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チャイコフスキー:イタリア奇想曲 作品45

バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1960年2月16日録音

Tchaikovsky:Capriccio italien Op.45


気力・体力ともに充実した時期の作品

メック夫人からの不思議な資金援助で音楽院の仕事から解放され、さらには不幸な結婚生活の失敗からも立ち直って、気力・体力ともに充実した時期の作品です。
作品は、通して演奏されるのですが、細かく見ていくと5つの部分に分かれます。

<第1部:アンダンテ・ウン。ポーコ・ルパート>
冒頭のトランペットのファンファーレが印象的です。この旋律は、チャイコフスキーがローマに滞在しているときに聞こえてきた騎兵隊のラッパの響きに由来していると言われています。やがて、イタリア民謡「美しい娘さん」の旋律もあらわれて、イタリアの南国的情緒が大きなクライマックスを迎えます。

<第2部:アレグロ・モデラート>
音楽は4拍子になって優美な雰囲気に変わります。ここは、結構しつこく強弱記号が書き込まれていて、それをどのように受け取ってどのように扱うのかは指揮者によってかなり差が出る場面でもあります。
音楽は、再び第1部の旋律が登場して第3部へと引き継がれます。

<第3部:プレスト>
管楽器がメインとなって印象的なタランテランの旋律を歌います。タランテランとはナポリ発祥の舞曲で、ここで音楽はまた6拍子に戻り快活に踊り出します。

<第4部:アレグロ・モデラート>
音楽3拍子になって落ち着きを取り戻し、第1部の民謡の旋律が重厚な響きで荘重に歌い上げられます。

<第5部:プレスト>
音楽は再び6拍子に戻って第3部のタランテランのの旋律が帰ってきます。ピアニシモで始まった音楽は次第に力をしていきクライマックスを迎えます。そして、その後に短い経過句を経て音楽は2拍子になって怒濤の終結に突き進んでいきます。

と言うことで、非常に分かりやすい構成、華やかなオーケストレーション、そして何よりも魅力的で美しい旋律が散りばめられているので、初演の時から絶賛されました。
なお、この作品はイタリア旅行の時に着想され、そのスケッチをもとに帰国後に完成されています。イタリア旅行の時のチャイコフスキーはそのあまりの刺激と魅力で舞い上がっていて、父の訃報に接しても帰国せず葬儀にも参加しないほどだったので、それはきわめて賢明な判断だったと言えます。


本能としての「原典尊重」

バーンスタインとニューヨークフィルの録音は玉石混淆ですね。
ただ、こうしてまとめて聞いてきてみると、彼はその時代の巨匠と言われた音楽家たちとは全く違う新しい世界から登場したことは何となく分かってきました。

例えば、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、トスカニーニやライナー、セル、さらにはワルターやシューリヒト、モントゥーなど全てひっくるめて同じ仲間にグルーピングすれば、お前の耳は何処についているんだ?と言われるでしょう。
しかし、おそらく、この時代のバーンスタインから見れば、きっと彼らは「同じ穴の狢」に見えたはずです。

では、その「同じ穴」とは何かと言えば、それは「19世紀的ロマン主義」です。

もちろん、彼らはのこの「19世紀的なロマン主義」の弊害はよく知っていましたから、たとえばトスカニーニなんかそう言う弊害から距離を置くために「原典尊重」「作曲家の意図に忠実な演奏」を錦の御旗に掲げました。
フルトヴェングラーやクナは彼らと較べればかなり主情的な演奏をした指揮者たちですが、それでも、彼ら以前の指揮者の演奏と較べればはるかに客観性の高い音楽でした。

何しろ、本家本元の「19世紀的ロマン主義」とは、一例を挙げれば、ロッシーニが自作のアリアが演奏されたときに「装飾音をつけて飾り立てられるのは当然としても、私の書いた音符が一つも残っていないというのは酷すぎる」と嘆いたほどに「恣意的」な演奏だったのです。
しかし、この「19世紀的ロマン主義」は過去の「良い音楽」とどのように向き合えばいいのかという、本質的な部分において大きな影響力(教育力?)を持っていました。

思いきって言ってしまえば、彼らは「原典」を尊重はしましたが「神聖化」はしなかったと言うことです。
今の指揮者は、さらに言えばピアニストやヴァイオリニストのようなソリストも同様ですが、楽譜に書かれた音符は言うまでもなく、強弱やテンポまでをも含めて、それらを己の表現意図に従ってかえるなどと言うことは絶対にやりません。それは言ってみれば、本能といえるレベルにまで訓練されています。
そして、これと全く同じように、楽譜に書かれた音符や強弱やテンポが己の表現意図にとって不都合があれば、それを意図に従うように変えることは「19世紀的ロマン主義」の時代に育った音楽家にとっては「本能」と言えるまでに訓練されていたのです。


  1. トスカニーニ:1867年

  2. ピエール・モントゥー :1875年

  3. ブルーノ・ワルター:1876年

  4. カール・シューリヒト:1880年

  5. ヴィルヘルム・フルトヴェングラー :1886年

  6. ハンス・クナッパーツブッシュ:1888年

  7. フリッツ・ライナー:1888年



これ以上数え上げるのは煩わしいのでやめますが、彼らは「19世紀的ロマン主義」のまっただ中で音楽家としての基礎を学んだのです。
これ以降では、例えばジョージ・セルは彼らよりは一世代若い1897年に生まれています。原典尊重の鬼のように言われるこの指揮者の本質が、世紀末ウィーンにあることを私は自信を持って保障することができます。と言うことは、この世紀をまたぐ時期に生まれた音楽家であっても、その根っこに「19世紀」を抱え込んでいたわけです。

そのように考えてみると、この時代のメジャーなオーケストラを率いていた指揮者というのは、誰も彼もがその根っこを「19世紀」に持っていたと言えます。

もちろん、最も19世紀的なピアニストであり、リストに並ぶ偉大な教育者だったレシェティツキの門下からシュナーベルという異端児が出たように、これらの19世紀に根っこを持つ指揮者やの中から次の時代を切り開くトスカニーニやライナーやセルが出たことは認めます。しかし、ポリーニやブレンデルなどから見ればシュナーベルが偉大ではあっても古さを感じたであろうように、おそらくはバーンスタインもまた彼らに古さを感じたはずです。

バーンスタインが生まれた1918年は第1次世界大戦の終わった年です。
それは、栄光のヨーロッパ、つまりは19世紀的なヨーロッパが終焉を迎えた年なのです。その年に、バーンスタインが生まれたというのは、実に象徴的な出来事だったのかもしれません。
そして、これもよく知られたことですが、バーンスタインはヨーロッパに留学することがなく、その全てをアメリカの地で学んで成功した最初の指揮者だったのです。

彼の中を根っこの部分まで探ってみても、「19世紀的ロマン主義」は欠片も見つからないはずです。
その意味で、彼は己の知性を信じて、本当の意味で楽譜だけをたよりに音楽を作っていった第1世代に属する指揮者だったのです。ですから、この時代の彼の演奏は非常にクリアです。本当に灰汁が少なくて、作品の仕組みが透けて見えるような丁寧さがあります。
しかし、おかしな話ですが、そう言う精緻な音楽作りをしていく中で、思わず知らず感情がほとばしり出てきて爆発してしまうことがあります。世間的にはそう言う姿こそがバーンスタインの本質のようにとらえられている向きもあるのですが、この時代の録音をまとめて聞いてみると、バーンスタイン自身はそう言うことに対して抑制的な方向で自らを御していった事がよく分かります。

ただ、困るのは、そうやって抑制的になればなるほど、聞いている側がちっとも面白くないのです。もっと有り体に言えば、思わず知らず爆発したときの方が聞き手にとってはスリリングであって、逆に抑制的な面が前に出すぎると丁寧な感じしか残らないのです。
穿った見方をすれば、この時代の彼の録音が「玉石混淆」であるのはそのあたりに起因するのではないかと思われます。

そう言えば、カザルスはこんなことを言っていたそうです。
「テンポ通りに弾かない術、これは経験から身につけるしかない。楽譜に書かれてあるものを弾かない術も同様だ」
この言葉がどれほど広く知れ渡っているのかは分かりませんが、バーンスタイン以後の「原典神聖化」の音楽家たちはどのようにこの言葉を聞くのでしょうか。

そして、己を律してできる限り抑制的に振る舞おうとするバーンスタインに出会うたびに、「原典尊重」が本能として刷り込まれた世才の音楽家がそこから離れていくことの難しさを知らされます。
それはきっと、19世紀的な音楽家が原典尊重していく以上に難しかったことでしょう。

そして、こういう書き方をすると自分でもおかしいと思うのですが、こういう若い時代の録音をまとめて聞くことで、この後彼がヨーロッパに活動の拠点を移してから著しく主情的な演奏へと傾斜していったことの意味と重みが漸くにして分かるようになった気がします。

<追記>
私にとってこの作品の「刷り込み」はセル&クリーブランド管による1958年の録音です。
それと比べると、第2部の「アレグロ・モデラート」なんかは不思議なほどに曲線が多用されていて、セルとはひと味違った個性が前面に出ていて結構面白く感じました。

しかし、同時代の録音を幾つか聞いてみると、いささか考え込まされる結果となりました。

確かに、こういう小品を立派な音楽として仕立て上げる腕ならば、セルにもドラティにも適いません。
それはそれで仕方がないのですが、曲線を多用する音楽作りにおいても、例えばスタインバーグ&ピッツバーグ響による1959年録音の変態的な演奏と較べてしまうと、その足元にも及ばないのです。

これは辛いです。
はっきり言って、こういうヨーロッパにお里を持っていて、いろいろな事情でアメリカを活動の拠点としている指揮者のなかに交じって生き抜いていくのは並大抵のことではなかったはずです。

スコアが手もとにないので何とも言えませんが、音楽之友社の「名曲解説ライブラリー」に引用されている部分を見るだけでも、チャイコフスキーは例えば強弱記号なんかはかなりしつこく書き込んでいる雰囲気があります。
そして、その指示を変態的なまでに忠実に拡大して適用したのがスタインバーグの演奏なんだろうと思います。
逆に、それらの指示を適宜選択することで全体の構成を優先したのがセルやドラティです。

おそらく、バーンスタインはその両者の中間で、ひたすた丁寧にやるとこんな感じになります・・・みたいな・・・音楽にとどまっています。明らかに。

カザルスの言葉を借りれば、セルやドラティは「楽譜に書かれてあるものを弾かない術」を完璧に身につけています。
そして、スタインバーグもまた真逆の方向性ですが「楽譜に書かれてあるものを自分の意図に従わせる術」を身につけています。

バーンスタインだけがスコアに絡め取られて自由を失っているように聞こえてしまうのです。

そう思えば、私が若い時代の溢れる才能故にバーンスタインを評価していた事は誤り・・・とまでは言いませんが、それでも事の半分しか見ていなかったことは明らかです。
彼を本当に評価するならば、若い時代の目を見張るような活躍だけでなく、そこから晩年に向けて歩んだ長い道のりにもしっかり目配せをしなければいけません。
それにしても、この時代のおじさんたちって、ホントに怖い!!

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