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ギレリス(Emil Gilels)|シューマンピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品63
シューマンピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品63
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1958年録音
Schumann:Piano Trio No.1 in D minor, Op.63 [1.Mit Energie und Leidenschaft]
Schumann:Piano Trio No.1 in D minor, Op.63 [2.Lebhaft, doch nicht zu rasch]
Schumann:Piano Trio No.1 in D minor, Op.63 [3.Langsam, mit inniger Empfindung - Bewegter - Tempo I - attacca]
Schumann:Piano Trio No.1 in D minor, Op.63 [4.Mit Feuer - Nach und nach schneller]
まだ期待される多くのものを持っている人によって作曲されたかのようで
シューマンがピアノとヴァイオリン、そしてチェロという組み合わせからなる三重奏曲に取り組もうという気になったのはメンデルスゾーンの影響が大きいと言われています。
両者はそれぞれに影響を与えあっていたのですが、その中でもシューマンはメンデルスゾーンのニ短調の三重奏曲に強い関心の寄せていました。とりわけ、その作品において3つの楽器が見事なバランスを保持して鳴り響くのを聞いて、自らも同じような三重奏曲を書こうと思い立ったのでした。
そして、1947年に入って体力の衰えが著しかったメンデルスゾーンの様子を見て、何とか彼の存命中に同じニ短調による三重奏曲を書き上げようとしたのでした。
しかし、その時期はまた、シューマンにとっても自らの精神障害を自覚し始める時期でもありました。
しかし、音楽的には創作力の衰えは全くなかったようで、47年の6月にスケッチに取りかかり、その年の夏にはこの作品に全力を投入し、クララの誕生日である9月には完成をみています。
そして、その年の誕生日プレゼントとしてこの作品をクララに贈るのです。
クララは日記のなかでこの作品に対して次のように記しています。
この曲は、まだ期待される多くのものを持っている人によって作曲されたかのようで、きわめて力強く、若々しいエネルギーにみち、また同時に充実した書法をもっている。
おそらく、シューマンの精神障害を心配していたクララにすれば、彼が未だに音楽的には衰えていないことを確認できてホッとしたのでしょう。
「まだ期待される多くのものを持っている人によって作曲された」と言う言葉にはその様なクララの安堵の気持ちが如実に表れています。
- 第1楽章:Mit Energie und Leidenschaft(精力と情熱を持って)
雄大な構成をもった音楽であり、クララは「これまで私が知っているもっとも素晴らしい音画の一つのように感じられる」と記しています。
- 第2楽章:Lebhaft, doch nicht zu rasch(生き生きと、しかし速すぎずに)
スケルツォに相当する音楽なのですが、ベートーベンのスケルツォと較べればロマン派らしい幻想性を持っています。
- 第3楽章:SLangsam, mit inniger Empfindung - Bewegter - Tempo I - attacca(ゆるやかに、心からの感情をこめて)
悲しみに溢れた音楽であり、シューマンらしい叙情性に溢れています。
- 第4楽章:Mit Feuer - Nach und nach schneller(火のように)
先立つ楽章とはガラリと雰囲気を変えた激しさと力強さに溢れた音楽になっています。そして、フィナーレは大きな頂点を築いてニ長調で結ばれます。
ギレリスが主導しつつも3人の覇気があふれている演奏
何ともはや、凄まじい顔ぶれです。
ピアノがギレリス、ヴァイオリンがコーガン、そしてチェロがロストポーヴィッチというのですから、この顔ぶれでコンサート会場に姿を現した日にはよい子の皆さんならば卒倒しちゃうじゃないでしょうか。そして、その「卒倒」にはオーラに圧倒されると言うだけでなく、素直に「恐い」という感情も入り交じるはずです。
顔ぶれは変わるのですが、カラヤン、リヒテル、オイストラフ、そしてロストポーヴィッチという組み合わせで録音されたベートーベンのトリプル・コンチェルトにまつわるエピソードは有名です。これだけ「我」の強いメンバーを集めればどうなるかは容易に想像がつくのですが、現実はそう言う「想像」をこえた大喧嘩が繰り広げられたことはあまりにも有名です。
そして、そう言う大喧嘩の中でただ一人ロストロポーヴィッチだけが何とか間を取り持とうとして大声を上げ続けたそうです。
そう言えば、アメリカでも「100万ドルトリオ」というのがありました。
ルービンシュタインのピアノ、ハイフェッツのヴァイオリン、フォイアマンのチェロという組み合わせなのですが、ここでもいがみ合うルービンシュタインとハイフェッツの間に入って仲を取り持とうとしたのはチェロのフォイアマンだと言われています。
そして、このトリオはそのフォイアマンの夭逝によってわずか1年で解散してしまうのですが、その後、ピアティゴルスキーをむかえいれて再結成されます。そして、同じくハイフェッツとルービンシュタインの間ではバトルが繰り広げられるのですが、その時も間にはいるのはピアティゴルスキーだったそうです。
楽器の特性がそれを演奏する人間の性格に影響を与えることは間違いないようです。
とにかく前に出てソロをつとめることが多いピアノとヴァイオリン、それを縁の下で支えることが多いチェロという楽器の特性が、そのまま演奏家の思考パターンや感情、価値観にまで根深く食い込んでしまうことは否定できないようです。
その事を思えば、ギレリス、コーガン、ロストポーヴィッチと言う顔ぶれはアメリカの「100万ドルトリオ」と較べても全く遜色のない組み合わせですから、その録音現場はさぞや大変だったのではないかと想像されるのですが、そう言う下世話な予想に反してこのトリオに関してはそう言うバトルの話も伝えられていません。
しかしながら、その理由らしきモノは、少し考えてみれば容易に想像がつきます。
まずは、このトリオを組んだときの年齢です。
私の手もとにある、このコンビによるもっとも古い録音は1950年録音のハイドンの「XV:19」とベートーベンの作品番号外「WoO38」のピアノ・トリオです。
この時、もっとも年長だったギレリスでも34歳、コーガンとロストロポーヴィッチは未だ20代前半だったのです。
結局、こういうコンビが上手くいかないのは、それぞれのプレーヤーが俗な言い方をすれば「一国一城」の主になっているからであって、そして、その「一国」の領土をそれぞれが主張をして譲らないからです。
今から見れば恐くなるような顔ぶれなのですが、このトリオが組まれたときは未だ「一城の主」にはほど遠い若手の演奏家だったのです。
さらに、3人ともモスクワ音楽院の出身だと言うことも、そう言うバトルが勃発することを抑止したのかも知れません。
ハイフェッツとルービンシュタインのバトルは、ひたすら真面目に音楽に向き合いたいハイフェッツと、ウィットに富んだ面白味を大切にしたいルービンシュタインとの気質の違いこそが根っこにありました。しかし、この3人に関してはともにモスクワ音楽院という根っこを持っているがために、その気質には大きな相違はなかったように思われるのです。
そして、若いと言ってもギレリスは後の二人と較べれば10年以上も年長であり、さらに西側での演奏活動も許されてそれなりにキャリアを積み上げつつあったので、基本的には彼が主導する形でアンサンブルが形作られたこともプラスに作用しているのでしょう。
面白いのは、活動の最初に取り上げた作品がどれもこれもマイナーだと言うことです。正直言って、よくぞこの顔ぶれでハイドンの三重奏曲を2曲も残してくれたものだと感謝せずにはおれません。
モーツァルトのトリオも彼の作品の中では明らかに初心者による演奏を前提としたものです。
ベートーベンのトリオも作品番号外のマイナー作品です。
- ハイドン:ピアノ三重奏曲 ト短調 Hob.XV:19 1950年録音
- ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第9番 変ホ長調 WoO.38 1950年録音
- ハイドン:ピアノ三重奏曲 ニ長調 Hob.XV:16 1951年録音
- モーツァルト:ピアノ三重奏曲 第7番 ト長調 K.564 1953年録音
しかしながら、そう言うマイナーな作品であるが故に自由に振る舞うことが許されたのかも知れません。「覇気溢れる」という言葉がこれほどピッタリくる演奏は滅多にあるものではありません。
音楽的にはギレリスが主導している感じはあるのですが、コーガンのヴァイオリンは伸びやかであると同時にここぞという場面での切れも素晴らしいです。
そして、ロストロポーヴィッチのチェロがどちらかと言えば控えめに感じられるのは、音楽そのものがそうなっているからでもあるのですが、やはり3人の間における立ち位置も影響しているのでしょう。
それと比べると、その後に録音されたメジャー作品では、若さあふれる勢いは失ってはいないものの、より緊密なアンサンブルを聴かせてくれています。
- ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番「大公」 変ロ長調 Op.97 1956年録音
- シューマン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.63 1958年録音
ただし、それがこの顔ぶれにしてはいささかこぢんまりしてしまった恨みもあります。それが、50年代初めの録音に較べると、その録音のクオリティが不思議なほどに劣っていることも影響をしているのかも知れません。
「録音」という形で残ってしまうとギレリスのピアノにはもう少し繊細さがほしかったような気賀するのも同様の理由かも知れません。
しかし、それもまた、後年に偉大な名を残すことになる巨匠達の若き日の記録として聞いてみれば、それなりに味深い録音はそうあるものではありません。
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