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プシホダ(Vasa Prihoda)|ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調 作品31(Vieuxtemps:Violin Concerto No.4 in D minor, Op.3)
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調 作品31(Vieuxtemps:Violin Concerto No.4 in D minor, Op.3)
(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:フランツ・マルスツァレク指揮 ケルン放送交響楽団 1954年録音(Vasa Prihoda:(Con)Franz Marszalek Kolner Rundfunk-Sinfonie-Orchester Recorded on 1954)
Vieuxtemps:Violin Concerto No.4 in D minor, Op.31 [1.Andante -Adagio religioso]
Vieuxtemps:Violin Concerto No.4 in D minor, Op.31 [2.Finale marziale: Andante - Allegro]
ヴァイオリンの課題曲?
「Vieuxtemps」は日本語では「ヴュータン」と表記されるそうです。私などはいつも「ヴォータン」みたいな読み違いをしてしまって変な感覚になることが良くあります。(「ヴォータン」はいうまでもなくニーベルングの指輪に登場する神々の長です)
まあ、そんなことはどうでもいい話なのですが、この「ヴォータン」ならぬ「ヴュータン」のヴァイオリン協奏曲はコンクールの課題曲としてよく用いられます。小さい頃からヴァイオリンを押しつけられた子どもたちが何とかめげずに入門期を乗り越えると、その次に与えられるのがこの協奏曲・・・というのが良くある図式らしい・・・です。
ですから、普通のコンサートでこの作品が取り上げられることは非常に希なのですが、発表会やコンクールでは良く耳にする作品です。そんなわけですから、録音にもあまり恵まれていません。
そんな中でハイフェッツが何回かこの作品を録音しているのは面白い事実です。
そう言えば、ホロヴィッツもクレメンティのソナタを録音していましたした。面白いのは、そういう練習曲か課題曲としか見なされていないような作品でも、そう言うとびきりの「腕」で演奏されると、今まで誰も気がつかなかったような世界が立ち現れることです。
ホロヴィッツはただの練習曲としか思われていなかったクレメンティの作品の中に、ベートーベンにも通じていくような豪快な味を見つけ出して、それを現実のモノとして提示してくれました。
ハイフェッツもまた、この甘い情緒だけの作品としか思われていない中から「悲しみ」の結晶を見つけ出して、それをとんでもない切れ味で描き出してくれました。
悲しいのは、その演奏を聴いて、「なるほどヴュータンのヴァイオリン協奏曲も捨てたものでもない」と思ったとしても、誰もそれと同じように演奏できないことです。コンクールとりわけ、ヴァイオリンの発表会なんかでこの作品を聞かされると、まるで別の作品を演奏しているような錯覚にすら陥ります。
もちろん、基準をハイフェッツに置くというのが根本的に間違っているのですが・・・(^^;。
それから、この第5番に並んで第4番もそれなりに演奏される機会があります。ヴァイオリン協奏曲で初めてハープを使用した作品としても知られています。
7曲ある彼のヴァイオリン協奏曲ではこの4番と5番が核をなすといっていいようです。
主張は権利だが、表現は義務だ
「主張は権利だが、表現は義務だ」という言葉に出会ったときに、なぜに私があんなにもピリオド演奏を拒否したのかの理由がわかったような気がしました。
ピリオド演奏というのは一つの主張です。ですから、その事の正しさを主張することは当然の権利であり、それが権利である以上は耳を傾けるのが最低限の誠実さといえるでしょう。そして、その主張に対して誠実に耳を傾けたうえで己の態度を「否」と決める事は許されるはずです。
しかし、主張する側からすれば、間違いなく正しいと信じていることをどうしても受け入れてもらえないことに苛立ちを覚えることがあるのもまた当然です。
ここで道は二つに分かれます。
一つはその拒否を受け入れて、それでも己の主張にしたがって義務である表現に全力尽くす道です。
もう一つは、さらに主張の精緻さを高めてより完璧な論へと磨き上げ、その力によって主張を受け入れない相手を説き伏せようとする道です。
しかし、考えてもみてください。どうしても受け入れがたい主張に対してさらに説得を積み上げられても、それでどこかで「回心」するなんてことがあるでしょうか。
人の心を変えるのは主張ではなくて表現です。
ジェンダーが語られる時代に至って不適切な表現であることは承知して、以下のような言葉を思い出します。
一人の女性が道端で大声で泣きわめいていれば、その理由がいかにくだらないものであったとしてその涙は人の心を動かさずにはおれない。
なぜならば、彼女の表現は心の中から湧き出した真実のものであり、義務であるべき表現を見事に果たしているからです。もしも、彼女がその義務を果たさず、その代わりに道端で自らの涙の理由を声高に訴えていたとすれば、そんな主張などに耳を傾ける人はほとんどいないでしょう。
音楽においても、いや、いかなる芸術的営為においても同様だと思うのですが、もっとも重要なことは権利としての芸術的主張を振りかざすことではなくて、己の心の中から湧き出す心の真実を己に課せられた神聖な義務として表現することです。
音楽に限ればそれがピリオド演奏だけに限った話ではなくて、作曲家の意図に忠実な原点尊重という錦の御旗も同じような危険性をはらんでいます。
演奏家は己の演奏の正当性を主張するためにひたすら完璧を目指します。それは、決して悪いことではありません。しかし、その完璧性への追及の結果としてスコアの向こうからくみ取るべき心の声を表現するという義務を忘れてしまえば、それはもはや音楽ではありません。
逆に言えば、完璧さとは程遠くても、そこで己の声を真摯に表現するという義務を果たしている演奏は、時にプロの演奏家の完璧さだけの演奏よりもはるかに聞く人の心を揺さぶります。
そのことはヴァイオリニストだけに限ってみても、すぐに何人もの顔が浮かびます。ティボーにしても、シゲティにしても、さらにはプシポダやメニューヒンにしても、若い頃はそれなりのテクニックを誇っていましたが、その晩年の技術の衰えは明らかでした。しかし、彼らは義務である表現に対しては常に真摯であり続けました。そのことをよく評論家たちは「高い精神性」という分かったような言葉で説明していたのですが、それはあまりにも無責任な物言いだったといわざるを得ません。
彼らは、己の心の声に従って神聖な義務である表現に生涯を費やしただけだったのです。
まあ、そう書いておきながら自分でも何を言っているのかよくわからなくなってくるのですが、最近、そういう下手だけど心動かされる演奏に出うと思わずニヤリとしてしまう自分がいるのです。
もちろん、ふざけるなという異論が返ってくるのもまた当然でしょう。でも、そういう演奏を掘り返したくなっている自分がいることもまた確かなのです。
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