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ハイフェッツ(Jascha Heifetz)|モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
Vn:ハイフェッツ バルビローリ指揮 ロンドンフィルハーモニック管弦楽団 1934年2月23日録音
Mozart:ヴァイオリン協奏曲 第5番「トルコ風」 「第1楽章」
Mozart:ヴァイオリン協奏曲 第5番「トルコ風」 「第2楽章」
Mozart:ヴァイオリン協奏曲 第5番「トルコ風」 「第3楽章」
断絶と飛躍
モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。
創作時期を整理しておくと以下のようになります。
・第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日
・第2番 ニ長調 K211・・・6月14日
・第3番 ト長調 K216・・・9月12日
・第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)
・第5番 イ長調 K219・・・12月20日
この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。
これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。
さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。
とにかくきちんと弾いていますね。(^^;
ハイフェッツに対する賞賛の言葉はあちこちにあふれていますが、彼のモーツァルトの演奏をほめた言葉というのはほとんど見たことがありません。そして、この演奏を聞いてみても、モーツァルトを演奏する上で何か大切なものが欠落しているように思えてなりません。
だからといって、ハイフェッツという人の価値を貶めるものではありません。
とにかく、相性が悪いと言うことでしょう。でも、とてもきちんと弾いているので曲の形を知る上では不足はありません。
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よせられたコメント
2015-05-18:Joshua
- Buschさんのコメントに続き、同じ曲で恐縮ですが、少し感想を述べます。どうもこのバルビローリとの競演は、モーツァルトに限ると外れではないでしょうか。同じイタリアの血を引くフランチェスカッティなら上手くいったかもしれません。ハイフェッツらしい切れのよさ、爽快感がここには乏しく、優美でありながら何か窮屈そうに聴こえますが、録音のせいばかりではないでしょう。30年後サージェントとの共演は颯爽としていますよ。第1楽章8分半という驚く速さのBuschほどではないにしても9分半。グリュミオーのモノラル盤で9分10秒。この演奏では、9分50秒。されど、数字以上の長さを感じてしまいます。今はそういってる私ですが、実は昔この演奏で感激した記憶が残っていまして、今なぜこう思うのか戸惑っております。どんな演奏も通過地点ということでしょうか?
ハイフェッツはワルターとの共演を聞きませんね。トスカニーニとは例のベートーヴェンが有名ですが、ミュンシュやライナーも似た路線だと思います。先述のフランチェスカッティ、ワルターとの3,4番モーツァルト。このハイフェッツと何となく似ていて、伴奏に責任の一端がありそうです。5番はチューリヒで録音していて名演らしく、偽作の名作6番は別として、ワルターが選曲しなかったのがまた不思議です。
コーガンのYoutubeもいい演奏でしたし、フェラス、ミルシテインも同様でした。CDに登場してほしいものです。オイストラフはBPOの弾き振りでしたが、風評ほど良くない。春先アップいただいたスターン然り。クレーメルは冷たい。そうなると、中学時代40年前、吉田秀和がかけてくれたクーレンカンプがやけに懐かしくなってくる。もう録音テープは影もないが、あの誠実なひきっぷりが貧しいSP盤から聴こえてきたのが懐かしいです。
女流では、モリーニがセル指揮フランスのオケとのライブがいい。ティボーとその弟子のオークレールはいい!ムターはカラヤン時代がいい。いまはこわい。ヒラリー・ハーンも似た感じ。うまいけどねえ。日本じゃ千住さんが結構いい。前橋さん、久保陽子、川久保さん、後藤みどり、潮田益子あたりが残してくれてないかな?、と思いは尽きません。
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