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カラヤン(Herbert von Karajan)|ヘンデル:合奏協奏曲第10番 ニ短調 作品6の10
ヘンデル:合奏協奏曲第10番 ニ短調 作品6の10
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年18月17日~23日録音
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [1.Overture - Allegro - Lentement]
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [2.Allegro]
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [3.Larghetto]
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [4.Allegro]
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [5.Menuet]
Handel:Concerto Grosso in D Minor, Op. 6, No. 10, HWV 328 [6.Gigue: Allegro]
多様性に溢れた合奏協奏曲
合奏協奏曲に関しては
コレッリの項で少しふれました。
「合奏協奏曲」とは、独奏楽器群(コンチェルティーノ)とオーケストラの総奏(リピエーノ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する音楽形式です。コレッリの「合奏協奏曲」は弦楽アンサンブルで演奏されるのですが、その後ヘンデルの時代になると「リピエーノ」に管楽器が導入されることでより華やかさを増していきます。」
そのヘンデルは、この形式で30曲程度の作品を残しているのですが、最も有名なのは作品番号6の12曲です。
と言うか、一般的に「合奏協奏曲」と言えばこの12曲を思いおこすのが普通です。
ちなみに、自分の創作活動を跡づけるものとして作品番号を与えるのは芸術家としての意識が高まるロマン派以降の習慣で、それ以前の時代では出版された順番を示すことが多かったようです。
パガニーニの「24の奇想曲」に「作品番号1」とついているの等はその典型でしょう。
ヘンデルと言えばオラトリオとオペラに創作活動の大部分を注いだ音楽家でしたから、「作品番号6」の器楽曲というとなんだか若書きの作品のような気がするのですが決してそんな事はありません。
この12曲からなる「作品番号6」の合奏協奏曲はヘンデル57歳の頃に作曲されていて、この3年後には「メサイア」が生み出されるのですから、まさにヘンデルの絶頂期に生み出された器楽の傑作と言えます。
この合奏協奏曲は、正式名称が「ヴァイオリンその他の7声部のための12の大協奏曲」となっています。
ここでの「大協奏曲(Grand Concerto)」というのが「合奏協奏曲」のことです。そして、7声部というのは独奏部に第1と第2のヴァイオリンとチェロ、合奏部には第1と第2のヴァイオリンとヴィオラ、さらに通奏低音用のチェンバロから成り立っていることを示しています。楽器編成という点ではかなり小規模な音楽です。
しかし、この「合奏協奏曲集」で驚かされるのは、数あわせのために同工異曲の音楽を12曲揃えたのではなく、その一つ一つが全て独自性を持った音楽であり、一つとして同じようなものはないという点です。
さらに驚くのは、その様な多様性を持った12曲の音楽をわずか1ヶ月程度で(1739年9月29日~10月30日)書き上げているのです。ヘンデルの速筆は夙に有名なのですが、この12曲をこんな短期間で書き上げたエネルギーと才能には驚かされます。
同じバロックの時代にこの作品群と対峙できるのはバッハのブランデンブルグ協奏曲くらいでしょう。そして、この二つを較べれば、バッハとヘンデルの気質の違いがはっきりと見えてきます。
ヘンデルの合奏協奏曲は7声部のためとなっているのですが、幾つかの楽器が同じ声部を演奏するのでそれよりも少ないラインで音楽が構成されていることが少なくありません。それでも、ヘンデルもまたバロックの音楽家なのでそれらの声部をポリフォニックに扱っているのですが、その扱いはバッハと較べればはるかに自由で簡素です。
実際に音楽を聴けばホモフォニックに響く場面も少なくありません。
また、フーガにしてもバッハのような厳格さよりは音楽の勢いを重視して自由さが特徴です。
バッハが厳格で構成的だとすれば、ヘンデルの音楽は明らかに色彩豊かで流動的です。
そんなヘンデルに音楽の「母」をみたのは実に納得のいく話です。
第10番 ニ短調 作品6の10
これも全12曲ある中では有名どころに入る作品です。
冒頭の2楽章はいつものようにフランス風の序曲であり、第2楽章はかなり自由なフーガ形式になっています。そして、それに続く「レント」はいわゆる「アリア」であり、歌うようなメロディが心にしみ入る音楽となっています。この作品が有名になっている背景にはこの楽章が大きく貢献していることは間違いありません。
続く二つの楽章はともにアレグロであり、各声部はポリフォニックに処理され、前奏と独奏が巧みにダイナミクスを交替させていきます。それに対して最終楽章はホモフォニックな音楽となっているのが特徴です。
- 第1楽章:速度表示無し(一般的にはグラーヴェ)
- 第2楽章:アレグロ
- 第3楽章:レント
- 第4楽章:アレグロ
- 第5楽章:アレグロ
- 第6楽章:アレグロ・モデラート
多くの聞き手がバロック音楽に求めているものを見事なまでに具体化した演奏
1958年から1959年にかけて録音されたイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディの「四季」は「馬鹿」がつくほど売れました。そして、それが一つのきっかけとなってバロック音楽のブームが起こりました。
当然の事ながら、このブームをレコード会社が見逃すはずもなく、CBSなんかはオーマンディやバーンスタインまで投入して「四季」のレコードを録音しています。
さすがに、カラヤンはその流れに乗るようにして「四季」を録音することはなかったのですが、それでも70年代には一度録音していますし、80年代には秘蔵っ子のムターを売り出すためにもう一度録音をしています。
そんなカラヤンが60年代に行った注目すべきバロック音楽の録音がヘンデルの合奏協奏曲集で、合奏協奏曲作品6の全12曲を1966年から1968年にかけて録音しています。カラヤンにとってはかなり珍しい部類に入る録音です。
調べてみると、1964年から、カラヤンは夏の休暇中にスイスのサンモリッツでベルリンフィルのお気に入りのメンバーを集めて演奏会や録音を行うようになります。
おそらくは、夏の避暑地での「楽しみ」も込めた活動だったでしょうから、ベートーベンやブラームスみたいな「気の張るような作品」は取り上げません。
最初の年であった1964年にはバッハの管弦楽組曲やブランデンブルグ協奏曲、65年にはモーツァルトの小ぶりな交響曲やディヴェルティメント、セレナードなどを取り上げています。
そして、66年からはヘンデルの合奏協奏曲を取り上げはじめて、68年までの3年間をかけて全12曲をコンプリートしているのです。
この夏の避暑地での録音は70年代の初め頃まで続けられ、その後はロッシーニの「弦楽のためのソナタ」や「アルビノーニのアダージョ」、「パッヘルベルのカノン」なんかも録音されていきます。
この「アルビノーニのアダージョ」や「パッヘルベルのカノン」はその後に「アダージョ・カラヤン」に収録されて、そのアルバムがこれまた「馬鹿」がつくほど売れることに貢献するのですから、まさに歴史は巡るです。
今さら言うまでもないことですが、バロック音楽復興の動きはイ・ムジチが嚆矢ではありません。それどころか、50年代初め頃から始まったバロック音楽復興の流れの中におけば、それは「鬼子」のような存在でした。
分厚くて豊満な弦楽器の響きは素晴らしく艶やかで、その官能的な響きによって恥ずかしげもなくあけすけに歌い上げられていく音楽は、彼らに先行したバロック音楽の演奏団体の音楽とは全く異なるものでした。
おそらく、彼らにしたってそう言う音楽があのように「馬鹿売れ」するとは夢にも思っていなかったでしょうし、そんな事を狙ってあのような解釈による「四季」を録音し、リリースしたわけではなかったことだけは事実です。
つまりは、あの「馬鹿売れ」は全くの偶然の産物だったのです。
ですから、そう言うイ・ムジチによる「四季」が馬鹿売れしたことに対して、二通りの反応があらわれました。
一つは、「あれはヴィヴァルディの音楽ではない」として、正しい姿を提示して多くの聞き手の「蒙を啓こう」とした人々です。
もっとも、「蒙を啓こう」などと言う思いがあったかどうかは分かりませんが、まあ反発したことは間違いないでしょう。
ヘルマン・シェルヘンやソチエタ・コレルリ合奏団なんかはその典型でしょうか。
そこには聞くものの感覚に直接訴えかける美しさや楽しさは希薄で、この上もなく厳しいヴァヴァルディを提示してみせました。もちろん、それはそれで立派なヴァヴァルディだったのですが、おそらくはほとんど売れなかったのでしょう、ソチエタ・コレルリ合奏団などはやがて解散してしまうことになりました。
それに対して、もう一つは、「なるほどああいう音楽が売れるんだ!」と言うことで二匹目の泥鰌を狙った立場です。
有り体に言えば、バーンスタインやオーマンディなんかの録音はこの二匹目の泥鰌狙いでした。
そして、このカラヤンによるヘンデルの合奏曲の録音もまた基本的にはそのライン上にある演奏と録音だと言えます。
ただし、カラヤンという男が凄いのは、このイ・ムジチ以降のバロック音楽の流れを見すえて、バロック音楽の中の何が多くの聞き手を引きつけるのかをものの見事なまでに見抜いて、その求めるものをこれまたものの見事なまでに具体化したと言うことです。
はっきりしていることは、多くの人は音楽に美しさと楽しさを求めているということです。
そして、バロック音楽の中にはその様な聞き手の希望に応える「旋律の美しさ」があり、そこに少しばかりセンチメンタルな気分にしてくれるスパイスもきいています。
さらに、「美しさ」と「センチメンタル」だけでは飽きが来ますから、さらにそこへ快活で軽やかな感情が織りあわされます。
ヘンデルの合奏協奏曲と言えば、おそらくはボイド・ニールによる録音が当時は一つのスタンダードだと思うのですが、それと比べれば、このカラヤンの録音は全く別の音楽になっています。
全く同じスコアから、カラヤンは多くの聞き手が求めるものを見事なまでにクローズアップさせて、ベルリンフィルという最高のツールによって具体化させているのです。
それに対して、ニールの録音も素晴らしい演奏だとは思うのですが、多くの人に受容されるような音楽でなかったことも事実です。
考えても見てください。
もしも、そう言う美しくて楽しい音楽を期待して新譜のレコードを買ってきたのに、そう言う姿勢をしかりつけるような「深い精神性に満ちた音楽」が流れてくれば、その人はどう思うでしょう。
カラヤン以降、クラシック音楽が売れなくなってしまった最大の理由は、多くの人が音楽にそのような美しさと楽しさを求めているにもかかわらず、そう言う姿勢を叱りつけて、逆に「深い精神性」に満ちた音楽ばかりを称揚する少数派におもねってしまったからです。
そう考えれば、カラヤンという男は、そう言う美しさと楽しさを求める聞き手の期待を絶対に裏切らない指揮者でした。
そして、そう言う音楽をサンモリッツという高級リゾートで、気のおけない仲間達とヴァカンスの合間にサラリと録音をしてしまうのですから、実に格好いいのです。
「芸」は売れますが「芸術」とは売れないものです。
もしも、自分が「芸術」をやっている「芸術家」だと自負するならば「売れない」事は覚悟し、「清貧」に甘んじて泣き言は言わないことです。
もしも「売れたい」のならば、さっさと「芸術家」気取りなどはやめて、厳しい「芸人」の世界に足を踏み入れるべきでしょう。
そして、クラシック音楽の世界といえどもその二つの世界が必要なのだと思うのですが、「芸人」になりきって稼げる人がいないのが業界にとっては辛いところなのでしょう。
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