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ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 「雨の歌」, Op. 78

(Vn)マックス・ロスタル:(P)マリア・ベルクマン 1958年録音



Brahms:Violin Sonata No.1 in G major, Op.78 [1.Vivace ma non troppo]

Brahms:Violin Sonata No.1 in G major, Op.78 [2.Adagio]

Brahms:Violin Sonata No.1 in G major, Op.78 [3.Allegro molto moderato]


ロマン派におけるヴァイオリン・ソナタの傑作

ブラームスは3曲のヴァイオリン・ソナタを残していますが、これを少ないと見るかどうかは難しいところです。確かに一世代前のモーツァルトやベートーベンと比べると3曲というのはあまりにも少ない数です。しかし、ベートーベン以降のロマン派の作曲家のなかで3曲というのは決して少ない数ではありませんし。
さらに、完成度という観点から見ると、これに匹敵する作品はフランクの作品以外には思い当たりませんから、そういう点を考慮すれば3曲というのは実に大きな貢献だという方が正解かもしれません。

ブラームスの第1番のソナタは1878年から79年にかけて、夏の避暑地だったベルチャッハで作曲されました。
45才になってこのジャンルに対する初チャレンジというのはあまりにも遅すぎる感がありますが、それはブラームスの完全主義者としての性格がそうさせたものでした。

実は、この第1番のソナタに至るまで、知られているだけでも4曲のソナタが作曲されたことが知られています。そのうちの一つはシューマンが出版をすすめたにもかかわらず、リストたちの忠告で思いとどまり、結果として失われてしまったイ短調のソナタも含まれています。
他の3曲は弟子の証言から創作されたことが知られているものの、ブラームスによって完全に破棄されてしまって断片すらも残っていません。
ブラームスがファーストシンフォニーの完成にどれほどのプレッシャーを感じていたかは有名なエピソードですが、そのプレッシャーは決して交響曲だけに限った話ではありませんでした。ベートーベンが完成形を提示したジャンルでは、ことごとくプレッシャーを感じていたようで、そのプレッシャーがヴァイオリン・ソナタというジャンルでも大量の作品廃棄という結果をもたらしたようです。

では、ヴァイオリン・ソナタという形式の「何」が、ブラームスに対して多大な困難を与えたのでしょうか。
もちろん、私ごとき愚才がブラームスの心中を推し量ることなどできようはずもないのですが、そこを無理してあれこれ思案をしてみれば、おそらくはヴァイオリンとピアノのバランスをどうとるかという問題だったのではないかと思います。

言うまでもないことですが、ヴァイオリン・ソナタの歴史を振り返ってみれば、ヴァイオリンとピアノという二つの楽器が対等な関係ではなくて、どちらかが主で他が従という形式をとっていました。それが、モーツァルトという天才によって初めて両者が対等な関係でアンサンブルを形成する音楽へと発展していきました。
そして、この方向性のもとで一つの完成形を示したのが言うまでもなくベートーベンでした。

しかし、一連のベートーベンの作品を聴いてみると、事はそれほど単純ではないことに気づかされます。
鍵盤楽器としてのピアノの機能が未だに貧弱だったモーツァルトの時代では、ヴァイオリンとピアノは十分に共存できましたが、ベートーベンの時代になるとピアノは急激に発展していき、オーケストラを向こうに回して一人で十分に対抗できるまでの力を蓄えてしまいます。
それに比べると、ヴァイオリンという楽器は弓の形状は多少は変わったようですが、弓を弦に擦りつけて音を出すという構造は全く変わっていないわけですから大きな音を出すにも限界があります。

ですから、クロイツェル・ソナタなどでピアノが豪快にうなりを上げて弾ききってしまうと、さすがのベートーベンをもってしてもヴァイオリンがかすんでしまう場面があることを否定できません。
そして、ロマン派の時代になるとピアノはその機能を限界まで高めていきます。(ブラームスのピアノコンチェルトの2番を聴くべし!!)
つまり、頭の中だけでこの両者を丁々発止のやりとりをさせて上手くいったと思っても、実際に演奏してみるとピアノがヴァイオリンを圧倒してしまい「何じゃこれ?」という結果になってしまうのです。

つまり、この二つの楽器の力量差を十分に配慮しながら、それでもなおこの二つの楽器を対等な関係でアンサンブルを成立させるにはどうすればいいのか?
これこそが、45才まで書いては廃棄するを繰り返させた「困難」だったのではないでしょうか?
もっとも、これは私の愚見の域を出ませんから、あまりあちこちでいいふらさないように・・・(^^;

しかし、ブラームスのヴァイオリン・ソナタを聴くと、この二つの楽器が実に美しい調和を保っていることに感心させられます。
ベートーベンでは、時にはピアノがヴァイオリンを圧倒してしまっているように聞こえる部分もあるのですが、ブラームスではその様な場面は皆無と言っていいほどに、両者は美しい関係を保っています。そして、その様な絶妙のバランスを保ちながら、聞こえてくる音楽からはしみじみとした深い感情がにじみ出してきます。
これはある意味では一つの奇跡と言っていいほどの作品群です。

ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調op.78「雨の歌」


ブラームスが夏の避暑地として愛していたベルチャッハで1878年から79年にかけて作曲されました。
副題の「雨の歌」というのは、第3楽章の冒頭の旋律が歌曲「雨の歌」から引用されているためにつけられたものです。しかし、その様な単なる引用にとどまらず、作品全体を雨の日の物思いにふけるしみじみとした感情のようなものが支配しています。特に第2楽章はその様な深い感情がしみじみと歌われる楽章であり、一度聴けば忘れることのできない音楽です。


音楽そのものを愛し続けた人

「マックス・ロスタル」という名前は私の視野には全く入っていなかったヴァイオリニストでした。しかし、知る人は知るという存在だったようで、クライスラーやティボー、アドルフ・ブッシュなどと肩を並べる存在だという人も多かったようです。
しかし、それだけのヴァイオリニストが今となってはほとんどの人の記憶から薄れてきているのは何故かと言えば、それは活動の軸足を早々と「演奏活動」から「教育活動」に移したことが原因だったようです。

ですから、演奏家としてのロスタルはあまり語られなくても、名教師としてのロスタルの存在は大きかったようです。彼自身がアルノルト・ロゼやカール・フレッシュに学んでいるのですが、その系譜をアマデウス弦楽四重奏団のメンバーやベルリン・フィルやウィーンフィルなどの著名なオーケストラのコンマスを務めた演奏家へと受け継がせています。もちろん、ソリストに関してもイヴリー・ギトリスやトマス・ツェートマイアー、ウート・ウーギ等の数多くの教え子がいます。

ですから、最初に彼のことを紹介したときに「大通りではなくて、そこから一本中に入った路地に店を構える存在」といったのですが、正確には「大通りに面してはいても看板も掲げていない一見さんお断りの名店」といった方がいいのかもしれません。
おそらく、表向きは「音楽のために」といいながらも演奏家というものは本音の部分で言えばお金や名声などを求めている人が大多数です。そして、その事を私は決して否定するつもりはありません。
なんのインセンティブも伴わないようなことに、己の一生を苦行に捧げるような人はいません。

<追記>
以前にこう書いたのですが、カルショーの回想録によると昔の偉大な演奏家たちはお金には全く無頓着だった書いています。そして、その事をレーベル側からの視点として「とてもお買い得だった」とあからさまに述べています。そしてそう言う「お買い得」な演奏家としてクリップス、クレメンス、クーレンカンプ、クナパーツブッシュ、シューリヒト、ミュンヒンガー、ショルティなどの名前を挙げ、さらに「一部をあげたにすぎない」と付け足しているのです。そして、あのカラヤンでさえも、そう言うやり方でEMIから引き抜けたのです。

しかし、そう言う演奏家たちの次の世代になると状況はガラリと変わったというのです。
そして、Deccaの上層部が「若い世代のものたちが自分に自信を持っていて、現金こそが重要でお世辞などはその代わりにはならないと思っていることを知ったときには彼の意欲はさらに下がった」とレーベルの内側を明かしています。

つまりは、50年代の終わり頃からクラシック音楽の世界も少しずつ「ビジネスの世界」に変わりつつあったのです。

それまでは偉大な演奏家たちを「マエストロ」と持ち上げることによって信じがたいほどの低いギャラで働かせるという、今風で言えば「やりがい搾取」で儲けていたのが、次第にそれが通用しなくなったのです。そして、そう言う手強い若手の交渉相手としてケルテス、マゼール、メータなどの名前をあげています。そして、カラヤンもまたすぐにDeccaから離れていくのですが、それは当然と言えば当然の結果だったのです。

こういうカルショーの回想(出典は「レコードはまっすぐに」)を聞くと、この50年代から60年代の初め頃がクラシック音楽界にとっての大きな転換点だったと言えそうです。もちろん、それが悪いとは思いませんし、「やりがい搾取」等はあってはならないことです。
しかし、年寄りの偏見かもしれませんが、それ以降、音楽のスケールが少しずつ縮小していったように思えるのも私の中では事実です。

クラシック音楽の世界では「黄金の50年代」「銀の60年代」と言われるのですが、その根底にはこういう変化が大きく作用していたのかもしれません。
<追記終わり>

しかし、そう言う時代の流れの中でもお金に執着しない人はいたのです。その典型の一人がロスタルだったのです。
ロスタルは音楽を手段として社会的な名声を求める立場からは遠く離れ、ひたすら音楽そのものを愛し続けた人になろうとした数少ない一人でした。

ですから、彼は演奏家としての名声には全くこだわることはなく、録音に関しても自由に振る舞えるマイナーレーベルの方を好んだ人でした。そのために、演奏家としての知名度は低く、そう言う彼を無視する多くの聴衆のあり方に怒りの言葉を向けている評論家も多かったようです。
また、彼のもう一つの業績として、数多くの同時代の作曲家の作品を取り上げて、多くの若手作曲家がコンサート・プログラムでその地位を獲得するのを助けた事も忘れてはいけないようです。

そう言う活動も含めて、彼は演奏家としての名声よりも多くの若者に音楽の素晴らしさを伝えることの方に多くのインセンティブを感じていたのでしょう。

その結果としてか、彼は音楽に対してどこまでも「誠実」であろうとした人だったのです。
ですから、数は多くはないのですが、残された録音を聞くときにそこから浮かび上がってくる思いは「誠実」という言葉です。それは、「ノーブル」という言葉に着替えてもいいのかもしれません。そこには演奏効果を狙う華やかさとは全く縁がなく、静かに、そしてゆったりと歌い上げていくのがロスタルのスタイルです。そして、彼の紡ぎ出す音楽は常に立派すぎるほどに立派な佇まいを失いませんでした。

そして、そう言うノーブルさはベートーベンやブラームスの作品は言うまでもなく、バルトークやベルクのような新しい音楽であっても感じられるものです。
とはいえ、バルトークやベルクのような新しい音楽ではあまりにも優美で、そしてあまりにも立派に響き過ぎ部分があるので、もう少し尖ってほしいと思う人がいるかもしれません。そう言う意味では、音楽に多する姿勢と同様に、本質的には古き良きヨーロッパという一つ前の時代に根っこを持った人だったのでしょう。

そう言う意味では、ブラームスやエルガーのようなロマン派の音楽との相性が一番いい人であることは否定できなようです。

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