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オイストラフ(David Oistrakh)|モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
Vn:オイストラフ オイストラフ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1958年5月22日録音
Mozart:ヴァイオリン協奏曲第3番 「第1楽章」
Mozart:ヴァイオリン協奏曲第3番 「第2楽章」
Mozart:ヴァイオリン協奏曲第3番 「第3楽章」
断絶と飛躍
モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。
創作時期を整理しておくと以下のようになります。
・第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日
・第2番 ニ長調 K211・・・6月14日
・第3番 ト長調 K216・・・9月12日
・第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)
・第5番 イ長調 K219・・・12月20日
この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。
これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。
さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。
とても「立派」なモーツァルト
オイストラフはこの協奏曲がよほど好きだったのか、1954年のアンチェル&チェコ・フィルとの演奏から始まって、1971年のベルリン・フィルとの弾き降りまで、6種類の録音が残っているそうです。
もちろん、すべてを聞いたわけではありませんが、一番すばらしいのはきっとベルリンフィルとの弾き振りでしょう。これほど伸び伸びと、自由闊達に弾いているモーツァルトはそうそう聞けるものではありませんし、ベルリンフィルもそんなオイストラフのヴァイオリンに触発されてなのか、実に生き生きと楽しげに演奏しているようが手に取るように分かります。
これはもう、本当に楽しげな演奏なので、その幸福感みたいなものが聞き手の方にもストレートに伝わってきます。それは、名演だとか、決定盤などという「せせこましい話」を吹っ飛ばすくらいの「楽しさ」に溢れた演奏です。
さて、問題は、ここで紹介しているフィルハーモニア管との弾き振りです。
実に端正で、引き締まった演奏ですから、「立派」なコトは間違いありません。しかし、もしもアナタが71年の録音を聞いているなら、その端正で引き締まった表現を「生硬」なものと感じるかもしれません。なるほど、モーツァルトというのは真面目一辺倒ではその真価が見えてこない人だと、改めて教えられます。
もちろん、この録音をしたときのオイストラフは50歳を目前にした年ですから決して若いとはいえません。ある意味では、技術的にも精神的にもピークにあった時期だろうと思います。「オイストラフの演奏は、若い頃の切れ味するどい情熱的な演奏と、晩年の枯れた音色を出すようになってからの2つの時期に分けることができる」などと言われる、その前期のピークの演奏だと言えるでしょうか。
しかし、71年の弾き振りは「枯れた演奏」とは感じませんね。なにか、「〜ねばならない」という思い(義務感かな?)みたいなものから自由になって、本当に心の底から音楽を楽しんでいるという雰囲気です。そして、不思議なのは、そんな幸福感の中から、モーツァルトにふさわしい色気みたいなものが漂よってきて、それがモーツァルトの演奏には欠かすことのできない要素だということを教えてくれます。決して「枯れて」はいません。
私は、常々、芸人にはピークがあって、そのピークを過ぎたあとは落ちるだけ、と言い続けてきました。ですから、「巨匠」達の晩年のヨタヨタの演奏を「枯れた芸」などと言って持ち上げるのはナンセンスだと主張し続けてきました。
その思いは今も変わりませんが、ときには、こんなオイストラフみたいな人も存在するんですね。これそ、真の名人上手と言うべきなのでしょう。
あっ、それから、こんな書き方をすると、このフィルハーモニア管との弾き振りの演奏がとても詰まらないものだと誤解をうむかもしれません。71年の弾き振りがあまりにもステキにすぎるのであって、この演奏は世間一般の標準からすればとても立派な演奏であることは間違いありません。そう、とても「立派」なモーツァルトなのです・・・(^^;
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