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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K.207

(Vn)アイザック・スターン セル指揮 コロンビア交響楽団 1961年1月22日&23日録音

Mozart:Concerto for Violin and Orchestra No.1 in B-flat major K.207 [1st movement]

Mozart:Concerto for Violin and Orchestra No.1 in B-flat major K.207 [2nd movement]

Mozart:Concerto for Violin and Orchestra No.1 in B-flat major K.207 [3rd movement]


断絶と飛躍

モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。

創作時期を整理しておくと以下のようになります。

・第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日
・第2番 ニ長調 K211・・・6月14日
・第3番 ト長調 K216・・・9月12日
・第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)
・第5番 イ長調 K219・・・12月20日

この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。

これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。

さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。


不思議な共生関係で成り立っている演奏

セルとスターンというのはどう考えても取り合わせがよいとは思えません。
しかし、この二人は3曲のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を残してくれています。


  1. モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K.207 (Columbia Symphony Orvhestra) 1961年1月21日&22日録音

  2. モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216 (Members of the Cleveland Orchestra) 1961年1月22日&23日録音

  3. モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219 (Columbia Symphony Orvhestra) 1963年4月9日録音



言うまでもないことですが、「Columbia Symphony Orvhestra」の実体はクリーブランド管弦楽団そのものです。
昔はレーベルの専属契約という壁が厚かったので、その契約と抵触する場合はこういう措置がよくとられました。
おそらく、スターンとクリーブランドのオケが一緒に録音してレコードに名前がクレジットされるのは不都合があったのでしょう。

しかし、不思議なのは、第3番のコンチェルトだけがオケのクレジットが「Members of the Cleveland Orchestra」となっていることです。
調べてみると、61年に録音された第1番と63年に録音された第5番は、裏表にカップリングされて63年にリリースされています。
それに対して、どんな事情があったのかは分かりませんが、第3番だけは68年になって初めてリリースされています。

おそらく、このタイムラグがあったので、68年には「Members of the Cleveland Orchestra」というクレジットが可能になったのでしょう。

しかし、何故に第3番だけがすぐにリリースされなかったのかは謎です。
何故ならば、この第2楽章は、数あるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の演奏の中でも、絶品と言っていいほどに深い感情に包まれているからです。おそらく、この部分は、セルとスターンによる全ての演奏の中でも、最も優れた瞬間だと言い切って間違いはありません。
ですから、出来が悪いから塩漬けになっていたわけではありません。
おそらくは、レーベルとの契約問題などで不都合が生じたのでしょう。

それにしても、この二人の関係は実に微妙です。
基本的には、スターンが主導権を握って遅めのテンポでコッテリと脂ぎったモーツァルトの世界を展開しています。
ところが、セルはそう言うスターンに主導権は渡しながら、その不自由なテンポの中で極上ともいえる透明感にあふれるモーツァルトの世界を構築しています。
そして、この両者の実に奇妙な共生関係のもとで、もっとも絶妙なバランスで音楽が成り立っているのが第3番の第2楽章なのです。

それと比べれば、K.207でのセルの伴奏は切れ切れです。
スターンに寄り添う素振りは全く見られず、セルはやりたいようにやっています。ですから、セルのそう言う透明感に満ちた世界を愛する人ならばこれが一番しっくり来るはずです。冒頭から、オケの気負いが凄いことになっています。

それに対して、K.219では、やけに物わかりの良い伴奏に傾いています。
ですからスターン流の濃厚なモーツァルトが好みならばこれが一番しっくり来るのかもしれません。しかし、オケと指揮者がソリストに寄り添うとあまり面白くない演奏になることが多いです。協奏曲はお互いがけんか腰くらいがちょうどいいのです。
ですから、トータルとしてみれば、二人の演奏の中ではこれが一番つまらないかもしれません。

しかし、スターンと言えば、アメリカのクラシック音楽界では大親分でした。つまらんなぁ・・・と、思いつつも、さしものセルも譲らざるを得なかったのでしょうか。
もう少し突っ張り続けてくれれば、もっとも白い音楽が聴けたのに!!などと思ってしまいます。。

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