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バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番

Vn.シゲティ 1955年10月18&20日録音



Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番「Allemanda」

Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番「Corrente」

Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番「Sarabanda」

Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番「Giga」

Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番「Ciaccona」


無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの概要

バッハの時代にはこのような無伴奏のヴァイオリン曲というのは人気があったようで、とうていアマチュアの手で演奏できるとは思えないようなこの作品の写譜稿がずいぶんと残されています。ところが、古典派以降になるとこの形式はパッタリと流行らなくなり、20世紀に入ってからのイザイやバルトークを待たなければなりません。

バッハがこれらの作品をいつ頃、何のために作曲したのかはよく分かっていません。一部には1720年に作曲されたと書いているサイトもありますが、それはバッハが(おそらくは)自分の演奏用のために浄書した楽譜に記されているだけであって、必ずしもその年に作曲されたわけではありません。さらに言えば、これらの6つの作品がはたして同じ目的の下にまとめて作曲されたのかどうかも不確かです。
しかし、その様な音楽学的な細かいことは脇に置くとしても、これらの作品を通して聞いてみると一つの完結した世界が見えてくるのはユング君だけではないでしょう。それは、どちらかと言えば形式がきちんと決まったソナタと自由に振る舞えるパルティータをセットととらえることで、明確な対比の世界が築かれていることに気づかされるからです。そして、そのパルティータにおいても、「アルマンド」−「クーラント」−「サラバンド」−「ジーグ」という定型様式から少しずつ外れていくことで、その自由度をよりいっそう際だたせています。そして、パルティータにおいて最も自由に振る舞っている第3番では、この上もなく厳格で堂々としたフーガがソナタの中で屹立しています。

この作品は演奏する側にとってはとんでもなく難しい作品だと言われています。しかし、その難しさは「技巧」をひけらかすための難しさではありません。
パルティータ2番の有名な「シャコンヌ」やソナタ3番の「フーガ」では4声の重音奏法が求められますが、それは決して「名人芸」を披露するためのものではありません。その意味では、後世のパガニーニの「難しさ」とは次元が異なります。
バッハの難しさは、あくまでも彼がヴァイオリン一挺で描き尽くそうとした世界を構築するために必要とした「技巧」に由来しています。ですから、パガニーニの作品ならば指だけはよく回るヴァイオリニストでも演奏できますが、バッハの場合にはよく回る指だけではどうしようもありません。それ以上に必要なのは、それらの技巧を駆使して描ききろうとしたバッハの世界を理解する「知性」だからです。
その意味では、ヴァイオリニストにとって、幼い頃からひたすら演奏テクニックを鍛え上げてきた「演奏マシーン」から、真に人の心の琴線に触れる音楽が演奏できる「演奏家」へとステップアップしていくために、一度はこえなければいけない関門だといえます。

ソナタ第1番ト短調 BWV1001

第3楽章の「シチリアーノ」以外は全てト短調という珍しい調性を持っています。この異例ともいえる調整の関係についてはいろいろと説明している本もあるのですが(ドリア旋法がどうたら、リディア旋法がかんたら・・・)、そう言う楽典的な事には弱いユング君にはよくわからんのです。(^^;しかし、この偉大な6曲の冒頭を飾るに相応しい作品であることは間違いありません。

1. Adagio
2. Fuga. Allegro
3. Siciliano
4. Presto

パルティータ第1番ロ短調 BWV1002

4つの全ての舞曲の後半にそれぞれ、ドゥーブルと呼ばれる変奏が置かれているために、一見すると8楽章構成のように見えますが、本質的に以下の4楽章構成です。そのために、パルティータの最後は一般的には「ブーレ」ではなくて「ジーグ」なのですが、それではその後にドゥーブルをおくとすわりが悪いので変更したのだろうと推測されています。

1. Allemande - Double
2. Courante - Double. Presto
3. Sarabande - Double
4. Tempo di Bourree - Double

ソナタ第2番イ短調 BWV1003

第2楽章の「フーガ」は289小節にも及ぶ長大なものですが、至る所にあらわれるオクターブの跳躍は音楽に躍動感と起伏感を与えています。また第3楽章の「アンダンテ」では、1本のヴァイオリンで、旋律と通奏低音の二声を弾くというものですが、音量を調節してメロディラインを際だたせるという高度な制御が要求されるようです。

1. Grave
2. Fuga
3. Andante
4. Allegro

パルティータ第2番ニ短調 BWV1004

 シャコンヌとは、「上声は変わっていくのに、バスだけは同じ楽句に固執し執拗に反復するものである」と説明されています。上声部がどんなに変奏を展開しても、低声部で執拗に繰り返される主題が音楽全体の雰囲気を規定します。
 しかし、その低声部での主題を聞き手が意識することはほとんどありません。冒頭にその主題が提示されますが、その後は展開される変奏の和声の最低音として姿をくらましてしまうからです。
 ところが、姿をくらましても、それが和声進行のパターンを根底で支配するのですから作品全体に与える影響力は絶大であり絶対的です。
 聞き手には移り変わっていく上声部のメロディラインしか意識には残らないでしょうが、執拗に繰り返される低声部の主題が音楽の支配権を握っています。

 ですから、聞き手にはこの低声部の主題がそれとは明確に意識できない代物であっても、演奏する側はそのことを明確に意識して演奏する必要があります。
 つまりは、スコアに書いてある音符をそれなりに音にするだけでは音楽にはならないのです。
 そのことは、何もこの作品に限ったことではありませんが、シャコンヌはとりわけ演奏者サイドにその手の難しさを要求するようです。

1. Allemande
2. Courante
3. Sarabende
4. Gigue
5. Chaconne

ソナタ第3番ハ長調 BWV1005

ソナタ全3曲中で最も壮大な音楽がこれです。とくに第2楽章のフーガは354小節からなる長大なものであり、それはバッハが書いたフーガの中で最大のものだと言われています。フーガの主題は古いコラール「来たれ、聖霊よ、主なる神よ」によるものだそうです。

1. Adagio
2. Fuga alla breve
3. Largo
4. Allegro assai

パルティータ第3番ホ長調 BWV1006

組曲の一般的な配列からは大きく逸脱して最も自由に振る舞っています。そのために、全6曲の中では最も明るく、最も華麗な音楽になっています。また、全6曲の中では唯一アマチュアでも演奏できそうな作品であるために昔から高い人気を持っていました。特に、第3楽章の「ガヴォット」は、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」などという厄介な名前など知らない人でもどこかで一度は耳にしたことがある有名な旋律です。

1. Preludio
2. Loure
3. Gavotte en Rondeau
4. Menuet I/II
5. Bourree
6. Gigue


20世紀と言う時代の「声」

どうやらバッハの無伴奏というのは「上手」に演奏してはいけないようです。シゲティ然り、エネスコ然りです。そして、その事を指摘して批判めいたようなことを口にすると、あちこちから雨あられと矢玉が降りそそいできます。例えば・・・「この演奏を下手くそとか、アマチュアレベルとか言っている御仁は、残念ながら音楽とは無縁の輩なのだ。 」・・・音楽を聞く資格もないと叱られれば誰もが口をつぐんでしまいます。困ったものです。
しかし、最近は少しばかり風向きが変わってきたようで、「最近やっとシゲテイ神話に一言物申す方々が出てきたようです。」という風情になってきました。そうなると、「シゲティはへたくそ、プロとしてやってこれたのは不思議なくらいだといっていいかもしれない。」とか「雑音のような音をずっと聴き続けなければいけないなんて、音楽を苦行と取り違えているのではないだろうか? 」などと言う物言いも聞こえてきて、これまた困ったものだと思ってしまいます。

真の芸術家というのは「呪われた存在」だとつくづく思うようになってきました。何故なら、彼らは己の命を削って死ぬまで歌い続けることを宿命づけられた存在だからです。そして、彼らが呪われているのは、その様な「苦行」とも言えるような人生に訣別しようとしても、おそらく彼らの内からわき上がるような「思い」が彼らに「歌う」事を止めさせないからです。
おそらく、「歌う」という行為が、自らの喜びや楽しみのためならいつでも止められるでしょう。ましてや、己の外面を飾り立てるアクセサリ(地位や名誉やお金)として「歌う」のならばそれこそいつでも止めることが出来ます。
だとするならば、いったい何が彼らを「歌う」事に駆り立てるのでしょうか?疑いないのは、呪われた芸術家にとって「歌う」という行為は彼らの個人的な営為でないと言うことです。おそらく、何かが取り憑いていて、その取り憑いたものが彼らに「歌う」事を強いるんでしょう。何だか、こんな事を考えるとオカルトみたいなのですが、何だか最近そんなことを強く感じるようになってきました。
そして、その「取り憑いているもの」とは、おそらく同じ時代を生きる人々の「喜び」や「哀しみ」や「怒り」や「憎しみ」や「嫉み」「妬み」「希望」に「絶望」その他ありとあらゆる「思い」が彼らの中に流れ込み、その時代の渦みたいなものがかれらに「歌う」事を強いるのでしょう。そう考えてみれば、このシゲティの演奏には間違いなく同じ時代を生きた人々のその様なありとあらゆる感情が流れ込んでいます。そして、その様な時代の声にシンパシーを感じる人にとってはこの演奏は限りなく偉大なものと映ずるでしょうし、そんなものは遠い時代の過去のものとしか感じられない人にとってはまさに時代錯誤の昔語りにしか聞こえないはずです。

正直言って、その意味でいつまでもシゲティでもないだろうと思います。しかし、この演奏は二つの大戦を経験した20世紀と言う時代の「声」であったことも事実であり、その事には深い敬意を感じざるを得ません。おそらく、シゲティにとってバッハとはこのように厳しい音楽としてしか「歌う」事が出来なかったのであり、その「厳しさ」と向き合うことは決して「苦行」ではないはずです。
そして、悲しいことに現在の音楽家の多くは音楽を軽やかなファッションのように演じてはくれても、呪われた音楽の凄味に立ちすくむような衝撃は与えてくれないことです。もちろん、音楽にその様な「重たいもの」を求めない聞き手も責任の半分は分担すべきですが。

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