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メニューヒン(Yehudi Menuhin)|バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV1051
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV1051
(Vn & Con)ユーディ・メニューイン バース祝祭管弦楽団 1959年録音
Bach:Brandenburg Concerto No.6 in B-flat major, BWV 1051 [1.(no tempo indication)]
Bach:Brandenburg Concerto No.6 in B-flat major, BWV 1051 [2.Adagio, ma non tanto]
Bach:Brandenburg Concerto No.6 in B-flat major, BWV 1051 [3.Allegro]
就職活動?
順調に見えたケーテン宮廷でのバッハでしたが、次第に暗雲が立ちこめてきます。楽団の規模縮小とそれに伴う楽団員のリストラです。
バッハは友人に宛てた書簡の中で、主君であるレオポルド候の新しい妻となったフリーデリカ候妃が「音楽嫌い」のためだと述べていますが、果たしてどうでしょうか?
当時のケーテン宮廷の楽団は小国にしては分不相応な規模であったことは間違いありませんし、小国ゆえに軍備の拡張も迫られていた事を考えると、さすがのレオポルドも自分の趣味に現を抜かしている場合ではなかったと考える方が妥当でしょう。
バッハという人はこういう風の流れを読むには聡い人物ですから、あれこれと次の就職活動に奔走することになります。
今回取り上げたブランデンブルグ協奏曲は、表向きはブランデンブルグ辺境伯からの注文を受けて作曲されたようになっていますが、その様な文脈においてみると、これは明らかに次のステップへの就職活動と捉えられます。
まず何よりも、注文があったのは2年も前のことであり、「何を今さら?」という感じですし、おまけに献呈された6曲は全てケーテン宮廷のために作曲した過去の作品を寄せ集めた事も明らかだからです。
これは、規模の小さな楽団しか持たないブランデンブルグの宮廷では演奏不可能なものばかりであり、逆にケーテン宮廷の事情にあわせたとしか思えないような変則的な楽器編成を持つ作品(第6番)も含まれているからです。
ただし、そういう事情であるからこそ、選りすぐりの作品を6曲選んでワンセットで献呈したということも事実です。
- 第1番:大規模な楽器編成で堂々たる楽想と論理的な構成が魅力的です。
- 第2番:惑星探査機ボイジャーに人類を代表する音楽としてこの第1楽章が選ばれました。1番とは対照的に独奏楽器が合奏楽器をバックにノビノビと華やかに演奏します。
- 第3番:ヴァイオリンとヴィオラ、チェロという弦楽器だけで演奏されますが、それぞれが楽器群を構成してお互いの掛け合いによって音楽が展開させていくという実にユニークな作品。
- 第4番:独奏楽器はヴァイオリンとリコーダーで、主役はもちろんヴァイオリン。ですから、ヴァイオリン協奏曲のよう雰囲気を持っている、明るくて華やかな作品です。
- 第5番:チェンバロが独奏楽器として活躍するという、当時としては驚天動地の作品。明るく華やかな第1楽章、どこか物悲しい第2楽章、そして美しいメロディが心に残る3楽章と、魅力満載の作品です。
- 第6番:ヴァイオリンを欠いた弦楽合奏という実に変則な楽器編成ですが、低音楽器だけで演奏される渋くて、どこかふくよかさがただよう作品です。
どうです。
どれ一つとして同じ音楽はありません。
ヴィヴァルディは山ほど協奏曲を書き、バッハにも多大な影響を及ぼしましたが、彼にはこのような多様性はありません。
まさに、己の持てる技術の粋を結集した曲集であり、就職活動にはこれほど相応しい物はありません。
しかし、現実は厳しく残念ながら辺境伯からはバッハが期待したような反応はかえってきませんでした。バッハにとってはガッカリだったでしょうが、おかげで私たちはこのような素晴らしい作品が散逸することなく享受できるわけです。
その後もバッハは就職活動に力を注ぎ、1723年にはライプツィヒの音楽監督してケーテンを去ることになります。そして、バッハはそのライプツィヒにおいて膨大な教会カンタータや受難曲を生み出して、創作活動の頂点を迎えることになるのです。
血が出るような穏健さ
メニューヒンというヴァイオリニストに対する評価は難しい面を持っています。
10代で神童としてデビューした早熟の音楽でありながら、その後はあれこれの技術的な弱さが指摘される人でした。しかし、その名声を活用してナチスの戦犯容疑からフルトヴェングラーを解放するという活動を行った人でもありました。そして、その見返りとしてユダヤ人社会が大きな力を持つアメリカの音楽界から追放される憂き目にあうのですが、それでも己の信念を曲げることなく活動の本拠をロンドンに移す「気骨」の人であり「人道」の人でもありました。
そして、そう言う「人道主義者」としての側面に思い入れを持って聞く人は、彼の演奏のことを、「今、窓から飛び降りようとしている人に向かって、懸命に語りかける演奏」だとしてその高い精神性を褒め称えるのですが、そう言うことに「価値」を認めない人はただの下手な演奏だと切って捨てるのです。
そういえば、随分昔に、彼の2度目のバッハの無伴奏録音(1956年)をアップしたときにも、私もまた何とも言えず歯切れの悪い書き方をしていました。
「ヨハンナ・マルティの無伴奏を聴いてしまうと、今までは実に豊かで流麗と思っていたメニューインの演奏のあちこちに「キコキコ」した部分が気になって仕方がありません。もっとも、その「キコキコ」が、あまりにも気持ちよく横に流れていくことを「拒否」する解釈からくるものなのか、ボーイングの不備から来るものなのか、素人の私には断定できません。ただ、今まではシゲティの対極にあるバッハとして喜んで聴いていたものが、その向こうにマルティという存在がいることを知ってしまうと、私の中での存在価値が下がってしまったことは否めません。」
若者の最大の強みは「知らない」事です。
そして、知らないがゆえに己の信じるものを衒いもなく絶対の自信を持って表現しきることができます。未だ10代だったメニューヒンが30年代に録音した無伴奏の録音からは、やんちゃ坊主そのままの勢いに満ちた好き勝手な演奏が展開されているのですが、その好き勝手ぶりの何と魅力的なことか!!
50年代以降のメニューヒンの「不調」は一般的には第2次大戦下の過労とそれに伴う体調不良に帰されることが多いのですが、変わり目を迎えた時代のメニューヒンの録音を聞いてみると、その奥にはフルトヴェングラーとの交流の中で「知ってしまった」事への「恐れ」があったのではないかという気がしてきます。「恐れ」を知らなかった若者が(彼がフルトヴェングラーの擁護を買って出たのは31歳の時でした)、この偉大な指揮者と音楽活動を重ねることで「恐れ」を知ってしまったのです。
そう言えば、彼は、フルトヴェングラー以外とは共演したくない、みたいなことを語っていました。
ところが、そのフルトヴェングラーが54年に亡くなってしまうのです。
彼は何も語っていませんが、このフルトヴェングラーの死は彼にとって大きな衝撃であったはずです。音楽というものが持っている底知れない世界への扉が開け放たれて、そこへ一人で放り出されたのです。
そこで「恐れ」が生じなければ嘘です。
ですから、私がかつて感じた50年代の無伴奏の録音に対する疑念は半分は当たっていたのかもしれません。
あそこで感じた「流麗さ」は、実は「穏健さ」だったのです。
もっときつい言い方をすれば、それは「流麗なバッハ」というマルティのような「信念」に裏打ちされたものではなく、「恐れ」を知ってしまったがゆえに、どこからも文句が出ないように気配りを張り巡らした「穏健さ」の産物だったのです。
そして、その思いは、この時代に集中的に録音されたバッハ演奏を聴いているうちに、次第に確信に変わっていきました。
フルトヴェングラーが亡くなってからは「音楽の捧げもの」「ブランデンブルグ協奏曲」「管弦楽組曲」というバッハ作品を集中的に録音しています。そして、その演奏スタイルは時代の潮流に沿った小規模のアンサンブルでありながら聞こえてくる音楽はきわめて「穏健」で「保守的」なものなのです。
この時代は、パイヤール、シモーネ、マリナー、ミュンヒンガーなどが活動を始めた時期であり、さらにはドイツではリヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽団を率いて意欲的な活動を始めた時期でした。そう言う動きの中にこのメニューヒンの録音を置いてみると、「穏健」という言葉しか思い浮かびません。
もちろん、メニューヒンのバッハは、かつての大指揮者達がフルオーケストラをたっぷりと鳴らして豊かに歌い上げていた「古いバッハ」とは全く異なります。しかし、演奏の基本的なスタイルは時代の潮流に沿ったものでありながら、そう言う古い価値観の側から突っつかれて言い逃れができるような音楽であることも事実なのです。言葉をかえれば、そう言う古いバッハにも捨てきれない価値があることを「知って」しまったのです。
やはり音楽というのは人の魂に訴えかけるものでなければ存在価値がありません。
新しい表現スタイルが一時的に人の関心をひいたとしても、それが「新しさ」だけであればいつか捨てられてしまいます。この時代のバッハで、今も多くの人の心に響くがリヒターのバッハであるという事実がその事を如実に証明しています。
おそらく、メニューヒンがフルトヴェングラーから学んだ最大のものがこの事だったのではないでしょうか。しかし、ここでのメニューヒンのバッハから聞こえてくるのは「知ってしまったが故の恐れ」です有り、それを突き破れないもどかしさです。
おかしな表現かもしれませんが、その意味では、この「穏健さ」は「血が出るような穏健さ」なのです。
そして、その一見すれば穏やかに見える表情の奥にその様な思いがあるがゆえに、そこから「今、窓から飛び降りようとしている人に向かって、懸命に語りかける」姿を聞き取るのでしょう。
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