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アントニオ・ヤニグロ(Antonio Janigro)|ベートーベン:チェロソナタ第1番 ヘ長調 Op.5-1
ベートーベン:チェロソナタ第1番 ヘ長調 Op.5-1
(Cell)アントニオ・ヤニグロ (P)イェルク・デムス 1964年録音
Beethoven:Cello Sonata No.1 in F major, Op.5 No.1 [1.Adagio sostenuto - 2.Allegro]]
Beethoven:Cello Sonata No.1 in F major, Op.5 No.1 [3.Allegro vivace]
チェロの新約聖書
チェロという楽器はヴァイオリンやヴィオラと比べると独奏楽器として活躍する作品は多くはありません。
例えば、モーツァルトはチェロを独奏楽器とした作品は一つも残していません。これは、チェロを飯の種にする演奏家にとってはかえすがえすも残念なことでしょう。
そんな中で、ベートーベンが5つのチェロソナタを残してくれたことは、バッハの6つの無伴奏組曲とならんで、チェリストに対する福音となっています。
また、ベートーベンのチェロソナタはベートーベンの初期に2つ、中期に1つ、そして後期に2つという具合に、その全生涯にわたって実にバランスよく作曲されたために、1番から順番に5番まで聞き通すと、ベートーベンという偉大な音楽家の歩んだ道をミニチュアを見るように俯瞰できるという「特典」がついてきます。(^^)
俗な言い方になりますが、バッハの無伴奏組曲がチェロの旧約聖書とするなら、ベートーベンのチェロソナタは新約聖書と言っていい存在です。
(1)二つのチェロソナタ 作品5
1796年にベルリンで完成されたこの二つのソナタは、プロイセン国王フリードリヒを念頭に置いて作曲されたと言われています。
よく知られているように、フリードリヒはチェロの名手として知られており、この二つのソナタを献呈する事によって何らかの利益と保証を得ようとしたようです。
初演は宮廷楽団の首席チェリストだったデュポールとベートーベン自身によって国王の前で行われました。
この二つのソナタは、明るくて快活な第1番、感傷的な第2番というように性格的には対照的ですが、ともに長大な序奏部を持っていて、そこでたっぷりとチェロに歌わせるようになっているところは、明らかにフリードリヒを意識した作りになっています。
また、至る所に華やかなピアノのパッセージが鏤められていることも、国王のまでベートーベン自身がピアニストとして演奏することを十分に意識したものだと思われます。
(2)チェロソナタ第3番 作品69
ベートーベンのチェロソナタの中では最もよく知られている作品です。
傑作の森と言われるベートーベン中期を代表するソナタだといえます。第1楽章冒頭の、チェロに相応しいのびのびとしたメロディを聞くだけで思わず引き寄せられるような魅力を内包しています。
全体としてみると、チェロはかなり広い音域にわたって活躍し、とりわけ高音域を自由に駆使することによってピアノと同等に渡り合う地位を獲得しています。
この作品は、ベートーベンの支援者であったグライヘンシュタイン男爵に献呈されています。
当初、男爵にはピアノ協奏曲第4番を献呈するつもりだったのが、ルドルフ大公に献呈してしまったので、かわりにチェロの名手でもあった男爵のためにこの作品を書いたと言われています。
(3)二つのチェロソナタ 作品102
ベートーベンの後期を特徴づける幻想的な雰囲気がこの二つのソナタにもあふれています。
とりわけ、第5番のソナタは第2楽章に長大なアダージョを配して、深い宗教的な感情をたたえています。
この作品は、ラズモフスキー家の弦楽四重奏団のチェロ奏者であったリンケのために書かれ、エルデーディ伯爵夫人に献呈されています。
伯爵夫人はベートーベンの良き理解者であり、私生活上の煩わしい出来事に対しても良き相談相手としてあれこれと尽力してくれた人物でした。
リンケと伯爵夫人の関係については諸説があるようですが、ピアノの名手でもあった伯爵夫人がリンケとともに演奏が楽しめるようにと、夫人への感謝の意味をこめて作曲したと言われています。
ベートーベンのスコアに対して真摯に向き合いながら、実に丁寧に音を紡いでいる
ヤニグロというチェリストと初めてであったのは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」でした。その外連味満点の演奏には驚かされるとともにすっかり感心させられたものでした。
ところが、その後シューベルトのアルペジョーネ・ソナタを聞いてみれば至極真っ当な演奏で、なかなか一筋縄ではいかんなぁと言うところでした。
さらに調べてみると、彼は本業のチェリストとしての活動を続けながら、1953年にはザグレブ室内合奏団を自ら結成して指揮活動にも力を注ぎ始めています。
そして、詳しいことは分からないのですが、60年代に入ると神経障害による手の故障が表面化し始めたようで、次第にチェリストとしての活動から指揮者としての活動に重点を移していくようになります。
ですから、この1964年にイェルク・デムスと組んで録音したベートーベンのチェロ・ソナタは貴重です。
そこでは、ライナーを向こうに回して「ドン・キホーテ」で好き勝手に演奏を繰り広げた姿はどこにもありません。手の障害がどれほど演奏に影響を与えるようになっていたのかは分かりませんが、50年代のような演奏が出来なくなっていたことは間違いありません。
しかし、おかしな言い方ですが、その事がここでは決してマイナスには働いていないように思えます。
そこでは一切の無理はしないで、ベートーベンのスコアに対して真摯に向き合いながら、実に丁寧に音を紡いでいっています。
そして、おそらくこれが一番肝要かと思われるのですが、ベートーベンのチェロ・ソナタというのはどれをとってみても華々しい演奏効果を狙う音楽ではなくて、どちらかと言えば内へ内へと沈潜していくような音楽です。
ですから、そんな作品に対して助平心を出すことは決してプラスにはなりません。
おそらく、全盛期と較べてみれば思うに任せぬ部分を感じながら、それ故に一音一音を大切にしながら音を紡いでいったのでしょう。
そして、その様な演奏がヤニグロにとっては数少ないステレオ録音として残ったことはこの上もない幸運でした。
それから、最後に付け足しのようになるのですが、パートナーを務めているデムスのピアノも立派なものです。
基本的にチェロは歌いますから、音楽の構造を任されるのはピアノです。そのピアノが力足らずでただの伴奏に終わってしまうと音楽の形が定まりません。
ここでのデニスは実にいい仕事をしています。
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