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ゲイリー・グラフマン(Gary Graffman)|リスト:パガニーニによる大練習曲 (1851年版) S.141
リスト:パガニーニによる大練習曲 (1851年版) S.141
(P)ゲイリー・グラフマン 1959年5月27日~6月4日録音
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [1.Preludio. Andante - Etude. Non troppo lento based on Caprice No.6 in G major]
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [2.Andante based on Caprice No.17 in E-flat major]
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [3.La Campanella. Allegretto based on Violin Concerto No.2, Op.7, by Paganini]
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [4.Vivo based on Caprice No.1 in E major]
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [5.Allegretto based on Caprice No.9 in E major]
Liszt:Grandes etudes de Paganini, S.141 [6.Quasi presto based on Caprice No.24 in A minor]
リストの超絶技巧を代表する作品
リストと言えば超絶技巧であり、超絶技巧と言えばリストです。まさに、高度な演奏技巧を要するピアノの難曲の代表です。
しかしながら、その超絶技巧の代表はいわゆる「超絶技巧練習曲」ではなくて、「パガニーニによる大練習曲」の1838年版の方でしょう。よく知られている話ですが、その作品は作曲者であるリスト以外には演奏不可能と言われ、あのホロヴィッツでさえ「演奏不可能」と断定したのです。
よく知られているように、この「Transcendante」というのは一般的に「超絶」と翻訳されますが、正確には宗教的な意味合いを含んだ用語で肉体や精神を超越するというニュアンスを表現した言葉だそうです。
つまりは、「逝っちゃう??!」という雰囲気です。
それで、何が逝っちゃうのかと言えば、それは「聞けば分かる!」と言うことになります。
実際、リストの演奏を聴いてあまりの凄さに悶絶して気絶する観客がいた話は有名ですが、驚くなかれ、リスト自身も演奏中に悶絶することがあったという話も伝わっています。(ただし、その「失神」は事前に仕込まれた演出だっという説もあります。)
つまり、リストと言えば、とかく技術偏重で饒舌にすぎると言われるのですが、その本質は意外と「逝っちゃう」ところにあるのです。
ただし、その「逝っちゃう」のは神の啓示や深い瞑想によってではなく、念仏踊りのような狂気の果てに「逝っちゃう」のです。
シューマンは「恋する心は恋について語らない」と言ってリストを批判をしましたが、上品なロマンティストであったシューマンには、そんなリストの本質は全く理解不能だったのでしょう。
それでも、彼は「恋する心」を鉦と太鼓で「好きだ、惚れた!好きだ、惚れた!」と念仏踊りで表現することに己のアイデンティティを見いだしたのです。そうやって目立たなければ、ハンガリーの片田舎から出てきたピアニストなどに誰も注目などしてくれなかったのです。
よく、リストは晩年になって作品に深みと宗教性を増していくと言われます。リストの腕を持ってすれば、聞き手をほろりとさせるような音楽を書くことは朝飯前だったのかもしれません。
実際、リストはとんでもない技巧を必要とする1831年版の「パガニーニによる大練習曲」を、1851年に編曲し直しています。
もちろん、この1851版も大変な技巧を必要とはするのですが、ホロヴィッツをして演奏不可能と言わしめた1838年版と較べればテクニックはかなり簡潔なものに書き換えられています。そして、何よりも注目すべきは簡潔なテクニックでもって音楽的な表現は洗練されているのです。つまりは、1838年版はピアノのテクニックの全てをつぎ込んだ「練習曲」だったのが、1851年版ではロマン派らしいピアノ小品に変身させているのです。
そして、そのロマン派小品と化した1851年版からはギラギラとした若き時代の野心は後退し、この後に続く「慰め(コンソレーション)」や「詩的で宗教的な調べ」の時代へと向かっていくリストの姿を垣間見ることができるのです。
なお、この2つのヴァージョンを区別するために1838年版のほうを「パガニーニによる超絶技巧練習曲」、1851年版のほうを「パガニーニによる大練習曲」と呼び分けるのが一般的です。
しかし、その区別がかなりいい加減で、「パガニーニによる超絶技巧練習曲」とクレジットされていても、その中身の大部分は「パガニーニによる大練習曲」であることが多いようです。
だって、あれがまともに弾ける人って今でもほとんどいないのです。(^^;
ご注意あれ(^^v
パガニーニによる超絶技巧練習曲 (1838年版) S.140
- S.140/1 第1番 ト短調 Andante - Non troppo Lento 原曲:第5・6番
- S.140/2 第2番 変ホ長調 Andante - Andantino, capricciosamente 原曲:第17番
- S.140/3 第3番 変イ短調 Allegro moderato - Tempo giusto 原曲:『ヴァイオリン協奏曲第2番』第3楽章、『ヴァイオリン協奏曲第1番』第3楽章
- S.140/4a 第4番 ホ長調 Andante quasi Allegretto 原曲:第1番
- S.140/5 第5番 ホ長調 Allegretto 原曲:第9番
- S.140/6 第6番 イ短調 Quasi Presto (a Capriccio) 原曲:第24番
ただし、こちらにはいくつかの別稿が存在します。
- S.140/1a (S.140/1の別稿(ossia)。ロベルト・シューマンの『パガニーニのカプリスによる練習曲』Op.10 第2曲の再編曲)
- S.140/4b 第4番 同上(S.140/4aの第2稿)
- S.140/5a (S.140/5の別稿(ossia))
パガニーニによる大練習曲 (1851年版) S.141
- S.141/1 第1番 ト短調 Andante-Non troppo Lento(トレモロ)
- S.141/2 第2番 変ホ長調 Andante-Andante capriccioso(オクターブ)
- S.141/3 第3番 嬰ト短調 Allegretto 「ラ・カンパネッラ」 ※初版ではヴァイオリン協奏曲から2曲を基にしていたがこちらは第2番のみに基づく。
- S.141/4 第4番 ホ長調 Allegretto (アルペジオ)
- S.141/5 第5番 ホ長調 Vivo 「狩り」
- S.141/6 第6番 イ短調 Quasi Presto a Capriccio 「主題と変奏」
グラフマンというピアニストを今まで取りあげていなかったようです。
私にとって、このピアニストの名前が初めて視野に入ったのはセル&クリーブランド管と録音したチャイコフスキーのコンチェルトを「によってでした。今さら繰り返すまでもないのですが、セル&クリーブランド管がコンチェルトを演奏するときは、ソリストは音楽の一部になってしまいます。そして、その「通例」はグラフマンにもあてはまっていて、さすがセルは凄いな!と言う感想しか残らなかったのです。
そうして、この名前は長きにわたって私の視野からは消えていたのですが、50年代から60年代にかけて華々しい活躍をしながら、様々な理由で第1線から消えていったアメリカの若手ピアニストを探っていたときに、再び出会うことになったのです。
この「50年代から60年代にかけて華々しい活躍をしながら、様々な理由で第1線から消えていったアメリカの若手ピアニスト」に関してはジャニスを取り上げたときに簡単に触れたのでもう一度繰り返すことはしませんが、まだしも成熟への時間が保障されたのはこのグラフマンだったのかもしれません。
経歴を簡単に振り返ってみると、ロシア系ユダヤ人の子供として1928年にニューヨークに生まれます。
3歳でピアノを始め、7歳でカーティス音楽院に入学してヨゼフ・ホフマン等に師事します。そして17歳でオーマンディが指揮するフィラデルフィア管弦楽団と共演してデビューを果たします。
まあ絵に描いたような神童ぶりなのですが、この手の神童は「掃いて捨てるほど」とまでは言いませんが、この世界ではそれほど珍しい話ではありません。そんな神童が一躍有名になるのは、20歳の時に出会ったホロヴィッツのもとで学ぶ機会を得たことです。ホロヴィッツの言によれば、コンサート活動に疲れ果てて活動を休止した1953年に「退屈したんで弟子をとったんだ。」と言うことになります。
グラフマンにとって幸いだったのは、既に20代半ばでピアニストとしての形が出来上がっていた時期にホロヴィッツと接したことでした。それが、10代半ばでホロヴィッツ家に住み込んでしまったジャニスとの決定的な違いでした。
確かに、ホロヴィッツのもとで学ぶと言うことは、自分もまたホロヴィッツのように演奏したいという誘惑と闘うことになります。ジャニスはその誘惑に負けて、そこから立ち直るために多大な苦労を背負い込むことになったのですが、グラフマンは学ぶべき事と学んではいけないことの区別がつくだけの分別がありました。
後年彼は「それまでの先生からいわゆる教室でのピアノ演奏を教わってきたが、ホロヴィッツからはカーネギーホールでどう響かせるかを教わってきた」と述べています。とは言え、この言葉を吐けるようになるまでには、大変な誘惑との戦いの日々であったことでしょう。
そして、「50年代から60年代にかけて華々しい活躍をしながら、様々な理由で第1線から消えていったアメリカの若手ピアニスト」達の大部分が30代で第一線を退いていく中で、グラフマンは40代を迎える70年代に入っても精力的に活動を続けていくことができました。その結果として、直線的に豪快にピアノを鳴らすことに腐心していた20代から、楽譜をしっかりと読み込んで、その読み込んだものを表現するための手段としてテクニックを奉仕させる40代へと成熟する時間を持てたのでした。
それでも、彼は70年代にはいると「ジストニア」という難病を発症して第1線のピアニストとしては引退を余儀なくされます。この「ジストニア」は神経伝達機能への過剰な負荷が原因で、よほどの反復動作を行わない限り発生しないと言われています。つまりは、ピアニストならば、信じがたいほどの過度な訓練を課さないと発症しない病気なのです。
この過度な訓練を彼に強いた背後にホロヴィッツの亡霊を想像するのは容易いのですが、それでも彼はホロヴィッツの弟子であったことに強い誇りを持っていて、彼の弟子達(ラン・ランやユジャ・ワン)も師の誇りを受け継いで「自分たちはホロヴィッツの孫弟子」という自負持っているようです。
この50年代のリスト作品の録音からは、ホロヴィッツ張りの演奏に対する誘惑と闘っていた時代のグラフマンの姿が透けて見えます。
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