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ブッシュ弦楽四重奏団(The Busch Quartet)|ベートーベン:弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調「セリオーソ」Op.95
ベートーベン:弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調「セリオーソ」Op.95
ブッシュ弦楽四重奏団 1932年9月10日~15日録音
Beethoven:String Quartet No.11 in F minor Op.95 "Serioso" [1.Allegro con brio]
Beethoven:String Quartet No.11 in F minor Op.95 "Serioso" [2.Allegretto ma non troppo]
Beethoven:String Quartet No.11 in F minor Op.95 "Serioso" [3.Allegro assai vivace ma serioso - Piu Allegro]
Beethoven:String Quartet No.11 in F minor Op.95 "Serioso" [4.Larghetto espressivo ? Allegretto agitato - Allegro]
過渡期の2作品
この分野における「傑作の森」を代表するラズモフスキーの3曲が書かれるとベートーベンは再び沈黙します。おそらくこの時期のベートーベンというのは「出力」に次ぐ「出力」だったのでしょう。己の中にたぎる「何もの」かを次々と「音楽」という形ではき出し続けた時期だったといえます。
ですから、この「分野」においてはとりあえずラズモフスキーの3曲で全て吐き出し尽くしたという思いがあったのでしょう。
しばらくの沈黙の後に作り出された2曲は、ラズモフスキーと比べればはるかにこぢんまりとしていて、音楽の流れも肩をいからせたところは後退して自然体になっています。
しかし、後期の作品に共通する深い瞑想性を獲得するまでには至っていませんから、これを中期と後期の過渡期の作品と見るのが一般的となっています。
弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 OP.74「ハープ」
第1楽章の至る所であらわれるピチカートがハープの音色を連想させることからこのニックネームがつけられています。
この作品の一番の聞き所は、ラズモフスキーで行き着くところまで行き着いたテンションの高さが、一転して自然体に戻る余裕を聞き取るところにあります。ですから、ラズモフスキー第3番のぶち切れるような終結部を聞いた後にこの作品を続けて聞くと得も言われぬ「味わい」があったりします。(^^;
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調OP.95「セリオーソ」
第10番「ハープ」で縮小した規模は、この「セリオーソ」でさらに縮んでいきます。もうこの作品からは中期の「驀進するベートーベン」は最終楽章の終結部にわずかばかりかぎ取ることができるぐらいで、その他の部分はベートーベン自身が名付けた「セリオーソ」という名前通りにどこか「気むずかしい」表情でおおわれています。
昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるはず
ベートーベンの弦楽四重奏曲の演奏史を遡っていけば、このブッシュ弦楽四重奏団とブダペスト弦楽四重奏団による戦前の録音あたりで流れが分かれたような気がします。そして、そこから遡って源流を辿ればレナー弦楽四重奏団による1930年代の世界初の全曲録音に辿り着くのでしょうが、おそらくこの二つのカルテットはそのオリジンから引き継いで新しく踏み出した方向性が異なったのでしょう。
このレナー弦楽四重奏団による全集もいつかは紹介する必要はあるとは思っているのですが、それよりも先に紹介したいと思える録音がたくさん存在しますので、それはいつのことになるかは分かりません。
ただ、非常に雑駁な言い方になってしまうのですが、レナー弦楽四重奏団の演奏はこの上もなく上品で典雅な雰囲気はあるのですが、基本的にはベートーベンの音楽が持っている構造性への切り込みという点では物足りなさを感じます。その「構造性」のことを、世間では「精神性」という便利な言葉で表現するのですが、まあ言ってみればアダージョ楽章は素晴らしくても、全体的にはベートーベンらしいがっしりとした無骨さみたいなものは希薄なのです。
もちろん、復刻音源によって聞こえ方は随分違うという話も聞くのですが、ファースト・ヴァイオリンが主導した主情的な演奏であることには違いはないでしょう。
そして、そう言うオリジンからの流れを受けて、出来る限りその様な主情性を排して、その音楽が持っている構造を明瞭に描き出す方に足をすすめたのがブダペスト弦楽四重奏団だったような気がします。
ブダペスト弦楽四重奏団はブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって1917年に結成されたのですが、1938年には活動の本拠地をアメリカに移し、そしてメンバーもいつの間にか全員がロシア人になってしまっていました。
つまりは、彼らは「ブダペスト弦楽四重奏団」というローカルなネーミングは最後まで維持しながらも、その実態は極めて無国籍な、コスモポリタンな存在になっていたのです。そう言う団体が、アメリをに本拠に活動を行えば、当時アメリカを席巻しつつあったザッハリヒカイトな方向に向かうのは必然と言えば必然でした。
それに対して、ブッシュ弦楽四重奏団はアドルフ・ブッシュが中心となって1919年に設立されたのですが、親友であったルドルフ・ゼルキンがナチスによって1935年にドイツから追放されると、彼もまたゼルキンを追ってスイスに亡命し、さらには1939年には家族とブッシュ弦楽四重奏団のメンバー全体がアメリカに活動の本拠を移しました。ドイツ人でありながらナチスに対する積極的な抗議としてドイツを去ったのは、アドルフ・ブッシュ、エーリッヒ・クライバー、トーマス・マンなどそれほど多くなかったことを思えば、彼の決断と行動は賞賛に値するものでした。
そして、彼はナチスに対して強い怒りをもちながらもドイツ芸術の継承者であるという自負を最後まで失うことはありませんでした。
ですから、彼は、そして彼が率いるブッシュ弦楽四重奏団はあくまでも「ドイツ」という根っこを持ち続け、決して無国籍な存在にはなりませんでした。彼らは、レナー弦楽四重奏団が持っていた強い主情性を捨てることなく、その上にベートーベンが持っている構造性というか、無骨さみたいなものを追求しました。
彼らは、ベートーベンの弦楽四重奏曲と向き合うときは、そこには気迫を込めて、不器用ではあっても作品に内在するベートーベンの真実をえぐり出そうとする意気込みが感じ取れますし、武骨であり無愛想でありながら、その底から何とも言えないロマンティックな音楽が聞こえてきます。
その事こそが、ブダペスト弦楽四重奏団が踏み出した一歩とは異なるスタイルだったのです。
しかしながら、聞いていて私が一番心動かされるのは、その無骨さよりも「ロマンティシズム」があふれ出す部分である事は正直に告白しなければいけません。
もっと分かりやすく言ってしまえば彼らの「泣き節」にこそ一番魅力を感じてしまうのです。
たとえば、第1番の弦楽四重奏曲からして、その第2楽章に溢れている「若きベートーベンの悲劇性への憧れ」みたいなものが見事に表現されています。
しかし、重要なことは、音楽とは「泣き節」だけでは成立しないので、その前の「第1楽章」において充分なお膳立てがされていることです。ある人によれば、この第1楽章は「ロミオとジュリエット」の墓場のシーンからイメージされたと言います。
つまりは、第1楽章がその様なシーンとして描かれているからこそ、この第2楽章の「泣き節」が生きてくるのです。
そして、もう一つ重要なことは、このブッシュ弦楽四重奏団は何処までいってもファースト・ヴァイオリンのアドルフ・ブッシュが主導していると言うことです。これは、4人の奏者が対等に会話を交わすように演奏するブダペスト弦楽四重奏団とは根本的に異なるところです。つまりは、今の耳からすれば、そのスタイルは極めて古いものだと言わざるを得ないのです。しかし、そのスタイルこそが魅力的な「泣き節」を生み出していることも事実なのです。
しかしながら、このあとの時代をすでに知っている私たちにとって、この二つの分かれ道から大きな流れへとつながっていったのはブダペスト弦楽四重奏団が歩み出した方だったことを知っています。
彼らは50年代初頭に完成させたモノラル録音において、この道の辿り着くべき頂点の姿を誰の耳にも分かるように提示して見せました。そして、それ以降はジュリアードやアルバン・ベルクなどのカルテットはその道の上を歩き続けることになり、逆にブッシュ弦楽四重奏団が選んだ道を辿るものは絶えてしまったのです。
つまりは、ブッシュ弦楽四重奏団の演スタイルは、今となっては二度と聞くことのできない演奏スタイルになってしまったのです。
しかし、ブダペスト弦楽四重奏団が踏み出した道は大きな矛盾も生み出しました。
それは、外面的なアンサンブルを整えることのみに力が傾注され、その結果としてその音楽からはベートーベンの姿が全く見えてこないという困ったことがおこるようになったことです。それは例えてみれば、書かれている内容を全く理解していないにも関わらず、完璧な発音で朗読されるような虚しさに通じるような演奏です。
とは言え、こんな古い時代の録音を、さらに言えばそんな古い録音で時代に取り残されたような演奏スタイルを聞く気は起きないという人もいるでしょう。
そう言う人は、取りあえずは第1番の「第2楽章」、第12番の「第2楽章」、第13番の「第5楽章」、第15番の「第3楽章」、さらには最後の第16番の「第3楽章」あたりを聞いてみてください。
もちろん、こういう聴き方は邪道であることは分かっているのですが、それでもそのあたりだけでも聞いてもらえば、「オー、意外といいじゃない!」となり、さらには「30年代の録音と言っても思った以上に音がいいね」につながり、さらに突っ込んでみれば「ブッシュ弦楽四重奏団って凄く木の香りが漂うような素敵な音色を醸し出すんだね」などと言うことに気づいていただけるかもしれません。
もしも、そうであるならば、その時こそあらためて作品全体を聞き直してみてください。
老練な聞き手の方にとって入らぬ老婆心かもしれませんが、こういう演奏は昨今のハイテクカルテットを聞きあきた耳にはかえって新鮮に聞こえるはずです。
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