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ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)|ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
(P)ヴラディーミル・アシュケナージ:キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1963年9月録音
Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [1.Moderato]
Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [2.Adagio sostenuto]
Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [3.Allegro scherzando]
芸人ラフマニノフ
第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)
さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。
このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。
また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。
ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。
そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?
誠実なピアニスト
アシュケナージを取り上げるのはこれが初めてです。
取り上げるのは以下の2曲です。
- ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調, Op.18:キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1963年9月録音
- チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23:ロリン・マゼール指揮 ロンドン交響楽団 1963年3月録音
ロシア出身のピアニストとしては定番中の定番の2曲です。
そして、私がクラシック音楽などと言うものを聞き始めた頃には、まさに世界を代表するピアニストとしてバリバリの現役として活躍していましたから、彼の音源もすでにパブリック・ドメインになっているものが表れてきていることに時の流れを感じざるを得ません。
アシュケナージと言えば必ず語られるのは1955年のショパンコンクールでの出来事です。彼はその時2位になったのですが、それに異議を唱えてミケランジェリが審査員を降板するという騒ぎにまで発展しました。その時に1位となったアダム・ハラシェヴィチが審査委員長の弟子であったことがその騒動に拍車をかけました。
しかし、アシュケナージは3次予選の時に第2協奏曲で90小節以降を間違って繰り返すというミスをしでかしているので、それが「コンクール」と言うものの本質をあらわしているとも言えます。
さらに言えば、優勝したハラシェヴィチはその後ミケランジェリにも師事していて、ミケランジェリもまたそれを素直に受け入れています。つまりは、ミケランジェリもまたハラシェヴィチの才能は認めていたと言うことです。
しかし、ミケランジェリにとっては些細な(些細でもないか^^;)ミスなどを蹴散らすほどの才能をアシュケナージの中に見いだしたのであって、その眼力が正しかったことはその後のアシュケナージ自身によって証明されたわけです。
そして、そう言うアシュケナージの魅力を的確に表現したのがショーンバーグでした。彼はアシュケナージのことを「ギレリスの誠実とリヒテルの想像力をもっている」と評したのです。
確かに、この1963年に録音された2つの協奏曲を聞けば、アシュケナージがいかに誠実なピアニストであったかはひしひしと伝わってきます。彼はソリストというものが持ちがちな「目立ちたがる」という悪癖は全く持っていないことがよく分かります。
間違っても作品を力ずくでねじ伏せて「どうだ、凄いだろう!」とドヤ顔をするようなピアニストとは最も遠い位置にいます。
しかし、この二つの協奏曲は独襖ピアノに対してオーケストラが覆い被さってくるような場面が多くあって、それに対してピアニストはそのオーケストラの響きを突き破って響かせる「義務」があります。
ところが、ラフマニノフのサポートをしたコンドラシンは徹頭徹尾アシュケナージのサポートに努めています。
おそらく、アシュケナージがこの作品の中に感じとったファンタジーを邪魔することがないように、その繊細なピアノ響きを損なうことのないように慎重にオーケストラをコントロールしています。それは悪く言えば、オケは引き気味、さらに言えばピアノも弾き気味で、この作品にある種の豪快さを求める人にはいささか物足りなさを感じさせるかもしれません。
それに対して、チャイコフスキーの方は若手のマゼールですから、そこまでの徹底的サポートには徹していません。しかし、マゼールというのは利口な男ですから、無理やりピアノに覆い被さるような鳴らし方はせず、作品が求める範囲で必要最低限の鳴らし方をしています。そして、それに合わせてアユケナージもまた必要な場面ではこれまた必要最低限の力強さは発揮するのですが、それでも自分だけ目立とうという意志は感じられません。
そう言う意味ではピアニストとして作品に向き合う態度は極めて誠実だと言えます。
しかし、その後のアシュケナージの録音を聞いてみると、この誠実さは研ぎ澄まされていくものの、ショーンバーグが最初に語ったような想像力が大きく羽ばたくことはなかったように思われます。
もちろん、真摯に作品と向き合い、その姿を誠実に描き出すと言うことは実に立派なものです。しかし、そう言う誠実さだけでは贅沢な聞き手は不満を感じてしまうのです。
おそらく、そう言う辺りに彼が指揮者に転向してしまった理由の一端があるのかもしれません。
なお、一部盤質に問題があってノイズがのる部分もあるのですが、全体的にはそれなりに良好な音質と言えます。若きアシュケナージの姿を刻み込んだ録音として、十分に興味をそそられる演奏だと言えます。
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