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ケンプ(Wilhelm Kempff)|モーツァルト:ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」
(P)ケンプ フェルディナント・ライトナー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年1月録音
Mozart:ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」 「第1楽章」
Mozart:ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」 「第2楽章」
Mozart:ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」 「第3楽章」
ザルツブルグ時代のピアノコンチェルト
<ザルツブルグ時代>
第5番 K175:1773年12月完成
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第6番 K238:1776年1月完成
第7番 K242:1776年2月完成(3台のピアノのための作品)
第8番 K246:1776年4月完成
第9番 K271:1777年1月完成
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第10番 K365:1775年?1777年に完成
モーツァルトはその生涯において27曲のピアノ協奏曲を遺したといわれています。しかし、詳しくふり返ってみると事はそれほど単純ではありません。今回は、このことについて簡単にふれておきたいと思います。
まず、一般に27曲といわれるピアノ協奏曲を大きく区切ってみると3つのグループに分かれることは誰の目にも明らかです。
一つは少年時代の習作に属するグループで、番号でいえば1?4番の協奏曲がこのグループに属します。次は、ザルツブルグの協定に宮仕えをしていた1773年から1779年に至るいわゆるザルツブルグ時代の作品です。番号でいえば5,6,8,9番の4作品と、3台、2台のピアノのための協奏曲と題された7番、10番の2作品です。そして、最後は1781年にザルツブルグの大司教コロレドと決定的な衝突をしてウィーンに出てきてからの作品です。番号でいえば11番から27番に至る17作品となります。
これで、何の問題もないように見えます。発展途上の形式だった交響曲のように、ディヴェルティメントに数えるのか交響曲に数えるのかと悩む必要はありません。しかし、一つひっかかるのがケッヘル番号でいうと107番が割り当てられている「クリスティアン・バッハのソナタにもとづく3つの協奏曲」をどのように考えるかです。これは、その名前が示すようにクリスティアン・バッハのチェンバロソナタをそのまま協奏曲に編曲したものです。もし、この作品も「モーツァルトの協奏曲」として数えるならば、少年時代の習作は4ではなくて7となり、モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で30となるわけです。しかし、旧全集ではこの3作品は基本的には「他人の作品」と判定をして「モーツァルトのピアノ協奏曲」からは除外をして、それ以外の作品に1番から27番までの番号を割り振ったわけです。
ところが、20世紀の初頭になって、少年時代の習作として1番から4番までの番号が割り当てられていた作品も、実はK107の作品と同じく、他人のチェンバロソナタを下敷きにして編曲したものであることが判明したのです。ただし、K107がクリスティアンの作品をまるまる下敷きにしたのに対して、1?4番の作品は楽章ごとにいろいろな作品を組み合わせて一つの協奏曲に仕上げていたのです。こうなると1?4番の作品とK107の3作品を区別する必然性はなくなってしまいました。この不整合を解決するためには道は二つしかありません。一つはK107の3作品も「モーツァルトの協奏曲」として数え入れるのか、逆に1?4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外してしまうかです。
この問題に最終的な決定が下ったのは、1956年から着手された新全集の刊行においてでした。そこでは、最終的に1?4番の作品を「モーツァルトの協奏曲」から除外するというストイックな方向性が採用されました。しかし、旧全集によって割り振られた番号はすでに広く世間に定着していますから、ナンバーリングを繰り上げるということはしませんでした。これは賢明な判断だったと思われます。
シューベルトの場合はこのナンバーリングの繰り上げを実施したために(7番が削除されて、9番「グレイト」が8番に、8番「未完成」が7番に繰り上げられた)未だに混乱が続いています。
こうして、現在では少年時代の習作は「モーツァルトの協奏曲」からは除外され、彼のザルツブルグ時代のピアノ協奏曲は6作品となったのです。
第5番の協奏曲がモーツァルトにとっては初めての完全にオリジナルな作品だといえます。彼はこの作品に強い愛着があったようで、ウィーン時代においても何度も演奏会で取り上げ、そのたびにオーケストレーションや楽器の編成などにも手を加えています。今では、K382のコンサート・ロンドとして知られている作品は、ウィーンにおける演奏会でこの作品の第3楽章として作曲されたものです。ですから、K175を第2楽章まできいた後に、それに続けてK382をきけばウィーンでの演奏会を再現できるというわけです。
そして、この後にしばらくの沈黙があって1776年から立て続けに5作品が作られています。おそらくは、姉のナンネルの演奏会か、もしくは自分の演奏会のために作曲されたものと思われます。ですから、この作品には当時のザルツブルグの社交界の雰囲気が反映していると思われます。
また、第8番とナンバリングされているK246のハ長調のコンチェルトには「リュッツォウ」という愛称がついています。
リュッツォウとは、ザルツブルグ要塞の司令官を勤めていた貴族の名前で、この作品はその妻のために注文された作品なのでこのニックネームがついています。
モーツァルトのピアノコンチェルトの中では最も易しい部類に属する作品のようで、ウィーンに出てからも弟子の教材としてよく使っていたそうです。
しかし、第9番の「ジュノーム」だけはひときわ異彩をはなっています。ふつうはオーケストラの前奏の後にピアノが登場するのが古典派の常識であるのに、ここでは冒頭からいきなりピアノソロが登場します。また、ハ短調で書かれた第2楽章の陰りを帯びた表情は社交音楽の枠を超えています。K466のニ短調コンチェルトほどではないにしても、ここでも一つの大きな飛躍と断絶が口を開いているように見えます。
しかし、この後にモーツァルトはザルツブルグの宮廷と決定的な衝突を引き起こし、一人の自立した芸術家としてウィーンでの生活を始めます。そこでは、売れなければ生きていけないわけですから、一瞬姿を現した断絶は閉じてしまいます。
考えをあらためた?
ケンプと言えば、まずはベートーベン、そしてシューベルト言うイメージがあって、彼のモーツァルトというのは今ひとつピンときませんでした。しかし、今回まとめて聴いてみて、実にいろいろなことを考えさせられて、面白い体験ができました。
まとめて聞いた録音は概ね以下の3グループに分かれます。
カール・ミュンヒンガー指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団&スイス・ロマンド管弦楽団管楽器グループ 1953年9月録音
- ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450
- ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノーム」
フェルディナント・ライトナー指揮 バンベルク交響楽団 1960年10月録音&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年1月録音
- ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488 1960
- ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 1960
- ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595 1962
- ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246 「リュツォウ」
ベルンハルト・クレー指揮 バイエルン放送交響楽団 1977年5月録音
- ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
- ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
ひと言で言えば、50年代の二つの録音は後のものと比べればかなり異形です。元気がいいと言えばそれまでなのですが、ミュンヒンガーの指揮するオケがかなりパキパキした感じで、後の時代のピリオド楽器による演奏を思わせるほどにとんがっています。ただし、録音の周波数特性を見てみると10KHzより上の帯域がかなり急激に減衰しているのでその分は差し引かないといけないのでしょうが、それにしてもかなりの尖りぶりです。
そして、それに呼応するケンプのピアノもかなり直線的でガンガン弾いている感じがこれまた後の時代と比べれば、まるで別人の手になるもののようです。
それと比べると、60年代にライトナーと組んで録音した4つの作品は、非常に常識的なモーツァルトに仕上がっています。ただし、この「常識的」というのは「今の目」から見てそのように感じるのであって、それをもって50年代の録音を「非常識」と言うつもりはありません。
ただ、私がこの一連の録音を聞いて面白いと思ったのは、この違いがどこに起因しているのかと言うことを考えさせられたからです。
この変化は、どう考えても「円熟した」とか「深化した」というようなきれい事で片付けられるような変化ではないです。それは、明らかに「考え方をあらためた」と言わざるを得ないほどの変化です。
50年代の直線的な演奏は明らかに、モーツァルトのピアノ協奏曲をベートーベンの協奏曲につながっていく存在として再構築しています。ですから、そこでケンプは構築への意志を見せています。
しかし、60年代の演奏からはそのような構築への意志は消えてしまって、かわりにモーツァルトの作品に内包されている微妙な光と影の織りなす繊細な世界を表現しようとする姿がはっきりと感じ取れます。
この変化を、私は「円熟」や「深化」ではなく「考えをあらためた」と感じ取ったわけです。
おそらくこの変化の背景には1956年という年が大きな意味を持っていたんだと思います。
今でこそ、モーツァルトと言えばバッハやベートーベンと肩を並べる偉大な作曲家として認知されていますが、一昔前は子ども向けの可愛らしい音楽を書いた作曲家という評価が広く定着していました。もちろん、そんな評価に異を唱える人はいましたが、社会に広く定着してしまった評価を覆すまでには至りませんでした。
そして、そのようなモーツァルトへの評価が根本から覆されて彼に対する正当な評価が社会全体に浸透し定着したのは、1956年を中心として取り組まれた生誕200年を記念する様々な取り組みによってでした。
とりわけ、LPレコードの普及に伴って多くのレーベルがモーツァルトの作品を組織的かつ大規模に録音する事によって、多くの人がモーツァルトの音楽の全貌を始めて「実際の音」として聞くことができたのです。もちろん、スコアを見て深化が理解できる人もいるのでしょうが、普通の人々は現実の「音」ととして提示されなければ何も分かりません。
その事を思えば、戦後すぐの時期に数少ない音源だけを頼りに「モーツァルト」という評論をまとめた小林秀雄の慧眼には恐れ入ります。
言うまでもないことですが、ケンプほどの男がモーツァルトの音楽を「子ども向けの可愛らしい音楽」と考えていたはずがありません。言うまでもなく、そんな社会の評価に異議を唱える気概で53年に二つの作品を録音したのだと思います。そのベクトルは、「ベートーベンの協奏曲につながっていくほどの偉大な作品」だったわけです。これは間違いないと思います。
しかし、それを「勘違いの演奏」と決めてかかるのは誤りだと思います。
ベートーベン弾きであるケンプが、己の感性を信じてモーツァルトの音楽をの価値を読み込めばこういう演奏になったわけです。その真摯さは、異形であっても聞くものに深い感銘を与えます。
しかし、1956年を境目として起こった、言わば「モーツァルト革命」とも言うべき波の中で彼は考えをあらためたんだろうと思うのです。もしかしたら、50年代に入ってから演奏活動を再開したハスキルのモーツァルトを実際に聴いたのかもしれません。(まあ、これはもう妄想にしかすぎませんが・・・)
モーツァルトの音楽は決してベートーベンの偉大なる音楽の前段階に位置するものではなくて、まさにそれのみで他に変わるものない価値と魅力を持った音楽であることを認めたのだと思います。
音楽史の中では、モーツァルトとベートーベンはともに「古典派」という枠の中におさめられるのですが、この二人は全く異質な存在です。
ベートーベンの音楽は基本的に構築していきますが、モーツァルトの音楽の魅力は光と影が織りなす繊細さの中にこそあります。それは、彼の最期のシンフォニーとなったジュピターの最終楽章においても同様です。そして、こんな事は今では誰だってえらそうに講釈を垂れることができるのですが、それをリアルタイムの中で感じ取って自分の演奏に反映していくというのはそれほど容易いことではありません。しかし、ケンプはものの見事にそのような変身を遂げて見せたのです。
ライトナーと組んで録音した4つの協奏曲は、どれもが見事なまでの繊細さに貫かれています。
どの場面をとってもピアノは控えめに鳴らされ、その微妙な音色の変化の中でモーツァルトの中に明滅する光と影が表現されています。そして、ライトナーもそう言うケンプのピアノを決して邪魔することのないようにオケをコントロールしています。
それと比べると、77年に録音された2つの協奏曲はかなり素朴です。ただし、この「素朴」というのはかなり気を使った表現です。
53年の録音は50代の後半、60年代の録音は60代の後半、そして77年の録音は80を超えての録音です。
53年の録音には気概が感じられます。60年代の録音からは芸の限りを尽くした繊細さの極みが感じ取れます。そして、77年の録音からは「枯れた芸」を感じ取らないといけないのでしょうが、いつも言っているように私は年寄りの枯れた芸には否定的です。
もっとはっきりと言えば、60年代の演奏のように芸の限りを尽くす根気と集中力を失っていることは確かです。しかし、その反面、そう言う手練手管は放棄しながら押さえるべきツボは押さえた素朴な演奏というのが好きな人はいることは否定しません。
ただ、一つ気になるのは、60年代の演奏のようなローレベルでの微妙なニュアンスというのはオーディオ装置にとっては最も苦手とする領域です。オーディオにかなり力がないと再現できない部分であることは事実ですので、できれば早急にFLACファイルはアップしたいとは思っています。
MP3ではかなりきついかもしれません。
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