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モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」

(P)リリー・クラウス:スティーヴン・サイモン指揮 ウィーン音楽祭管弦楽団 1965年5月4日録音



Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [1.Allegro]

Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [2.Andantino]

Mozart:Concerto No. 9 In E-Flat Major For Piano And Orchestra, K. 271 [3.Rondo: Presto]


ここでも一つの大きな飛躍と断絶が口を開いているように見えます

ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 , K.271 「ジュノーム」

21歳をむかえたモーツァルトは今までのピアノコンチェルトは全く相貌を異にした成熟した作品を生み出します。それが、今日「ジュノーム」という愛称で親しまれているK271のコンチェルトです。
この飛躍をもたらしたのは、この作品の愛称のもとになっているフランスの若き女性ピアニストであったジュノームとの出会いだと言われてきました。彼女は、この作品が生み出される前年にザルツブルグを訪れて何度か演奏会を行い、その演奏が若きモーツァルトに芸術的インスピレーションを与えてこの作品に結実した・・・と言うのです。

しかし、肝心のこのジュノームという人については、残念ながら詳しいことが分かっていませんでした。
現在のモーツァルト研究の大家たるザスローも次のように述べています。

彼女は偉大なピアニストだったのだろうか?
若くて美くしかったのだろうか?
彼女については何も分かっていない。

結構筆まめでたくさんの手紙を残しているモーツァルトですが、このジュノームに関してはほとんど詳しいことはふれられていません。彼がふれているのは、ミュンヘンでの演奏会でこの作品を演奏したことを父親に告げる手紙で「ジュノミ用」と書いていることと、パリでの滞在時で彼女と再び会ったことをほのめかしていることだけです。そして、重要なことは彼は一度も「ジュノム嬢 Mademoiselle Jeunehomme」とは表現していないことです。

さらに言えば、この作品に「ジュノーム」という愛称をつけたのは第3版のケッヘル番号の改訂を行ったアインシュタインであり、第2版までのケッヘル番号まではその様な愛称がなかったことも知られています。そして、全く自明のことであるかのように「ジュノーム協奏曲」という愛称をつけたアインシュタインなのですが、いったい何を根拠にしてその様なネーミングをしたのかは彼自身全くふれていません。

つまりは、突然のようにアインシュタインによってこのK271の協奏曲は「ジュノーム協奏曲」という名前をつけられたのですが、モーツァルト研究の権威というか、神様のような存在であるアインシュタインが「ジュノーム協奏曲」と名付けたのならば、いったい誰がその事に異を唱えることが出来るでしょうか。結果として、それ以後のケッヘル番号の編集作業ではこのネーミングは疑問の余地のないものとして受け継がれ、今日ではすっかり「ジュノーム協奏曲」という愛称は定着してしまいました。

しかし、それでは、かんじんのジュノームとは何ものなのか?
それが全く持って分からなかったわけです。
ところが、この謎についに終止符がうたれるときがきました。
その第一報はニューヨーク・タイムスの記事で
「A Mozart mystery has been solved at last.」
と報じられました。

この根拠となったのはローレンツという研究者がウィーンの古文書館を調査して発見した事実でした。ただし、この記事はあまり詳しいものでなく、その後ローレンツ自身の発表によって詳細が明らかにされるのですが、その発表までにローレンツのもとには詳細を尋ねるメールが山のように舞い込んだそうです。

彼が古文書館での調査で明らかにした事実は以下の通りです。
まずは、長年「ジュノーム嬢」とされてきた女性は「パリの有名な舞踏家でモーツァルトの親友の一人だったジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘の ヴィクトワール・ジュナミー Victoire Jenamy であった」ということです。そして、ヴィクトワールがなかなかの技量を持ったピアニストだったことも、当時の演奏会評などから明らかになりました。美しかったかどうかは分かりませんが、なかなかのピアニストだったことだけは確かだったようです。
このノヴェールとはその後深いつきあいになり、パリ旅行の時は彼の力を借りてフランス風の大規模オペラの注文をとろうとしています。そして、彼のために「レ・プチ・リアンのためのバレエ音楽」も書いています。
ただし、この作曲に対しては謝礼が支払われることはなかったようで、父親宛の手紙の中で「あらかじめ謝礼がどのぐらい支払われるのか分からないときは、絶対に何も書かないつもりです。今回のは、まったくもってノヴェールへの友情の結果にほかなりません。」などと書いています。

最後に蛇足になりますが、最終楽章にフランス風の宮廷舞踏の音楽が挿入されるのは、ジュノム嬢の祖国フランスをほのめかすウィットだと言われてきましたが、どうやらモーツァルトがそこでほのめかしたのはジュナミ嬢の父親だったようです。

ザルツブルグ時代のピアノコンチェルト


モーツァルトはその生涯において27曲のピアノ協奏曲を遺したといわれています。しかし、詳しくふり返ってみると事はそれほど単純ではありません。

まず、一般に27曲といわれるピアノ協奏曲を大きく区切ってみると3つのグループに分かれることは誰の目にも明らかです。
一つは少年時代の習作に属するグループで、番号でいえば1~4番の協奏曲がこのグループに属します。
次は、ザルツブルグの協定に宮仕えをしていた1773年から1779年に至るいわゆるザルツブルグ時代の作品です。番号でいえば5,6,8,9番の4作品と、3台、2台のピアノのための協奏曲と題された7番、10番の2作品です。
そして、最後は1781年にザルツブルグの大司教コロレドと決定的な衝突をしてウィーンに出てきてからの作品です。番号でいえば11番から27番に至る17作品となります。

これで、何の問題もないように見えます。
発展途上の形式だった交響曲のように、ディヴェルティメントに数えるのか交響曲に数えるのかと悩む必要はありません。

しかし、一つひっかかるのがケッヘル番号でいうと107番が割り当てられている「クリスティアン・バッハのソナタにもとづく3つの協奏曲」をどのように考えるかです。これは、その名前が示すようにクリスティアン・バッハのチェンバロソナタをそのまま協奏曲に編曲したものです。もし、この作品も「モーツァルトの協奏曲」として数えるならば、少年時代の習作は4ではなくて7となり、モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で30となるわけです。
しかし、旧全集ではこの3作品は基本的には「他人の作品」と判定をして「モーツァルトのピアノ協奏曲」からは除外をして、それ以外の作品に1番から27番までの番号を割り振ったわけです。
ところが、20世紀の初頭になって、少年時代の習作として1番から4番までの番号が割り当てられていた作品(K37~K41)も、実はK107の作品と同じく、他人のチェンバロソナタを下敷きにして編曲したものであることが判明したのです。

おそらく、それらの作品は父であるレオポルドが10歳のモーツァルトに与えた課題であっただろうと思われます。レオポルドは、当時流行していた「ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ」や「ヨハン・ショーベル」「ヨハン・ゴットフリート・エッカルト」「レオンツィ・ホナウアー」「エマヌエル・バッハ」などの鍵盤ソナタの楽章を素材として、それらを協奏曲の形式に書き換えることをモーツァルトに命じたのでしょう。そして、このような課題を通して10歳のモーツァルトはソナタとコンチェルトのジャンルの違いを学び取り、それが彼の最初のオリジナルとなる奇蹟のような第5番の(K175)を生み出す準備となったのです。

しかしながら、こうなると1~4番品(K37~K41)の作品とK107の3作品を区別する必然性はなくなってしまいました。

この不整合を解決するためには道は二つしかありません。一つはK107の3作品も「モーツァルトの協奏曲」として数え入れるのか、逆に1~4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外してしまうかです。
この問題に最終的な決定が下ったのは、1956年から着手された新全集の刊行においてでした。
そこでは、最終的に1~4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外するというストイックな方向性が採用されました。しかし、旧全集によって割り振られた番号はすでに広く世間に定着していますから、ナンバーリングを繰り上げるということはしませんでした。これは賢明な判断だったと思われます。
シューベルトの場合はこのナンバーリングの繰り上げを実施したために(7番が削除されて、9番「グレイト」が8番に、8番「未完成」が7番に繰り上げられた)未だに混乱が続いています。

こうして、現在では少年時代の習作は「モーツァルトの協奏曲」からは除外され、彼のザルツブルグ時代のピアノ協奏曲は6作品となったのです。

  1. 第5番 K.175:1773年12月完成

  2. 第6番 K.238:1776年1月完成

  3. 第7番 K.242:1776年2月完成(3台のピアノのための作品)

  4. 第8番 K.246:1776年4月完成

  5. 第9番 K.271:1777年1月完成

  6. 第10番 K.365:1775年~1777年に完成(2台のピアノのための作品)



第5番(K.175)の協奏曲がモーツァルトにとっては初めての完全にオリジナルな作品だといえます。
彼はこの作品に強い愛着があったようで、ウィーン時代においても何度も演奏会で取り上げ、そのたびにオーケストレーションや楽器の編成などにも手を加えています。今では、K.382のコンサート・ロンドとして知られている作品は、ウィーンにおける演奏会でこの作品の第3楽章として作曲されたものです。
ですから、K.175を第2楽章まできいた後に、それに続けてK382をきけばウィーンでの演奏会を再現できるというわけです。

そして、この後にしばらくの沈黙があって1776年から立て続けに5作品が作られています。おそらくは、姉のナンネルの演奏会か、もしくは自分の演奏会のために作曲されたものと思われます。
ですから、この作品には当時のザルツブルグの社交界の雰囲気が反映していると思われます。

また、第8番とナンバリングされているK.246のハ長調のコンチェルトには「リュッツォウ」という愛称がついています。
リュッツォウとは、ザルツブルグ要塞の司令官を勤めていた貴族の名前で、この作品はその妻のために注文された作品なのでこのニックネームがついています。

モーツァルトのピアノコンチェルトの中では最も易しい部類に属する作品のようで、ウィーンに出てからも弟子の教材としてよく使っていたそうです。

しかし、第9番(K.271)の「ジュノーム」だけはひときわ異彩をはなっています。
ふつうはオーケストラの前奏の後にピアノが登場するのが古典派の常識であるのに、ここでは冒頭からいきなりピアノソロが登場します。また、ハ短調で書かれた第2楽章の陰りを帯びた表情は社交音楽の枠を超えています。
K.466のニ短調コンチェルトほどではないにしても、ここでも一つの大きな飛躍と断絶が口を開いているように見えます。

しかし、この後にモーツァルトはザルツブルグの宮廷と決定的な衝突を引き起こし、一人の自立した芸術家としてウィーンでの生活を始めます。
そこでは、売れなければ生きていけないわけですから、一瞬姿を現した断絶は閉じてしまいます。


明るく華やかで無垢なモーツァルト

私の知人で、リリー・クラウスの最後の来日公演を聴いたことがあるという人がいます。彼の言によれば、その演奏会は惨憺たるもので二度と思い出したくもないような代物だったようです。
演奏家の引き際というものは難しいものです。

最近の例で言えば、見事な引き際を見せてくれたのがマリア・ジョアン・ピリスでした。わたしは幸運にもその引退コンサートの一つを大阪のシンフォニー・ホールで聴く機会を得たのですが、それは見事なベートーベン演奏でした。ステージに現れた姿は颯爽としており、彼女の指から紡ぎ出されるベートーベンの音楽は、わたしが生で聞いたベートーベンのピアノ・ソナタとしては最上のものの一つでした。
「演奏家」というのはどれほどの醜態をさらしても最後までステージにしがみつく種族ですから、その引き際の見事さはは希有なものだったと言えます。それは、彼女の言動を見れば、引退のきっかけが自らの演奏能力に対する疑問ではなくて、ビジネスとしてのクラシック音楽界のあり方への絶望感に起因してたからかもしれません。

二人の女性が歩いている。
若い女性は麗しい。
齢を重ねた女性はさらに麗しい。


話がいささかいらぬ方向にそれたのですが、このクラウスのコンチェルトの全集もまた、彼女のピアニストとしての衰えをはっきりと聞き取ることが出来ます。
それは、彼女が54年に録音したソナタの全集と聞き比べてみれば一目(一聴?)瞭然です。あのソナタ全集では、モーツァルトの音楽が持つ微妙なニュアンスが見事なまでに表現されていました。しかし、このコンチェルトの演奏では、そう言う微妙なニュアンスを表現しきる能力がすでに失われていることは明らかです。

しかしながら、それでは全体としてつまらぬ演奏なのかと言えばそうとも言いきれない部分があるので困ってしまうのです。
ここでのクラウスのピアノの響きに微妙で多彩な表情を求めることは出来ないのですが、逆に、驚くほど華やかで明るく、そしてチャーミングな響きで最初から最後まで貫徹しています。これは1番から27番まで一気に聞き通したので自信を持って言い切ることが出来ます。
おそらく己の能力を自覚した上で、それでもその限界の中で実現可能なモーツァルトの姿を探求した結果かもしれません。

そして、そう言う衰えたクラウスを必死でサポートしたのが指揮者のスティーヴン・サイモンでした。オーケストラの「ウィーン音楽祭管弦楽団」というのは怪しげな存在のように聞こえるのですが、その実態はウィーン交響楽団からの選抜メンバーであったことはすでに知られています。
ところが、どういう訳か、世間一般では衰えたクラウスを持ち上げて、逆にオーケストラ伴奏を批判する人が多いのです。
曰く、「響きが薄い」、曰く、「表情が平板に過ぎる」等々です。

しかし、そう言う批判は本当に的を射ているのでしょうか。
わたしには、指揮者であるサイモンがクラウスの衰えを敏感に感じとり、その衰えに最も相応しいやり方で伴奏を付けたがゆえに、明るく華やかで、そして無垢な姿のモーツァルトが実現したのではないかと考えます。

モーツァルトのピアノ協奏曲には19番と20番の間に大きな断層が存在していることがよく指摘されます。しかし、このコンビによる演奏で聞いてみれば、そこに大きな断層を聞き取ることは難しいかもしれません。そして、その事の責をオーケストラ伴奏に求めるのでしょうが、聞けばすぐに分かるようにクラウスのピアノにはロマン派好みのバイアスがかかったような微妙な陰影を描き出す能力はすでに失われています。
スティーヴン・サイモンにしてみれば、20番以降の作品群においても、それ以前と同じようなスタイルで伴奏を付けるしかなかったのです。

しかし、漏れ聞くところによると、そう言うサイモンのオーケストラ伴奏にクラウスはたびたび不満を申し立てていたようです。ということは、もしかしたら彼女は自らの「衰え」を自覚できていなかったのかもしれません。
もしも、このエピソードが事実ならば、それこそ「演奏家」という種族が陥らざるをえない「誤解」だと言わなければなりません。そして、それが「誤解」であったとすれば、その「誤解」を「美しき誤解」に仕立て直した功績はスティーヴン・サイモンとウィーン交響楽団からの選抜メンバーで構成された「ウィーン音楽祭管弦楽団」にこそあったのかもしれません。

そして、クラウスもこの辺りを潮時として第一線から身を引いていれば、彼女にも「齢を重ねた女性はさらに麗しい。」という言葉を捧げることができたのかもしれません。

<追記>
ザルツブルグ時代のモーツァルトのピアノ協奏曲は、他人のチェンバロソナタを下敷きにした少年時代の習作をのぞけば、第5番からの6曲だけと言うことになります。しかし、そのザルツブルグ時代の協奏曲であってもこの時代はかなりグラマラスに演奏するのが一般的でした。
例えば、このクラウスの録音とほぼ同じ頃にピアノ協奏曲の全曲録音を行ったものとしてゲザ・アンダとザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカによる録音があります。
残念ながら、この録音は昨年(2018年)の著作権法の改訂によって隣接権の保護期間が50年から70年に延長されたために当分の間は新しくパブリック・ドメインとして追加することは遠のいてしまいました。ですから、実際の音源を紹介して解説できないのは残念なのですが、このクラウスの演奏と較べればまるでロマン派のピアノ協奏曲であるかのように聞こえます。

おっと、一つだけパブリックドメインになっている録音がありました。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第6番 変ロ長調 K.238 (ピアノと指揮)ゲザ・アンダ:ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1962年4月録音

その6曲の中でもとりわけ、第9番の「ジュノム」等はかなりの重量級の演奏で(とりわけ第2楽章)、全く別の音楽のように聞こえてしまいます。

しかしながら、こういう若い頃の作品をロマン派の視点からというか、ロマン派好みの味付けで演奏することには、とりわけピリオド演奏の側からは強い異論が出ることでしょう。
そして、不思議なことに、このクラウスの演奏は、その後のピリオド演奏の方からの批判に応えた演奏であるかのように聞こえるのです。
当然の事ながら、これはクラウス自身の解釈もあったのかもしれませんが、何よりも隠しようもない衰えがもたらしたものでもあって、そこにはモーツァルトの時代の演奏様式を考慮に入れたものでなかったことは明らかです。

それでも、結果としてその様に聞こえてしまうあたりが「美しき誤解」の不思議さとでもいえるのかもしれません。

この演奏を評価してください。

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