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ベートーベン:弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 OP.18-6

ハンガリー弦楽四重奏団:1953年録音

Beethoven:String Quartet No.6 in B Flat major Op.18-6 [1st movement]

Beethoven:String Quartet No.6 in B Flat major Op.18-6 [2nd movement]

Beethoven:String Quartet No.6 in B Flat major Op.18-6 [3rd movement]

Beethoven:String Quartet No.6 in B Flat major Op.18-6 [4th movement]


ベートーベンの心の内面をたどる

ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。

ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。

<前期の6作品>
弦楽四重奏曲という形式を完成させたのは言うまでもなくハイドンでありモーツァルトです。彼らは、単なるディヴェルティメント的な性格しか持っていなかったこの形式を、個人の心の内面を語る最もシリアスな音楽形式へと高めていきました。ベートーベンがこの形式の創作のスタートラインとしたのは、このハイドンやモーツァルトが到達した終着点だったのです。

ベートーベンがこのジャンルの作品を初めて世に問うたのは30才になろうとする頃です。この時までに、彼は室内楽の分野では多くのピアノ・トリオと弦楽三重奏曲、三つのヴァイオリン・ソナタ、二つのチェロ・ソナタ、さらに様々な楽器の組み合わせによる四重奏や五重奏を書いています。ですから、作品番号18として6曲がまとめられている最初の弦楽四重奏曲は、その様な作曲家としての営為の成果を問うものとして、まさに「満を持して」発表されました。

弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 OP.18-1
全6曲の中ではおそらく2番目に創作されたものだと言われています。しかし、第1楽章の堂々たる音楽を聞けば、何故にベートーベンがこの作品を「第1番」とナンバリングしたのかが分かります。
最初の2小節で提示される動機を材料にして緊密に全体をくみ上げていく手法は後のベートーベンのすすみ行く方向性をはっきりと暗示しています。また、深い情緒をたたえた第2楽章も「ぼくはロメオとジュリエットの墓場の場面を考えていた」と述べたように、若きベートーベンの憂愁をうかがわせるものであり、まさにこのジャンルのスタートを飾るに相応しい作品に仕上がっています。

弦楽四重奏曲第2番 ト長調 OP.18-2「挨拶」
全6曲の中では3番目に完成されたものだと言われています。第1楽章の主題がまるで「挨拶」をかわしているかのように聞こえるために、それが作品のニックネームとなっています。

弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 OP.18-3
ベートーベンが完成させた最初の弦楽四重奏曲だと言われています。全6曲の中では最も明るさと幸福感に満ちた作品ですが、それは、ウィーンに出てきて音楽家としての新たなスタートを切った青年ベートーベンの希望に満ちた心象風景の反映だろうと言われています。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 OP.18-4
作品番号18の6曲の中では最も最後に完成された作品だと言われています。そして、最後だからと言うわけではないのですが、疑いもなくこの全6曲の中では最も高い完成度を誇っているのがこの作品です。
モーツァルトにとってト短調というのが特別な意味を持った調性だったように、ベートーベンにとってはハ短調というのは特別なものでした。ベートーベンがこの調性を採用するときは音楽は劇的な性格の中に悲劇的な美しさを内包するものとなりました。そして、おそらくはこの調性に彼が求めていたものを初めてしっかりとした形で実現したのがこの作品だったと言えます。

弦楽四重奏曲第5番 イ長調 OP.18-5
全6曲の中では4番目に作曲されたものですが、聞けば分かるようにモーツァルトの音楽を連想させるような音楽で、とりわけ第2楽章のメヌエットはまるでモーツァルト聴いているかのような錯覚に陥ります。そういう意味では最もベートーベンらしくない作品なのですが、聞いていて実に楽しい気分させてくれると言うことでは悪くない作品です。

弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 OP.18-6
全6曲の中では5番目の作品というのが痛切ですが、番号通り最後の作品と見る人もいます。全体としては初期作品に共通する「明るさ」が全曲を支配しているのですが、第4楽章の冒頭に「ラ・マリンコニア(メランコリー)」と題された長大な序奏がつくのが特徴です。

<中期の5作品>

ラズモフスキー四重奏曲
作品番号18で6曲の弦楽四重奏曲を完成させた後、このジャンルにおいてベートーベンは5年間の沈黙に入ります。その5年の間に「ハイリゲンシュタトの遺書」で有名な「危機」を乗り越えて、真にベートーベン的な世界を切り開く「傑作の森」の世界に踏みいります。交響曲の分野では「エロイカ」を書き、ピアノソナタでは「ワルトシュタイン」や「アパショナータ」を書き、ヴァイオリン・ソナタの分野では「クロイツェル」を書き上げます。そして、交響曲の4番・5番・6番という彼の創作活動の中核といえるような作品が生み出されようとする中で、「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれる3つの弦楽四重奏曲が産み落とされたのです。
この5年は、弦楽四重奏曲のジャンルにおいてもベートーベンを大きく飛躍させました。ハイドンやモーツァルトの継承者としての姿を明確に刻印していた初期作品とはことなり、ここではその様な足跡を探し出すことさえ困難です。特にこのラズモフスキー四重奏においては、モーツァルトやハイドンが書いた弦楽四重奏曲とは全く異なったジャンルの音楽を聞いているかのような錯覚に陥るほどに相貌の異なった音楽が立ち上がっています。
そして、それ故にと言うべきか、これらの作品は初演時においてはベートーベンの悪い冗談だとして笑いがもれるほどに不評だったと伝えられています。

では、何が6つの初期作品とラズモフスキーの3作品を隔てているのでしょうか?
まず誰でも感じ取ることができるのはその「ガタイ」の大きさでしょう。ハイドンやモーツァルト、そして初期の6作品はどこかのサロンで演奏されるに相応しい「ガタイ」ですが、ラズモフスキーはコンサートホールに集まった多くの聴衆の心を揺さぶるに足るだけの「ガタイ」の大きさを持っています。そして、その「ガタイ」の大きさは作品の規模の大きさ(7番の第1楽章は400小節に達します)だけでなく、作品の構造が限界まで考え抜かれた複雑さと緻密さを持っていることと、それを実現するために個々の楽器の表現能力を限界まで求めたことに起因しています。その結果として、4つの弦楽器はそれぞれの独自性を主張しながらも響きとしてはそれらの楽器の響きが緻密に重ね合わされることで、この組み合わせ以外では実現できない美しくて広がりのある響きが実現していることです。ただし、この「響き」はオーディオ装置ではなかなかに再現が難しくて、特にこのラズモフスキーなどでは時にエキセントリックに響いてしまうのですが、すぐれたカルテットの演奏をすぐれたホールで聞くと夢のように美しい響きに陶然とさせられます。

弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 OP.59-1「ラズモフスキー第1番」
壮麗で雄大な第1楽章と悲哀の思いと強い緊張感に満たされた第3楽章の対比が印象的な作品です。ラズモフスキーの3曲の中では最も規模の大きな作品であり、音楽の性格も外へ外へと広がっていくような大きさに満ちています。

弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 OP.59-2「ラズモフスキー第2番」
この作品はラズモフスキーの第1番とは対照的に内へ内へと沈み込んでいくような雰囲気に満ちています。特に、モルト・アダージョと題された第2楽章はベートーベン自身が「深い感情を持って演奏するように」と注意書きをしたためたように、人間の心の中に潜む深い感情を表現しています。

弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 OP.59-3「ラズモフスキー第3番」
この作品の終楽章はフーガの技法が駆使されていて、これぞベートーベンといえる堂々たる音楽に仕上がっています。そして、その終結部はこの4つの楽器で実現できる最高のド迫力だと言い切っていいでしょう。

過渡期の2作品
この分野における「傑作の森」を代表するラズモフスキーの3曲が書かれるとベートーベンは再び沈黙します。おそらくのこの時期のベートーベンというのは「出力」に次ぐ「出力」だったのでしょう。己の中にたぎる「何者」かを次々と「音楽」という形ではき出し続けた時期だったといえます。
ですから、この「分野」においてはとりあえずラズモフスキーの3曲で全て吐き出し尽くしたという思いがあったのでしょう。しばらくの沈黙の後に作り出された2曲は、ラズモフスキーと比べればはるかにこぢんまりとしていて、音楽の流れも肩をいからせたところは後退して自然体になっています。しかし、後期の作品に共通する深い瞑想性を獲得するまでには至っていませんから、これを中期と後期の過渡期の作品と見るのが一般的となっています。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 OP.74「ハープ」
第1楽章の至る所であらわれるピチカートがハープの音色を連想させることからこのニックネームがつけられています。
この作品の一番の聞き所は、ラズモフスキーで行き着くところまで行き着いたテンションの高さが、一転して自然体に戻る余裕を聞き取るところにあります。ですから、ラズモフスキー第3番のぶち切れるような終結部を聞いた後にこの作品を続けて聞くと得も言われぬ「味わい」があったりします。(^^;

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調OP.95「セリオーソ」
第10番「ハープ」で縮小した規模は、この「セリオーソ」でさらに縮んでいきます。もうこの作品からは中期の「驀進するベートーベン」は最終楽章の終結部にわずかばかりかぎ取ることができるぐらいで、その他の部分はベートーベン自身が名付けた「セリオーソ」という名前通りにどこか「気むずかしい」表情でおおわれています。

<後期の孤高の作品>
己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとするロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。
「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。

弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 OP.127
「ミサ・ソレムニス」や「第9交響曲」が作曲される中で生み出された作品です。形式は古典的な通常の4楽章構成で何の変哲もないものですが、そこで歌われる音楽からは「構築するベートーベン」は全く姿を消しています。
変わって登場するのは幻想性です。その事は冒頭で響く7つの音で構成される柔らかな和音の響きを聞けば誰もが納得できます。これを「ガツン」と弾くようなカルテットはアホウです。

なお、この作品と作品番号130と132の3作はロシアの貴族だったガリツィン侯爵の依頼で書かれたために「ガリツィン四重奏曲」と呼ばれることもあります。

弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 OP.130
番号では13番ですが、「ガリツィン四重奏曲」の中では一番最後に作曲されたものです。ベートーベンはこの連作の四重奏曲において最初は4楽章、次の15番では5楽章、そして最後のこの13番では6楽章というように一つずつ楽章を増やしています。特にこの作品では最終楽章に長大なフーガを配置していましたので、その作品規模は非常に大きなものとなっていました。しかし、いくら何でもこれでは楽譜は売れないだろう!という進言もあり、最終的にはこのフーガは別作品として出版され、それに変わるものとして明るくて親しみやすいアレグロ楽章が差し替えられました。ただし、最近ではベートーベンの当初の意図を尊重すると言うことで最終楽章にフーガを持ってくる事も増えてきています。
なお、この作品の一番の聞き所は言うまでもないことですが、「カヴァティーナ」と題された第5楽章の嘆きの歌です。ベートーベンが書いた最も美しい音楽の一つです。ベートーベンはこの音楽を最終楽章で受け止めるにはあの「大フーガ」しかないと考えたほどの畢生の傑作です。

「大フーガ」 変ロ長調 OP.133
741小節からなる常識外れの巨大なフーガであり、演奏するのも困難、聞き通すのも困難(^^;な音楽です。

弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 OP.131
孤高期の作品にあって形式はますます自由度を増していきますが、ここでは切れ目なしの7楽章構成というとんでもないとところにまで行き着きます。冒頭の第1ヴァイオリンが主題を歌い、それをセカンドが5度低く応える部分を聞いただけでこの世を遠く離れた瞑想の世界へと誘ってくれる音楽であり、その様な深い瞑想と幻想の中で音楽は流れきては流れ去っていきます。
ベートーベンの数ある弦楽四重奏曲の中でユング君が一番好きなのがこの作品です。

弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132
「ガリツィン四重奏曲」の中では2番目に作曲された作品です。この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。

弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 OP.135
第14番で極限にまで拡張した形式はこの最後の作品において再び古典的な4楽章構成に収束します。しかし、最終楽章に書き込まれている「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉がこの作品に神秘的な色合いを与えています。
この言葉の解釈には家政婦との給金のことでのやりとりを書きとめたものという実にザッハリヒカイトな解釈から、己の人生を振り返っての深い感慨という説まで様々ですが、ベートーベン自身がこの事について何も書きとめていない以上は真相は永遠に藪の中です。
ただ、人生の最後を感じ取ったベートーベンによるエピローグとしての性格を持っているという解釈は納得のいくものです。


淡泊で内へ内へと向かうスタイル

どうしてハンガリー弦楽四重奏団のベートーベンがないんだ?と言う声がよく寄せられます。ついでに言えば、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のベートーベンも聴いてみたい・・・と言う声も結構あります。
この50年代の初頭というのは、今と違って、こういうカルテットに対する需要が多かったのでしょうか、実にたくさんの録音が残されています。このサイトでも、「バリリ弦楽四重奏団 1952~1956年録音」と「ブダペスト弦楽四重奏団 1951?1952年録音」が全集としてアップしていますし、さらにブダペスト弦楽四重奏団のステレオ録音の全集も近いうちに全曲がアップできそうです。

当初は、クラシック音楽というこの広大な世界をとにかく概観できるように作品をアップしていこうという方針で音源を選択してきました。そして、その積み重ねでサイト立ち上げから15年にして約2000の音源を公開するところにまでこぎ着けることができました。とはいえ、私の好みも反映してか、2000を超える音源を公開してもとりわけ歌曲の分野を中心に小さくない欠落があることは認めざるを得ません。それでも、当初の目的としていた「概観」というレベルに漸くにして到達できたかな・・・という達成感はあります。
と言うことで、このあたりから「重複」はあまり気にしないで、要望に応えていきたいと思います。ですから、「またベートーベンの弦楽四重奏か」なんて思わないでくださいね。

このハンガリー弦楽四重奏団はもともとはシャンドル・ヴェーグが結成した団体なのですが、その後セーケイ・ゾルターンが加入すると主宰者のヴェーグはセカンドに退きます。そして、戦争の影響で活動の拠点をオランダに移すとヴェーグは同行せず、さらに戦後はアメリカに活動の本拠を移すようになると、名実ともに「セーケイのカルテット」となりました。
そして、この不幸な戦争の間、セーケイはベートーベンの弦楽四重奏曲を徹底的に研究し直したという話が伝わっています。セーケイという人はバルトークとも深い親交があり、さらには自らも弦楽四重奏曲や無伴奏ヴァイオリン・ソナタを作曲しています。ですから、そう言う「作曲家」としての視点からベートーベンのスコアをもう一度徹底的に洗い出してみたのでしょう。そして、そう言う研究の成果を現実の演奏として世に問うたのがこの1953年に録音された全曲演奏です。

ベートーベンの弦楽四重奏曲を全曲録音するというのは結構大変な作業です。ですから、どの弦楽四重奏団でもそれなりの時間を費やして完成させるのが一般的です。ところが、このハンガリー弦楽四重奏団は1953年に集中的に録音を行って全集を完成させています。このやり方は、1966年にステレオ録音でもう一度録音したときも同じでした。見ようによっては「やっつけ仕事」みたいな雰囲気も漂うのですが、実際の演奏を聴いてみればそんなことは全くないことが簡単に理解できます。
よく、「走ってから考える」「走りながら考える」「考えてから走る」という3タイプがあると言われますが、セーケイの場合は典型的な「考えてから走る」タイプだったのでしょう。長い時間をかけて十分に考え抜いて、そしてこれでやれるという確信を持ってから録音に臨んだからこそ、わずか一年という短い期間に、かくも完成度の高い演奏を実現できたのでしょう。

50年代の初頭において、セーケイが率いるハンガリー弦楽四重奏団は「アンサンブルの極致」と評されていました。しかし、このベートーベンの演奏では、そう言う機能面の「凄み」みたいなものはあまり前面に出さす、どちらかと言えば淡泊で内へ内へと向かうスタイルを堅持してます。そして、叙情的に歌う場面や悲劇的な情熱があふれ出すような場面では、実によく歌います。ただし、その歌は一昔前の感情過多の湿っぽい歌とは全く違う、透明感のあるクリスタルのような歌です。そして、面白いのは、そう言う歌う場面にくるとセーケイのジプシー的な歌い回しがちらっと顔を見せるところです。
さらに、録音のクオリティも1953年のモノラル録音としては極上の部類に属するもので、なんだかおかしな雰囲気で録音されてしまった後年のステレオ録音よりも好ましく思える部分があるほどです。

とは言っても、ベートーベンの初期・中期・後期にわたって創作が続けられ、それぞれが一つとして同じものがないほどに工夫が凝らされた作品群ですから、その全てにおいて極上のレベルを維持するのは困難です。
そのことは、当然のことながらこの録音にも当てはまり、私の好みから言えば一番上手くいっているのは初期の作品番号18の6曲のような気がしますし、13番以降の後期の作品群も深い感情を内に秘めた悪くない演奏に仕上がっていると思います。
しかし、どちらかと言えば、外面的にあざといまでの効果をねらったとも言える中期のラズモフスキーなどではいささか大人しすぎるような気がしなくもありません。もちろん、やろうと思えばやれなくもなかったでしょうから、それをあえてやろうとせずに全体のトーンを揃えたセーケイの方法論を受け入れるべきなのでしょう。

今回、久しぶりにこのカルテットのベートーベンを聞き直してみて、やはり「重複」してでも紹介する価値のある録音だと再認識しました。

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