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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」

(P)アルトゥール・ルービンシュタイン:エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 1963年3月4日録音

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [3.Rondo. Allegro]


演奏者の即興によるカデンツァは不必要

ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。


選択と集中

ルービンシュタインは3回ベートーベンの協奏曲をコンプリートしています。


  1. ヨゼフ・クリップス指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア 1956年録音

  2. エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 1963年録音~1967年録音

  3. ダニエル・バレンボイム指揮 ロンドン・フィルハーモニック 1975年録音



クリップスとの録音は56年ですがRCAでの録音なので当然の事ながらステレオ録音です。つまり、彼はステレオによる録音で3回もベートーベンの協奏曲をコンプリートしたのです。
それは、ルービンシュタインにそれだけの愛情があったと言うことであり、その録音を期待する聞き手が多く存在したと言うことでもあります。

演奏のクオリティと年の話をすると、偉大な芸術家は年を重ねるにつれて深みを増していくと固く信じている方からはお叱りを受けるのですが、それでもこの3つの全集を並べて聞いてみれば加齢に伴うルービンシュタインの「衰え」は明らかです。

「ピアノの王様」と言われたほどの豪快なルービンシュタインの持ち味がたっぷりと楽しめるのはクリップスとの全集です。
この時、ルービンシュタインは69才でした。

この録音はとあるアメリカの高名な評論家によって「クリップスの指揮がベートーベンを演奏する指揮者としては凡庸の極み」と酷評されたのですが、今は正当な評価が定着しているようです。
ピアニストはヴァイオリニストなどとは違って第一線で活躍できる期間は長いと思うのですが、それでも69才でこれだけ弾けるとは見事なものです。

次のラインスドルフとの全集は集中的に為されたモノではなくて、76才から80才に至る時期に録音されています。
そして、最後のバレンボイムとの録音は88歳の時のモノです。

このバレンボイムとの録音についてはとある日本の評論家が高く評価したので、この国では「決定盤」扱いをされています。
「ルービンシュタインは1963年にもラインスドルフと組んで「皇帝」を録音しており、非常な名演奏だが、新しいバレンボイムとの共演盤とくらべると、月とスッポンぐらいちがう。・・・僕はルービンシュタインの新盤さえあれば他のレコードは必要ない、とさえ思っている。」

「ルービンシュタインの新盤さえあれば他のレコードは必要ない」という言葉はレコード会社ならば泣いて喜びそうな言葉なのですが、要はそう言うことであって、彼をのぞく大部分の評論家はこれを全く評価していません。

明らかに速くて難しいパッセージには指がついて行かないので、何とか指がついて行ける範囲にまでテンポを落としています。そして、そこだけテンポが落ちると不自然になるので、その「弾ける」テンポをベースとして全体のテンポ設定が為されています。そして、その恣意的なテンポ設定を「雄大であり、悠々と落ち着き、内容ゆたかで、ときにはゆとりをもって遊ぶ」と言うのは詭弁以外の何ものでもないでしょう。

しかし、だからといって、この録音によってルービンシュタインを貶めるつもりはありません。
90才を前にしてもベートーベンへの愛情を失わずに、老いたる己の限界の中で演奏という行為に向かい合った偉大な男の姿が刻み込まれています。ですから、そういう「物語」として受け止めれば、これほど感動的な演奏はありません。
しかし、その「物語」と「演奏のクオリティ」を取り違えて、「月とスッポンぐらいちがう」とか「ルービンシュタインの新盤さえあれば他のレコードは必要ない」などという物言いは、結果としてルービンシュタインを貶めることにしかならないのです。

クリップスとの全集は評論家によって必要以上に貶され、バレンボイム盤は必要以上に持ち上げられました。それらに対して、このラインスドルフ盤の立ち位置は何となくスルーされている感じです。
特に日本では、その高名な評論家によって「ルービンシュタインの新盤さえあれば他のレコードは必要ない」とまで言われたので、静かにフェードアウトしていきました。

しかし、それには幾つか理由があったことも事実のようです。
その最大の要因はルービンシュタインをサポートする指揮者のスタンスに関わる問題です。

クリップスは完全にルービンシュタインに仕えていました。
「自分が弾くピアノの音はくまなく聞き手の耳に届かなければいけない」

このルービンシュタインの信念にクリップスは完全に従っていました。
ルービンシュタインは好き勝手にピアノを鳴らし、それに対して指揮者のクリップスは奇蹟のバランスでフォローしていました。ルービンシュタインは自分の興が趣くままに好き勝手、自由に演奏していて、そう言うわがままなピアノに対して「これしかない」と言うほどの絶妙なバランス感覚でオケをコントロールしていたのがクリップスでした。

しかし、様々な艱難辛苦の末についにボストン響のシェフに上りつめたラインスドルフには、クリップスのようなスタンスを取るつもりは全くありませんでした。
彼は共演する音楽家とたびたび衝突し、規則通りにリハーサルすることを要求する労働組合や管理者とも衝突を繰り返しました。
そんな男がクリップスのような態度を取るはずもなく、それはこのコンビによる最初の録音となった「皇帝」の出始めの第一音を聞いただけで分かります。

そこで、ラインスドルフはルービンシュタインに宣戦布告をしています。そして、その宣戦布告に対してルービンシュタインも受けて立つ姿勢を見せるのですが、残念ながら力の衰えは隠しきれませんでした。
私が大好きなあの第2楽章の歌、あそこを聞くたびに「去りゆく愛しき者への万感の思いをこめた別れの歌」を感じるのですが、ルービンシュタインのピアノからはその別れの間際に詰まらぬ諍いがあったかのように聞こえてしまうのです。

何の遠慮もなく分厚く強靱にオケを鳴らせようとするラインスドルフに対してルービンシュタインも立ち向かおうとするのですが、そうすればするほど力が入ってピアノから微妙なニュアンスが失われていくのです。
この、ともすれば直線的で細やかなニュアンスが失われがちになるのはルービンシュタインの欠点の一つだと思うのですが、ここではそれがまともに表に出てしまっているのです。
おそらく、50年代の録音のパートナーがラインスドルフであり、60年代のパートナーがクリップスだったらよかったのかもしれません。

しかし、ルービンシュタインが偉いと思うのは、これで録音をやめなかったことです。
彼は年を重ねるにつれて、選択と集中をしたピアニストでした。

年を重ねても演奏が出来る、または演奏をしてみたい作品を絞り込み(選択)、その少ない作品を時間をかけて練習(集中)したのです。
ルービンシュタインにとってベートーベンの協奏曲は、最後の最後まで演奏したい作品だったのでしょう。
ですから、彼はこのラインスドルフという、ある意味ではあまり相手にしたくない狷介な性格の男を想定して練習を積み重ね、さらには時間をかけてお互いの溝を埋めながら全集を完成させたのでしょう。

1963年から1967年までの4年もかけて全集を完成させた背後にその様な「物語」を見るのは穿ちすぎかもしれませんが、それでもその様な「物語」とセットで聞いてみたくなる全集ではあります。

この演奏を評価してください。

  1. よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
  4. なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



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