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チャイコフスキー:組曲「眠れる森の美女」 Op. 66


カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1959年1月録音


バレエ・クラシックの頂点を築いた作品

59年というのはとても豊作の年だったらしい。
それは、リヒターの「マタイ受難曲」やショルティの「ラインの黄金」という超弩級だけでなく、長くスタンダードしての位置を占めた録音が数多くリリースされていることに気づかされたからです。
このアンセルメによるチャイコフスキーのバレエ音楽もその様な録音の一つです。

今となってはこれらよりもはるかにゴ−ジャスな響きを堪能させてくれる録音は数多く存在します。たとえば、アンセルメの弟子筋にあたるデュトワがモントリオールのオケと録音した演奏などは華麗・豪華の極みです。フェドセーエフのようなロシア的な濃厚さに満ちた演奏も存在します。(ゲルギエフは聞いたことがない。)さらには、もう一人のバレエ音楽の達人、プレヴィンによるシンフォニックな演奏も捨てがたい魅力があるでしょう。
しかし、そう言う数多くの魅力あふれる録音が輩出してきても、このアンセルメによる録音の価値が失われることは決してないだろうと思います。

おそらく、今の耳からすれば響きは地味にすぎるでしょう。もっとバリバリ鳴ってほしいという思いも出てくるでしょう。
しかし、聞き進むうちにいつの間にかお話の世界に引き込んでくれる語り口のうまさに、そんなことは次第に気にならなくなります。

そう言えば、落語の名人というのは決して大袈裟な表現はしないものです。淡々と語っているように見えながら、気がつくとお話の世界に連れて行ってくれています。そんな時に、大袈裟な身振りなどを交えられたら、逆に恥ずかしくなって素の世界に戻ってしまいます。
もちろん、今は亡き桂枝雀のように、徹頭徹尾デフォルメの限りを尽くして聞き手を異次元ワールドに連れて行くような人も存在します。私は枝雀師匠は大好きだったので、そう言う芸があることは否定しませんが、あれは名人上手とは全く異なる異能の人でした。
おそらくは枝雀にしかできない芸でした。

そう言う意味では、このアンセルメによる三大バレエの演奏はまさに名人上手の手になるものでした。
作品の構造を完璧に理解しているアンセルメにとって、作品の面白さを伝えるのに過剰な演出は一切必要がないと言うことなのでしょう。緻密、かつ克明に作品の構造を描き出しています。
でも、こういう棒についていくオケも結構凄いなと感心させられました。何しろ、外してはいけないところは絶対に外さないという意味で手兵のスイス・ロマンド管弦楽団は素晴らしいオケだと言えます。
オケの巧さというのは、楽器をバリバリ鳴らすことやアンサンブルの緻密さだけではないことを教えてくれる録音です。

誰れが聞いても絶対にココロひかれる演奏


カラヤンとチャイコフスキーはとても相性がいいようですね。
チャイコフスキーと言えば、その旋律は素晴らしいが作品の構造が弱いと言うことで常に「二流作曲家」扱いをされてきました。
カラヤンも音楽を美しく歌い、美しくオケを響かせることに関しては素晴らしいが、精神的な深みに欠けると言うことで、コアなクラシックファンからは常に「ダメ指揮者」のレッテルを貼られ続けてきました。

でも、考えてみれば、私たちが音楽を聞いてまず最初にココロひかれるのは「構造」でもなければ「精神性」でもありません。音楽聞いて、「あぁー、いいな!」と思うのはまず、「旋律」です。作曲家が美しい旋律を作り、それを演奏家がこの上もなく美しく歌い上げれば、誰が聞いてもそれはココロふるわせるものになるはずです。
それに対して、音楽から「構造」を聞き取ってココロふるわせるには訓練がいります。つまりは、一定の「能力」がもとめられます。さらに言えば、音楽から「深い精神性」をくみ取ってココロふるわせるには「能力」を超えた「超能力」が求められます。
何しろ、この「超能力」さえ獲得できれば、どんなにヨタヨタで技術的に破綻した演奏でもココロふるわせることができるのですからたいしたものです。(ちなみに、戦後のクラシック音楽界を席巻した「現代音楽」を聞いてココロふるわせるには、「超能力」を超えた「魔界の力」が必須です。)

その意味で言えば、カラヤンもチャイコフスキーも、音楽を聞く上で、聞き手に対して訓練も能力も強制しないタイプの音楽家だったように思います。ですから、この両者の相性はとてもいいのです。
どれくらい相性がいいのかというと、たとえば、カラヤンは「悲愴」を7回も正規録音しています。これは、同一指揮者による同一作品の録音回数ととしてはギネス記録でしょう。
同じく、この三大バレエの組曲版も繰り返し録音しています。
そして、50年代のフィルハーモニア管、60年代とのウィーンフィル、70年代のベルリンフィルと聞き比べてみると、どんどん耽美的になっていくのが手に取るように分かります。最後のベルリンフィルとの演奏などを聴くと、ちょっと「危ない」領域にまで踏みこんでいるのではないかと思わせられます。
でも、どれを聞いても素敵です。クラシック音楽というものに距離感や抵抗感を抱いている人でも、これを聞けば絶対にココロひかれるものがあるはずです。カラヤンとチャイコフスキーという組み合わせには、間違いなくそう言う力があります。

個人的にはこの59年に録音されたフィルハーモニア管との演奏がもっとも好ましく思えます。しかし、今のユング君は返す刀で、その後のカラヤンはダメになったなどとは言いません。
何故に、彼がこの地点に立ち止まることを潔しとせずに、後年「カラヤン美学」と言われるような演奏様式を築き上げていかざるを得なかったのかが少しずつ理解できるようになってきたからです。
そう言う視点から眺めてみれば、この59年に録音された「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」の組曲版はカラヤン美学のスタート地点を示すものであり、70年代の演奏は「到達点」を示すものだといえます。言葉をかえれば、カラヤンが「ドイツのトスカニーニ」から「カラヤン」に変わっていった軌跡の始点と終点を示しています。

その意味では、この59年に「くるみ割り人形」だけが録音されなかったのは残念なことでした。52年には3つの組曲をまとめて録音しているのですから、59年にも同様であってもいいように思うのですが、調べてみると、事はそれほど簡単ではないようです。

カラヤンは「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」は必ずセットで録音しています。
1. 52年(PO)
2. 59年(PO)
3. 65年(VPO)
4. 71年(BPO)
オケも録音年もピッタリとあっています。
ところが、「くるみ割り人形」の録音は以下のようになっています。
1. 52年(PO)
2. 61年(VPO)
3. 66年(BPO)
4. 82年(BPO)
微妙にずれています。三大バレエと呼ばれるだけに、三つそろっていないと営業的にまずいので、あとから仕方なしに録音したような風情が感じ取れます。真偽の程は分かりませんが、でも聞いてみると、「くるみ割り人形」が一番上手くいっていないように聞こえることも事実です。
きっと、カラヤンは「くるみ割り人形」があまり好きではなかったのでしょう。

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