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ギーゼキング(Walter Gieseking)|ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」
ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」
(P)ギーゼキング カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1951年6月録音
Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第1楽章」
Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第2楽章」
Beethoven:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」 「第3楽章」
演奏者の即興によるカデンツァは不必要
ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。
それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;
いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。
しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。
ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。
自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。
しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。
そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。
ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。
ある種の「崖っぷち感」みたいなものが聞き取れる演奏
録音の世界では52年からテープによる録音が主流になるので音質は飛躍的に向上します。
このカラヤンとギーゼキングの演奏は51年に録音されていますから、その意味では音質的にはかなり微妙です。しかし、実際に聞いてみるとそれほどクオリティは低くないように思えます。
それよりは、50年代の初めにこのような「現代的な感覚」でベートーベンやモーツァルトが演奏がされていたことを知ってもらう事には価値があるだろうと思います。
ギーゼキングと言えば、このあとに素晴らしいモーツァルトのピアノソナタ全集を完成させます。その全集の方は既に紹介済みなのですが、即物主義によるモーツァルト演奏のスタンダードとして長く評価されてきた録音です。
その事もあって、ギーゼキングと言えば即物主義の代表のように思われているのですが、若い頃の演奏を聴くとかなりの爆演型でした。例えば、メンゲルベルグを相手にしたラフマニノフのコンチェルトなどは、それはそれは凄まじいものでした。そう言う演奏を聞くと、若い頃のギーゼキングは晩年のギーゼキングとはまるで別人のようです。
そうなると、その変化がいつ頃起こったのかという疑問がおこるのですが、このカラヤンとの録音を聞く限りは、明らかにストイックなまでに即物的な態度で貫かれていることは容易に聞き取ることができます。カラヤンの方もまた、「ドイツの小トスカニーニ(彼はこういう言われ方は好まなかったようですが)」と言われた頃ですから、両者のベクトルはピッタリ一致して、今聞いても「古さ」というようなものは微塵も感じないような演奏に仕上がっています。
調べてみると、この両者は51年から53年にかけて、これ以外にもモーツァルトやシューマン、グリーグなどのコンチェルトを集中的に録音しています。そして、その録音のどれを聞いても、貫かれている感覚はこの上もなく現代的です。いや、もしかしたら、ここまで己の「我」を抑えて、ひたすら作品のあるがままの姿を描き出そうという「誠実」さに貫かれた演奏は、今という時代にあっては次第に聞くことが難しくなっているかもしれません。
そして、若い頃のカラヤンのこういう「誠実」な演奏スタイルを聞かされると、年を取っていろいろな知恵が身につくことが、果たして「進歩」なのかどうか?・・・等という皮肉な思いが脳裏をかすめたりします。
それにしても、50年代の初めという、未だに大戦の記憶が生々しい時代に、この両者がタッグを組んでコンチェルトを集中的に録音した事はかなり興味深い事実です。
カラヤンがナチスの党員であったことは周知の事実です。ギーゼキングもまた党員ではなかったようですが、熱心なナチス信奉者であったことはよく知られています。もしかしたら、カラヤンがビジネスのために割り切ってナチス党員になったことと比べると、ギーゼキングの方が心情的にははるかに「親ナチ」だったかもしれません。
ですから、戦後になると、お互いに「ナチス疑惑」が「晴れる」までは演奏が禁止されますし、演奏禁止が解除されても、「親ナチ」の彼らとは協演を拒否する演奏家も少なくなかったようです。有名どころではルービンシュタインやホロヴィッツなどがあげられるでしょう。ルービンシュタインについて言えば、あの温厚そうな外見とは裏腹に、ドイツでの演奏を死ぬまで拒否し続けた人でした。そう言う周囲の状況を考えると、お互いに納得のいくパートナーとなると選択肢は極めて限られていたことは容易に想像がつきます。そして、そう言う二人にとって、もう一度演奏家としてのキャリアを再構築していくためには「実績」を積み重ねるしかなかったはずです。もちろん、ルービンシュタインのように生涯許してくれない大物もいるでしょうが、「素晴らしい演奏」という実績を積み上げていけば、やがては道は切り開かれるものです。
そう言う意味では、この二人による一連の録音には、他の時代には聞けないような「凄味」みたいなものも感じ取れるような気もします。まあ、ここまで言ってしまうと「深読み」がすぎるかもしれませんが、評価の定まった大家による余裕あふれる演奏では絶対表現できない、ある種の「崖っぷち感」みたいなものが聞き取れるような気がします。
このコンビによる録音
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 k.488(1951年録音)
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 k.491(1953年録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58(1951年録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」(1951年録音)
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(1953年録音)
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16(1951年録音)
フランク:交響的変奏曲 (1951年録音)
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よせられたコメント
2012-07-24:oTetsudai
- まるでフルトヴェングラーかと思うような物凄い気迫を感じるカラヤンのオーケストレーションです。それにビアノが全く負けていません。ギーゼキングの後期の演奏しか若いとき聴いていなかったので、若い頃の演奏を聴いて唖然としたばかりですが、この演奏は気迫あり最高のテクニックあり、溢れるほどの若さによるリリシズムもある素晴らしい演奏です。真の決定的名盤です。ただ本当に音が悪い。最新の信号処理でなんとかならないものか。