならないと思います。
【最近の更新(10件)】
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)
[2024-11-04]
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-01]
ハイドン:弦楽四重奏曲 変ホ長調「冗談」, Op.33, No.2,Hob.3:38(Haydn:String Quartet No.30 in E flat major "Joke", Op.33, No.2, Hob.3:38)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1933年12月11日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 11, 1933)