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ブラームス:ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 作品100

Vn:ジョコンダ・デ・ヴィート P:ティート・アプレア 1956年3月29日録音



Brahms:ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 作品100 「第1楽章」

Brahms:ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 作品100 「第2楽章」

Brahms:ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 作品100 「第3楽章」


ロマン派におけるヴァイオリン・ソナタの傑作

ブラームスは3曲のヴァイオリン・ソナタを残していますが、これを少ないと見るかどうかは難しいところです。確かに一世代前のモーツァルトやベートーベンと比べると3曲というのはあまりにも少ない数です。しかし、ベートーベン以降のロマン派の作曲家のなかで3曲というのは決して少ない数ではありませんし。さらに、完成度という観点から見ると、これに匹敵する作品はフランクの作品以外には思い当たりませんから、そういう点を考慮すれば3曲というのは実に大きな貢献だという方が正解かもしれません。

ブラームスの第1番のソナタは1878年から79年にかけて、夏の避暑地だったベルチャッハで作曲されました。45才になってこのジャンルに対する初チャレンジというのはあまりにも遅すぎる感がありますが、それはブラームスの完全主義者としての性格がそうさせたものでした。
実は、この第1番のソナタに至るまで、知られているだけでも4曲のソナタが作曲されたことが知られています。そのうちの一つはシューマンが出版をすすめたにもかかわらず、リストたちの忠告で思いとどまり、結果として失われてしまったイ短調のソナタも含まれています。他の3曲は弟子の証言から創作されたことが知られているものの、ブラームスによって完全に破棄されてしまって断片すらも残っていません。
ブラームスがファーストシンフォニーの完成にどれほどのプレッシャーを感じていたかは有名なエピソードですが、そのプレッシャーは決して交響曲だけに限った話ではありませんでした。ベートーベンが完成形を提示したジャンルでは、ことごとくプレッシャーを感じていたようで、そのプレッシャーがヴァイオリン・ソナタというジャンルでも大量の作品廃棄という結果をもたらしたようです。

では、ヴァイオリン・ソナタという形式の「何」が、ブラームスに対して多大な困難を与えたのでしょうか。
もちろん、ユング君ごとき愚才がブラームスの心中を推し量ることなどできようはずもないのですが、そこを無理してあれこれ思案をしてみれば、おそらくはヴァイオリンとピアノのバランスをどうとるかという問題だったのではないかと思います。
言うまでもないことですが、ヴァイオリン・ソナタの歴史を振り返ってみれば、ヴァイオリンとピアノという二つの楽器が対等な関係ではなくて、どちらかが主で他が従という形式をとっていました。それが、モーツァルトという天才によって初めて両者が対等な関係でアンサンブルを形成する音楽へと発展していきました。そして、この方向性のもとで一つの完成形を示したのが言うまでもなくベートーベンでした。
しかし、一連のベートーベンの作品を聴いてみると、事はそれほど単純ではないことに気づかされます。
鍵盤楽器としてのピアノの機能が未だに貧弱だったモーツァルトの時代では、ヴァイオリンとピアノは十分に共存できましたが、ベートーベンの時代になるとピアノは急激に発展していき、オーケストラを向こうに回して一人で十分に対抗できるまでの力を蓄えてしまいます。それに比べると、ヴァイオリンという楽器は弓の形状は多少は変わったようですが、弓を弦に擦りつけて音を出すという構造は全く変わっていないわけですから大きな音を出すにも限界があります。ですから、クロイツェル・ソナタなどでピアノが豪快にうなりを上げて弾ききってしまうと、さすがのベートーベンをもってしてもヴァイオリンがかすんでしまう場面があることを否定できません。
そして、ロマン派の時代になるとピアノはその機能を限界まで高めていきます。(ブラームスのピアノコンチェルトの2番を聴くべし!!)つまり、頭の中だけでこの両者を丁々発止のやりとりをさせて上手くいったと思っても、実際に演奏してみるとピアノがヴァイオリンを圧倒してしまい「何じゃこれ?」という結果になってしまうのです。
つまり、この二つの楽器の力量差を十分に配慮しながら、それでもなおこの二つの楽器を対等な関係でアンサンブルを成立させるにはどうすればいいのか?
これこそが、45才まで書いては廃棄するを繰り返させた「困難」だったのではないでしょうか?
もっとも、これはユング君の愚見の域を出ませんから、あまりあちこちでいいふらさないように・・・(^^;
しかし、ブラームスのヴァイオリン・ソナタを聴くと、この二つの楽器が実に美しい調和を保っていることに感心させられます。ベートーベンでは、時にはピアノがヴァイオリンを圧倒してしまっているように聞こえる部分もあるのですが、ブラームスではその様な場面は皆無と言っていいほどに、両者は美しい関係を保っています。そして、その様な絶妙のバランスを保ちながら、聞こえてくる音楽からはしみじみとした深い感情がにじみ出してきます。
これはある意味では一つの奇跡と言っていいほどの作品群です。

ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調op.78「雨の歌」
ブラームスが夏の避暑地として愛していたベルチャッハで1848年から49年にかけて作曲されました。副題の「雨の歌」というのは、第3楽章の冒頭の旋律が歌曲「雨の歌」から引用されているためにつけられたものです。しかし、その様な単なる引用にとどまらず、作品全体を雨の日の物思いにふけるしみじみとした感情のようなものが支配しています。特に第2楽章はその様な深い感情がしみじみと歌われる楽章であり、一度聴けば忘れることのできない音楽です。

ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調op.100
ベルチャッハに次いでブラームスが避暑地として選んだのがスイスのトゥーンでした。ヴァイオリン・ソナタの2番と3番はともにこのトゥーンで作曲されました。
トゥーンはユング君も一度訪れたことがあるのですが、湖の畔に広がる小さな町で、天気がよいと遠くにアルプスの山が見渡すことができる実に気持ちのいいところです。ブラームスの評論家として有名なガイリンガーはその事をとらえて、トゥーンの町がベルチャッハよりも雄大なように、第2番ソナタもアルプス風の威厳に富んで力強くて逞しい、等と述べているそうです。
「ほんまかいな?」という感じですが、しかし、この作品に取り組んだ頃のブラームスは人生の絶頂にあったことは間違いないようです。3曲あるブラームスのヴァイオリン・ソナタのなかでは最もよく歌う作品であり、音楽は明るくのびのびしています。
音楽家としての成功を勝ち取り、多くの友人に囲まれて充実した作曲活動を展開していた時期であり、その様な幸福な生活をこの作品が反映ししていることは間違いありません。

ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調op.108
このソナタは第2番ソナタと2年しか隔たっていないのに作品の雰囲気が大きく異なります。第2番のソナタではあれほどまでも幸福感につつまれていたのが、この第3番のソナタでは晩年のブラームスに特徴的な渋くて重厚な雰囲気が支配しています。
この変化をもたらしたものは親しい友人たちの「死」でした。トゥーンにおける幸福な生活はわずか一年しか続かす、その後は彼の回りで親しい友が次々と亡くなっていきました。この事はブラームスに大きな衝撃を与えることになり、彼の作品は短調のものが多くなって、避けられぬ人の宿命に対する諦観のようなものがどの作品にも流れるようになっていきます。
この第3番のソナタでも、第2楽章のG線だけで歌われる冒頭のメロディからはその様な傾向をはっきりと聞き取ることができます。


ブラームス弾き

ショパン弾きやモーツァルト弾き、さらにはベートーベン弾きなどと言う言葉はよく使われます。
当然のことですが、演奏者自らがそのような定冠詞を売りにすることは滅多になく、その多くは聞き手の側が尊敬の念を込めて奉るのが一般的です。しかしながら、奉られた演奏者の大部分はそのような「定冠詞」をあまりお気に召さないというのも、これまた一般的な傾向です。

何故お気に召さないのかと言えば、たとえばショパン弾きと尊敬の念を込めて呼ばれたとしても、ショパン以外にも多くの優れた演奏と録音を残しているという自負が本人にはあるからです。
その事はルービンシュタイン(ショパン弾き)やリリー・クラウス(モーツァルト弾き)やバックハウス(ベートーベン弾き)等を思い出してもらえばすぐに理解できるはずです。「俺は(私は)そんな狭い世界にすんでいるんじゃないよ!」と言うことなのです。

しかしながら、聞き手の側からすれば、彼らの演奏を聴くと「ショパンは(モーツァルトは、ベートーベンは)かく弾かれるべきだ」との思いを抑えきることができなくなり、己の中の尊敬の念の表現として「ショパン弾き」だの「モーツァルト弾き」だのと言う言葉を奉ってしまうわけです。
お節介と言えば実にもってお節介な話なのです。

そして、そんなお節介を承知で言えばデ・ヴィートには「ブラームス弾き」という言葉を奉りたくなります。
当然のことながら、こんな言葉をご本人は喜ぶことはないでしょう。それでも、彼女の抑制のきいた太くて暖かみのある音でブラームスを聴かされると、「ブラームスはかく弾かれるべきだよ・・・ね!」と呟かずにはおれません。
ブラームスに華やかな音や大袈裟な身振りは相応しくありません。ハイフェッツやクレーメルみたいな研ぎ澄まされた音色で聞かされると、「凄いな!!」とは思っても、「どこか違うよね?」という思いが消し去ることができません。
デ・ヴィートのヴァイオリンはパッと聞いたときのファーストインプレッションはそれほど大したものではありません。しかし、そう言う音色で演奏されるブラームスをじっくりと聞いているとじわじわと心の中にしみ込んでくる情感があって、最後には「ブラームスはかく弾かれるべきだよ・・・ね!」となってしまうと言う魅力を持っています。

確かに、ソリストというものは他の連中を押しのけて「俺が俺が!!」と前面で出てくるようでないと成り立たないお仕事です。ところが、そう言うソリストに必要な資質が演奏において邪魔者になってしまうのがブラームスという人の厄介なところです。
そう言えば、外連味だらけのピアニストだったフランソワなどは「ブラームスを演奏すると吐き気がする」と切って捨てたほどです。もちろん、私はフランソワを貶しているのではなくて彼の正直さを褒めているのです。

デ・ヴィートは優れたヴァイオリニストでありながら本質的には教育者であり続けた人でした。トスカニーニにその演奏を絶賛されて一夜にして世界のトップに躍り出ても、彼女の本質は教育者であり続けました。ですから、本当であれば彼女の演奏が録音として残ることはほとんどなかったはずなのです。にも関わらず、彼女の録音がある程度まとまって残ったのは、EMIの重役であるビックネルと知り合い結婚してしまったためです。
しかし、そのようなソリストとしての活動はおそらくは彼女の意に染むことではなかったのでしょう。1962年には突然に引退してしまい、その後の30年以上にわたる長い晩年はヴァイオリンを一切手にすることなかったと言われています。

一流のソリストとしてやっていけるだけの優れた資質がありながら、同時にブラームスを演奏する時の妨げとなる「色」と「欲」から距離がおける希有の存在でした。
言うまでもないことですが「色」と「色気」は似ていながら本質的には全く別物です。
「色」は常に「欲」とセットになっていますが、「色気」は「欲」から距離を置かないとにじみ出てこないものです。たとえば、彼女の手になるブラームスの協奏曲などを聴くと、「なるほどこれが色気というものか」と納得するはずです。
女性のヴァイオリニストと言えば誰も彼もが「お水系」の雰囲気が漂う昨今の事情から見れば、このような「ブラームス弾き」は二度と出てこないのかもしれません。

なお、蛇足ながら付けくわえておけば、3曲のヴァイオリンソナタは実に優れた演奏ですが、フィッシャーという、これまた優れた色気を身につけたおじいさんのサポートを得た54年録音の1番と3番が出色です。また、コンチェルトに関しては53年のEMI録音はルドルフ・シュワルツというあまり聞いたことのない指揮者のサポートなので不満が残る部分もあるのですが、デ・ヴィートの色気は充分に感じ取れる録音です。
録音のクオリティに関して言えば、何と言っても重役様の妻の演奏なのですから、おそらくは全力を尽くしたであろう事が充分に推察できる出来です。(^^v

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