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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216

(Vn)ハイメ・ラレード:ハワード・ミッチェル指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団 1960年5月23日録音



Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [1.Allegro]

Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [2.Adagio]

Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [3.Rondeau. Allegro]


断絶と飛躍

モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。
そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。

創作時期を整理しておくと以下のようになります。


  1. 第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日

  2. 第2番 ニ長調 K211・・・6月14日

  3. 第3番 ト長調 K216・・・9月12日

  4. 第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)

  5. 第5番 イ長調 K219・・・12月20日



この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。
1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。

並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。

これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。
時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。

さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。

最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)
しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。

父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」

しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。
その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?

ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。
その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。

しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。


器用貧乏で終わるのではないかという懸念

おそらく、これがハイメ・ラレードの3枚目の録音になると思われるのですが、これもまた不思議なカップリングです。

  1. ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26

  2. モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216


ブッルフの協奏曲は典型的なロマン派の協奏曲であり、メランコリックでありながら結構ゴージャスな雰囲気もただよう音楽です。ある意味ではメンデルスゾーンの協奏曲等に必要なある種の豊かな響きが求められます。
それに対してモーツァルトの協奏曲をそれと同じような音色で演奏したのでは、それはいささか困った話になってしまいます。

つまりは、ここでも音色のパレットを使い分けなければいけないのです。そして、こういう使い分けの必要なカップリングで一枚のレコードを仕上げると言うことは、まさにその点にこそ自分のアドバンテージがあることを意識していたのでしょう。

面白いのは、そういうハイメ・ラレードの思惑に従って、指揮者のハワード・ミッチェルもそれに相応しい音色でオーケストラを鳴らしていることです。おそらく、録音に先立って両者はかなり入念に打ち合わせをしたのではないかと思われます。
率直に言って、ブルッフの協奏曲に関して言えば、それほど悪い演奏ではないのですが、まずまず「よくできました(偉そうな言い方でご免なさい^^;)」という雰囲気です。なにしろ、この協奏曲に関してはハイフェッツを筆頭に名だたるヴァイオリニストが録音していえて、ハイメ・ラレードの演奏もそう言う過去の名演の前ではどうしても影が薄くならざるを得ません。

しかし、モーツァルトに関してはかなり細身の音で引き締まったモーツァルト像を提示しています。そして、感心させられるのは、そんなハイメ・ラレードのヴァイオリンに「これしかない!」と思われるほどに透明感のある伴奏をハワード・ミッチェが付けていることです。そのオーケストラの歌わせ方は、ブルッフの伴奏を付けた指揮者とオーケストラと同一だとは思えないほどの変身ぶりです。
個人的にはこのモーツァルトの協奏曲に関してはかなり感心させられました。

そう言えば、ハワード・ミッチェルは音楽院に在学しているときからこの交響楽団のチェリストとして演奏し、さらには1941年にこの交響楽団を指揮して指揮者としてのデビューを果たしています。そして、1949年から1969年までワシントン・ナショナル交響楽団の首席指揮者をつとめたのですから、まさにハワード・ミッチェルにとってはワシントン・ナショナル交響楽団は手足と同様の存在であったのでしょう。それ故に、こういう器用なことも苦もなくやってのけることが出来たのでしょう。(おそらく、弦楽器のプルトの数はかなり減らしているかもしれません)

そして、このレコードをリリースしたすぐあとにハイメ・ラレードはカーネギーホールでのリサイタルで大成功をおさめ、それがミンシュ&ボストン響とのメンデルスゾーンの録音につながったのでしょう。
しかし、ここでふと一つの懸念が浮かび上がってきます。それは、いったいどれは本当の「ハイメ・ラレード」なのだろうか?という疑問です。
確かに彼はヴァイオリンという楽器を使って器用に多彩な音色を駆使することが出来たように見えます。しかし、それをここまであざとく見せつけられると、結局は自分というものを深く掘り下げることが出来ずに「器用貧乏」で終わってしまうのではないでしょうか。

そう言えば、かつて若くして才能を使い切ってしまったマイケル・レビンに対して「彼のヴァイオリンには一つの色しかない」と書いたことがあるのですが、その逆もまた下手をすると大きな困難を抱え込むことになるのかもしれません。
やはり、ヴァイオリンという楽器には何処か「悪魔的」な怖さが潜んでいるようです。

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