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ケンプ(Wilhelm Kempff) |ベートーベン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1965年1月14日~15日録音
Beethoven: Piano Sonata No.27 In E Minor, Op.90 [1. Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck]
Beethoven: Piano Sonata No.27 In E Minor, Op.90 [2. Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen]
シューベルトやシューマンなどのロマン派に引き継がれていく音楽
ベートーベンの創作の軌跡を辿る上でピアノソナタはその里程標になるのですが、「告別ソナタ」とそれに続くこの「ホ短調のソナタ」の間には4年という小さくないブランクが存在します。
そして、このブランクはピアノソナタだけに限った話ではなくて、概ね1812年から1817年に至る5年間はベートーベンの「苦悩の時代」と言われてきました。
ベートーベンは意外なほどに慎重な男であり、大胆極まる手法で大きく一歩を踏み出した後に必ず収縮しました。その踏み出した大きな一歩の意味をもう一度過去の伝統の中で咀嚼しなおすことで、その「新しさ」を「伝統」の中にシームレスに取り込もうとしたのです。
しかし、音楽を「古典的均衡の中における美」に押し留めるのではなくて、つかまえどころのない「人間的感情の表現」を目指した「新しい道」も頂点に達してしまえば、そこでの収縮は途轍もなく大きなものにならざるを得ませんでした。
そして、その「収縮」は多くの人にとっては「沈黙」としか映らず、その「沈黙」が長く続けば「さすがのベートーベンもスランプか!」となったわけです。
しかし、皮肉なのは、創作の分野においてはその様な「沈黙」を強いられていながら、世間的には大芸術家として祭り上げられ、多くの貴族に取り囲まれる「栄光」を享受するのです。
ただし、そう言う外面的な栄光とは裏腹に、彼の私生活はこの時期は苦難の連続でした。
「不滅の恋人」との破局によって最後の結婚への望みも消えたこと、甥カールの養育権をめぐる訴訟、そして、難聴の進行によってついにはピアノの音すら聞こえなくなったことなどです。
そして、その様な苦悩の沈黙の中でポツリと生み出されたのがこのホ短調のソナタでした。
2楽章構成のこぢんまりとしたそのソナタには、中期の傑作と言われたソナタのような驀進するベートーベンの姿はどこを探しても見つけ出すことは出来ません。
ちなみに、このソナタを献呈されたリヒノフスキー侯爵とのやり取りが残されています。
それは、侯爵がこのソナタの意味をベートーベンに質問したことに対して、ベートーベンは「第1楽章は理性と感情の争い、第2楽章は恋人との会話」と笑いながら答えたというものです。
もちろん、このベートーベンの解答をまともに受け取る必要はありません。
なぜならば、その時侯爵は幸せな「2度目の結婚」を成就したばかりであり、そう言う侯爵に対するリップサービスであったことは明らかだからです。
第1楽章のソナタは実にスリムなスタイルで書かれています。
展開部は開始主題をシンプルに拡大しているだけであり、再現部も提示部と大きな変化はなく、コーダも第1主題を静かに回想しながら閉じられます。
また、調性を確立した後に、その主調による完全終止という古いスタイルもとっています。この古いスタイルは緩徐楽章ではベートーベンは好んで使っていたのですが、ソナタ形式においては次第に避けるようになっていったスタイルでした。
しかし、その様なシンプルで、スリムな形式でありながら、このソナタからは今までにない諦観と密やかさが漂っています。
そして、その様な音楽の佇まいがより明確になるのが、これに続くロンド形式による終楽章です。
ベートーベンはこのソナタにおける発想記号はドイツ語だけにしているのですが、そのロンド楽章には「Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen(速すぎないように、そして十分に歌うように演奏すること)」と記しています。
叙情的なロンド主題はとても美しく、それが何度も装飾が施されて姿を現すことで、その美しさは聞き手の耳に刻み込まれます。
この楽章はモーツァルト的ではあるのですが、そこに新しい叙情性を取り入れようとしていることは明らかであり、その意味では、シューベルトやシューマンなどのロマン派に引き継がれていく音楽だと言えます。
また、この楽章には最後の締めくくり方をどのように処理するのかという問題があり、それはピアニストにとってはかなりの難題となっています。
この最後の部分では、きわめて複雑なテンポ設定によって繊細な音楽が語られた後に、最後の小節だけが突然投げ出すようにして終わってしまうのです。
ローゼン先生は、この部分は気心の知れた仲間内で演奏するならば叙情の中のユーモアとして効果を得るだろうが、大規模なコンサートホールで演奏したときにはその効果を期待するのは難しいと述べています。
かといって、最後の部分に少しでもリタルダンドをかければ通俗的になってしまうとも注意を促しています。
些細なことかもしれませんが、あれこれの聞き比べをするときの一つのポイントだとは言えそうです。
神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏
演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。
一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。
つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。
外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。
さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。
つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。
1940年~1943年:SP録音(未完成)
1951年~1956年:モノラル録音
1961年:ラジオ放送のためのライブ録音
1964年~1965年:ステレオ録音
61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。
ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。
1951年9月20日:作品110/作品111
1951年9月21日:作品90/作品106
1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79
1951年9月24日:作品53/作品81a
1951年10月13日:作品7
1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2
1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1
1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2
1951年12月22日: 作品31-3
1951年9月25日&12月22日:作品49-1
1951年10月13日&12月22日:作品2-1
1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109
1953年1月23日:作品13
1956年5月3&4日:作品27-2
1956年5月4&5日:作品22
つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。
そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。
つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。
ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。
そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。
風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。
例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。
ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。
普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。
パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。
ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。
しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。
しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。
もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。
しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。
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