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オーレル・ニコレ(Aurele Nicolet)|モーツァルト:フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314(285d)
モーツァルト:フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314(285d)
(Fl)オーレル・ニコレ カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1960年-1962年録音
Mozart:Flute Concerto in D major, K.314/285d [1.Allegro aperto]
Mozart:Flute Concerto in D major, K.314/285d [2.Adagio non troppo]
Mozart:Flute Concerto in D major, K.314/285d [3.Rondo. Allegretto]
フルートは好きでなかった
フルートは好きでなかったモーツァルトですが、できあがった作品は素晴らしい!!
モーツァルトにとって管楽器のための協奏曲というのは、自らが意欲的に取り組んだ作品ではなく、基本的には頼まれ仕事でした。
もしくは好意の念の表明でした。
ここで聞けるフルート協奏曲は典型的な頼まれ仕事でした。
依頼主はパトロンであり、自らも素人音楽家であったド・ジャンという人物です。
よく知られているように、モーツァルトはフルートという楽器が好きではありませんでした。さらに、依頼主が素人音楽家となれば、その力量の範囲で曲を作らなければなりません。
モーツァルトにとっては決して楽しい仕事ではなかったはずですが、できあがった作品を見てみればそう言う気分や感情は微塵も感じることができません。
それどころか、そう言う制約の中でかえって「自由」であるかのように感じます。
これらの作品は、ピアノ協奏曲のようにモーツァルトの創作活動の背骨を構成するものではありませんが、こういう何でもないところにこそ、モーツァルトの天才を感じさせられます。
躍動的で潔癖なモーツァルト
オーレル・ニコレのように長生きをしてしまうと晩年はほとんど情報も入ってこなくなり、突然の訃報(2016年)を知ったときには「まだ、存命だったんだ!」などと言う怪しからぬ事を思ってしまうのです。
ニコレと言えば、ランパルとならんでフルートの2枚看板でした。
こう書くと、ベーター・ルーカス・グラーフも忘れてくれるなと言う声も聞こえてきそうなのですが、知名度という点ではこの二人には大きく譲ります。
ランパルとニコレを並べてみれば、残念ながらニコレの方はいささか影が薄くなってしまっているような気がします。ランパルは亡くなってから既に15年以上の時間が経過しているのですから、考えてみれば不思議な話です。
ニコレは12才ではじめてリサイタルを開いた早熟の天才であり、24歳の時にはフルトヴェングラーに見いだされてベルリン・フィルの首席奏者に抜擢されます。その後、チェリビダッケやカラヤンのもとで演奏を行うのですが、彼が深く尊敬したのはカラヤンではなくてチェリビダッケの方でした。
あまりふれている人は少ないのですが、実際の演奏活動を通して、ニコレが帝王カラヤンではなくて異端児のチェリビダッケの方を評価していたというのは非常に興味深いものがあります。
ランパルとニコレを並べてみれば、その関係はどこかカラヤンとチェリビダッケに似ています。
もちろん、二人はカラヤンとチェリビダッケほどには仲が悪くはなかったでしょうし、ニコレもまたチェリビダッケほど狷介な性格ではありません。しかし、狷介とまではいかなくても、演奏でも教育でもかなり厳格な精神の持ち主であったことは事実のようです。
また、ニコレはチェリビダッケのように録音という行為そのものを否定していたわけでもありません。
しかし、カラヤン的な「売れるなら何でもやります」みたいなところがあったランパルに対して、ニコレの方はそこまで「芸人」には徹しきれない潔さがありました。
カラヤンはよく「星の数(屑)」ほど録音したと言われますが、ランパルもまた膨大な量の録音の残しています。
それと比べれば、ニコレは非常に禁欲的であり、その面でもチェリ的です。
そして、こういう世界では「露出」することが大切であり、それは亡くなってからでも意味を持ちます。それは「まだ存命だったんだ」と「もう亡くなっていたんだ」くらいの差になることもあります。
ただし、厚かましさがあれば「露出」が出来るというわけでなく、そこには「露出」に耐えうる「芸」と、「露出」することで「あれこれ批判される事」に屈しないタフな「精神力」が不可欠です。
貶しているわけではないのですが、日本側の要望で「ちんちん千鳥」なんかを録音しているランパルを聞くと、「この人はタフだなぁ!」と感心してしまうのです。
そして、そう言う面でもっともタフだったのはカラヤンでした。
そんなニコレですから、ベルリンフィルが完全にカラヤン統治下になるとやめてしまうのは当然だったでしょう。(1959年)
そして、ソロ活動に転身していく中でリヒターとの関係を深めていき、随分とたくさんの録音を残しています。
ただし、そう言う二人の関係がどこまで良好だったのかは分かりません。いろいろ調べてみたのですが、ニコレはゴシップネタになるようなことはしゃべらない人だったようで、ただ、一つだけチェリビダッケへの尊敬だけを隠さなかったと言うことです。
このモーツァルトの2つのコンチェルト(K.313,K.314)やアンダンテ(K.315)を聞くとハープとの協奏曲(K.299)ほどには居心地の悪さはないようです。やはり、あれはハープの縦割りのラインが目に見えるかのような響かせ方があまりにもミスマッチだったのかもしれません。
もちろん、リヒターのやり方はまったく変わっていません。
カラヤン流の横への流れだけを重視した音楽に拒否感があったことはよく分かります。
リヒターはモーツァルトであっても、バッハの時と同じようにパキパキと縦割りで音楽を進めていきます。もちろん、バッハほどくっきりとエッジを立ててはいないので「厳格」とまでは感じませんが、それでもかなり厳しい表情になっていることは事実です。
そして、ニコレもまた「モーツァルトの歌」に足をすくわれることなく、躍動的で潔癖なラインを描いていきます。
ニコレは確か70年代にももう一度録音していたと思うのですが、残念ながら未聴です。
調べてみるとバックはデイヴィッド・ジンマン&コンセルトヘボウ管弦楽団でした。バックは随分違うので、どんな演奏になっているのか聞き比べてみたいものです。
なお、録音が「1960年-1962年録音」となっているのは、レーベルの度重なる合併によって詳しいデータが紛失してしまったことが原因のようです。いろいろ調べてみたのですが、レーベルの側でも分からないことが私に分かるはずもなく、この表記としました。
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