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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491

(P)アルトゥール・ルービンシュタイン クリップス指揮 RCAビクター交響楽団 1958年4月11,12&21日 & 1959年12月31日(Cadenzas)録音

Mozart:Piano Concerto No.24 in C minor K.491 [1.Allegro]

Mozart:Piano Concerto No.24 in C minor K.491 [2.Larghetto]

Mozart:Piano Concerto No.24 in C minor K.491 [3.Allegretto]


暗く、そして暗く、暗鬱な世界を描き出していきます

モーツァルトと言えば「永遠の神童」というのが19世紀以来長く抱かれてきたイメージでした。可愛らしく美しい音楽をたくさん書いた作曲家というイメージです。
もちろん、彼の作品の大部分を簡単に聞くことができるようになった60年代以降になるとそんなイメージは消し飛んでしまいました。

しかし、それ以前の時代にあっては、そう言うイメージに相応しからぬ作品は演奏の機会も少なかったようです。今日的評価からすれば、このハ短調のコンチェルトはモーツァルトの全作品の中でもトップクラスの傑作に位置するはずです。
しかし、その作品のイメージは「永遠の神童」からは最も遠い位置に存在する音楽だったがゆえに、演奏される機会の少ない作品でした。

モーツァルトという男は時々、何かが舞い降りたかのように暗い情熱があふれ出します。
ただし、その舞い降りるきっかけとなるのは私生活におけるあれこれの出来事とは全く無縁であって、彼の中にある音楽が一つの飛躍を遂げようとするときに、そのような暗い情熱があふれ出すように見えます。

ピアノ協奏曲の分野で言えば、それは第9番の「ジュノーム」であったり、20番のニ短調コンチェルトであったりするのですが、その最たるものがこのハ短調のコンチェルトです。これを聞いてしまうと、「ジュノーム」やニ短調コンチェルトでさえ、ただのメランコリーに思えてしまうほどです。

この時代の常識から言えば、冒頭の音楽は異形を通り越して異常です。

お金を払って予約演奏会に参加した聴衆は、この音楽が冒頭で鳴り響いたとき、いったいどんな表情をしたのでしょうか?・・・と、かのアインシュタインも問うています。

確かにオケは豪快に鳴り響いています。それはまるでシンフォニーであるかのように鳴り響くのですが、そこで描き出される世界に「楽しみ」はなく、どこまで行っても暗鬱です。暗く、そして暗く、暗鬱な世界を描き出していきます。
そして、この暗黒城のような世界へそっと寄り添うようにピアノのソロが入ってくる部分は、今日的感覚からすればとても美しく感じるのですが、18世紀の人々はどのように感じたのでしょうか?

しかし、そんな最初の戸惑いも第2楽章の慰めに満ちた音楽に出会うことでホットしたかもしれません。ピアノに寄り添う管楽器の響きは深い憂愁に満ちていて、やっとの事で暗黒世界から浮かび上がったような気分にさせられたことでしょう。
これで最後の楽章がそれなりの愉快さで締めくくられれば、最初の異形も一つの趣向と笑ってすませられたことでしょう。
おそらく予約演奏会に参加した人々はそうなることを信じて疑わなかったはずです。

ところが、始まった音楽は最初の音楽を上回るほどに暗鬱な変奏曲形式だったのです。

確かにここではピアノの素晴らしい名人芸が披露されています。聞くところによると、残されている自筆譜のピアノパートにはモーツァルトにしては珍しく何度も書き直しの跡が残されていているそうです。
しかし、明らかに、当時のウィーンの聴衆が求めたピアノの名人芸はこのようなものではありませんでした。

救いは、同じ日に演奏されたもう一つのコンチェルトがイ長調のコンチェルト(23番)だったことでしょう。
こちらは、上手にヴェールをまとうことで「自分の品位を落とさずに聴衆の意を迎えることに成功(アインシュタイン)」しているからです。
おかげで、こんな作品を発表しながらも、この時点ではまだウィーンの聴衆のご機嫌を損ねることはなったようです。

しかし、このハ短調のコンチェルトではイ長調のコンチェルトのようなヴェールは脱ぎ捨てて、モーツァルトの暗い情熱が爆発しています。
そして、この爆発によってもたらされた飛躍によって、やがてモーツァルトはウィーンの聴衆から完全に見捨てられることになってしまいます。

モーツァルトほどの才能があれば、何の苦労もしないで当時の聴衆のご機嫌を取ることはできたはずです。
多くの凡庸な作曲家たちがウィーンの聴衆の意に沿わんとして悪戦苦闘しているときに、モーツァルトは鼻歌交じりでゲームをしながら、彼らが気に入るような音楽を楽々と書き上げることができたのです。
ところが、そんな男の前に、なぜか誰もが気づきもしないような音楽上の課題が舞い降りてしまったのです。そして、そう言う課題が舞い降りてくれば、その課題と血みどろで取り組まないと気がすまないのがモーツァルトという男でした。

その結果として書き上げたのがハ短調のコンチェルトだったのです。

外から押しつけられた苦労は人を歪にさせますが、誰もが気づきもしないようなところに本当の苦労を見いだす人は自己を大きく成長させます。
確か、小林秀雄が「モーツァルト」の中でそんなようなことを書いていたような気がします。
普通に読めばつまらぬ人生訓みたいですが、こういう音楽を聴きながら思いをいたせば、あらためてしみじみと見なおしてみたくなる言葉です。


私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。

ルービンシュタインという人は膨大な量の録音を残し、そのレパートリーも広大なものでした。ところが、ルービンシュタインとモーツァルトという組み合わせは今ひとつピンと来ません。
あれほど膨大な録音を残したピアニストだったにもかかわらず、さて、ルービンシュタインにモーツァルトの録音ってあったっけ?・・・なんて思ってしまうほどです。

調べてみると、彼が残したモーツァルトのピアノ協奏曲はわずか5曲です。


  1. ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音

  2. ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音

  3. ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1961年録音

  4. ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 ウォーレンステイン指揮 RCAビクター交響楽団 1962年録音

  5. ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491 クリップス指揮 RCAビクター交響楽団 1958年録音



これは彼の録音歴を前提としてみれば際だって少ないと言わざるを得ませんし、何よりもこの一時期だけに集中しているというのが異常です。

しかし、調べてみると、これ以外にお蔵入りとなってしまった録音があることが分かりました。
DECCAの伝説的録音プロデューサーだったカルショーの自伝に記されている有名な話なので、ご存知の方も多いと思います。

お蔵入りとなった録音はルービンシュタイン73歳の時のものだと書かれているので、おそらくは1960年だろうと推測されます。
カルーショーの記述によると、ルービンシュタインは「自分が弾くピアノの音はくまなく聞き手の耳に届かなければいけない」と宣告したそうです。意味ありげな言葉なのですが、実際の演奏を聴けば吃驚仰天、何のことはない、彼は到底モーツァルトとは思えないような爆音でピアノを弾きはじめたのです。さらに怖いことに、長年のおつきあいだった指揮者のクリップスの方も、そう言うルービンシュタインのピアノの音を一切邪魔することなく控えめにオケをコントロールしたのです。
当時の録音は基本的にワンポイント録音に近いものですから、編集の過程でバランスを調整すると言うことは不可能です。

結果としてテープに録音された音は売り物にはならないとカルーショーは判断し、その判断を依頼主であるRCAにも伝えました。そして、RCAもまた長年にわたってルービンシュタインの爆音に悩まされてきたので、その申し出の意味するところをすぐに理解し、カルーショーの申し出を即座に受け入れました。
結果として、1960年に集中的に録音された17、20、23番は全て没となってしまい、その後も「何かの間違い」で表に出ると言うこともなく今も「幻の録音」のままです。

確かに、ルービンシュタインはクリップスとのコンビでは、ある意味ではクリップスの名人芸に甘えて、力の限りピアノを鳴らす傾向がありました。
例えば、1956年に集中的に録音されたベートーベンのピアノ協奏曲などでは、ルービンシュタインは好き勝手にピアノを鳴らし、それに対して指揮者のクリップスは奇蹟のバランスでフォローしていました。ルービンシュタインは自分の興が趣くままに好き勝手、自由に演奏していて、そう言うわがままなピアノに対して「これしかない」と言うほどの絶妙なバランス感覚でオケをコントロールしていたのがクリップスでした。

あの録音をはじめて聞いたときはルービンシュタインよりもクリップスの凄さを実感したものです。そして、そう言うクリップスの名人芸を「ベートーベンを演奏する指揮者としては凡庸の極み」と切って捨てた評論家のいい加減さに呆れ果てたものでした。

そんなルービンシュタインがはじめてモーツァルトのコンチェルトを録音したのが58年のニ短調コンチェルトでした。
「私にはベートーベンがソナタの1楽章全部を費やして語るよりも多くのことを、ほんの数小節でモーツアルトが表現してしまうように思えます。私はモーツアルトを本当に、本当に心から尊敬しています。」なんてな殊勝な事をルービンシュタインは語っていました。
つまりは、モーツァルトに対してはさすがのルービンシュタインも「構え」ていたのです。ですから、この58年に録音されたニ短調コンチェルトは、ルービンシュタインとは思えないほどに随分と控えめにピアノを鳴らしています。そして、相棒のクリップスの方も、いつものようにルービンシュタインのピアノの邪魔にならないようにコントロールするので、さらに控えめにオケを鳴らすという事態になっています。

聞けば分かるように、売り物にならないような酷いバランスにはならなかったのですが、ルービンシュタインの美質がほとんどスポイルされたような詰まらない演奏と録音になってしまっています。
おそらく、これではイカン!!と思ったのでしょう。

ルービンシュタインの魅力はピアニシモであってもピアノが完璧に鳴りきっているところにあります。
こんな恐る恐るの手探り状態の演奏では、いかにモーツァルトでもよろしくないのは明らかです。そして、この反省をもとに、おそらくは60年には「やってしまった」のでしょう。

ルービンシュタインはいつもルービンシュタインらしく、しかし、クリップスにしてみれば「もう付き合いきれない」となったのかもしれません。
ベートーベンやブラームスのコンチェルトならば音楽の形を崩さずにバランスをとることが可能であっても、それがモーツァルトとなると不可能です。そして、その結果が「没」という惨事をうむことになったのだろうと想像されます。

しかし、それでもルービンシュタインは諦めがつかなかったのでしょう。
レーベルにしてもルービンシュタインというビッグネームによるモーツァルトのコンチェルトはカタログに欲しかったはずです。

そこで、再度仕切り直しをしたのが、何でも言うことを聞きそうな「ウォーレンステイン」を起用しての61年から62年にかけての録音だったと想像されます。

おそらく、入念に打ち合わせを行ったものと思われます。
調べてみると録音プロデューサーは58年のハ短調コンチェルトを録音したときと同じ「Max Wilcox」なる人物です。
今度はルービンシュタインのピアノは十分に鳴りきっています。それに対するウォーレンステインのサポートもそれほど大きな破綻をきたすことなく上手くバランスをとっています。
「RCAビクター交響楽団」というのも怪しげな団体ですが、おそらくは録音の契約上の名前を出せないだけで、どこかのしっかりとしたオケであることは聞けばすぐに分かります。

こうして、60年には没となった17、20、23番に加えて21番の録音を完了して、ルービンシュタインの「モーツァルトの時」は終わりました。

この一連の録音では、いつものルービンシュタインらしくピアノは芯から鳴りきっています。結果として、ルービンシュタインの陽性の気質が表面にでて、光と影が交錯するモーツァルトではなく、終始明るい日の光に照らされているモーツァルトになっています。
当然の事ながら、そんなモーツァルトに違和感を感じる人もいるでしょうが、しかし、聞いてみればこれもまたモーツァルトであり、決して「壊れたモーツァルト」にはなっていません。

しかしながら、そう言うアプローチであるがゆえに、個人的には17番のコンチェルトが一番上手くいっているような気がします。
もちろん、そのあたりの判断はそれぞれの聞き手にゆだねますが、かなりユニークな部類に入るモーツァルトであることは間違いありません。

この演奏を評価してください。

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