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J.S.バッハ:音楽の捧げもの BWV1079(3)(J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079)

ヘルマン・シェルヘン指揮 イングリッシュ・バロック管弦楽団 イングリッシュ・バロック管弦楽団 (Flute)カミロ・ワナウセク (Oboe)フリードリヒ・ヴェヒター (English horn)ヨゼフ・ノブリンガー (Basson)フランツ・キリンガー (1st.violin)グスタフ・スウォボダ (2nd.violin)アロイス・ボーク (Viola)アルトゥール・クライネル (Cello)ヴィクトル・ゴルリッヒ (Harosichord)クルト・ラップ 1951年録音(Hermann Scherchen:English Baroque Soloists (Flute)Cammillo Wanausek (Oboe)Friedrich Wachter(English horn)Franz Killinger (Basson)Josef Noblinger (1st Violin)Gustav Swoboda (2nd Violin)Alois Bog (Viola)Arthur Kreiner (Cello)Victor Gorlich (Harosichord)Kurt Rapf Recorded on, 1951)



J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079 [13.Trio Sonata:Largo]

J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079 [14.Trio Sonata:Allegro]

J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079 [15.Trio Sonata:Andante]

J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079 [16.Trio Sonata:Allegro]

J.S.Bach:Musical Offering, BWV1079 [17.Ricercare A6]


バッハの意地

バッハ最晩年の作品であり、「フーガの技法」と並んで特別な地位を占める作品なのがこの「音楽の捧げもの」です。
よく知られているように、この作品はプロイセンの国王であったフリードリヒ2世が示した主題(王の主題)をもとにした作品集です。王の主題は、「3声のリチェルカーレ」の冒頭に提示されています。


見れば(聞けば?)分かるように、非常に「現代的」な感じが漂う主題であり、バッハの時代においてはかなり異様な感じのする旋律だったはずです。当然の事ながら、これを主題として処理していくのは不可能とまでは言わなくても、かなりの困難さがあることは容易に想像がつくような代物です。ですから、本当にフリードリヒ2世自身がこの主題を示したのかは疑問です。

当時、プロイセンの宮廷には息子であるフィリップ・エマヌエル(C.P.bach)が勤めていたのですが、そこへ親父であるバッハが尋ねてきたのです。おそらくは、この宮廷楽団の中でバッハ一族の力が伸びていくのを快く思わなかった一部の音楽家達が、その鼻っ柱をへし折ってやろうという「悪意」に基づいて作り出したものではないかと想像されます。(真実は分かりませんが・・・)
何故ならば、フルート奏者としても名高かったフリードリヒ2世は作曲も行っていて幾つかの作品が残されているのですが、その作風はこの主題とは似てもにつかないギャランとな性格を持っていたからです。

ただ、バッハの高名はプロイセンにも届いていましたから、その実力の程を試してやろうという「悪戯心」は王も共有していたかもしれません。
しかし、王にとっては一場の座興であったとしても、バッハにしてみれば真剣勝負であったはずです。そして、「どう頑張ってもこの主題をもとにフーガに展開などできるはずがない!!」とほくそ笑んでいる反対派の音楽家を前にしてみれば、絶対に失敗などできる場面ではなかったのです。
それ故に、ここではバッハという人類が持ち得た最高の音楽的才能が爆発します。
バッハは王の求めに応じて、即興でこの主題をもとにした3声のフーガを演奏して見せたのです。おそらく、この時の即興演奏が「音楽の捧げもの」の中の「3声のリチェルカーレ」として収録されているはずです。

想像してみてください。
どう頑張ってもフーガに展開などできるはずがない、上手くいかずに醜態をさらすのを今か今かと待ちわびている宮廷音楽家達の前で、彼らの想像をはるかに超えるフーガが即興で展開されていったのです。その驚きたるやいかほどのものだったでしょうか。
しかし、それでは彼らの面目は丸つぶれなので、さらに彼らはこれを6声の主題によるフーガに展開することを求めます。
これも容易に想像がつくことですが、3声を6声に複雑化するのは難易度が2倍になる等という単純な話ではありません。単純な順列組み合わせで考えても、3声ならば組み合わせパターンは6通りですが、6声ならば720通りになってしまいます。フーガがその様な算術的計算で割り切れるようなものでないことは分かっていますが、それでも難易度が飛躍的に上がることは容易に想像がつきます。

さすがのバッハもその求めに即材に応じることはできずに1日の猶予を願い出るのですが、それでもその様な短期間で6声に展開することはできなかったので、バッハは自らの主題に基づいた6声のフーガを演奏してプロイセンを離れます。
結果としてこの勝負は1勝1敗となった訳なのですが、これほど不公平な勝負をドローに持ち込んだだけでも「人間技」をこえています。

しかし、バッハにしてみれば、この1敗が気に入らなかったようです。
彼はプロイセンから帰ってくると、この王の主題に基づいた6声のフーガに取り組み、その成果を13曲からなる「音楽の捧げもの」としてフリードリヒ2世に献呈するのです。なんだか、バッハの「ドヤ顔」が想像されるようなエピソードですが、そのおかげで私たちは人類史上例を見ないほどの精緻なフーガ作品を手にすることができたのです。

この「音楽の捧げもの」は大小あわせて13曲からなるのですが、それをどのような楽器で演奏するのか、さらにはどのような順番で演奏するのかが明確に指定されていません。(楽器については3曲だけが指定されている)
ですから、今日の研究では、これを一つの作品として全曲を通して演奏することは想定されていなかったとされています。しかし、全13曲が以下の3つのグループに分かれることだけは確かなようなのです。


  1. 第1部:「3声のリチェルカーレ」「6声のリチェルカーレ」

  2. 第2部:「王の主題に基づくトリオソナタ Largo~Allegro~Andante~Allegro」

  3. 第3部:「王の主題のカノン的労作 第1グループ(6曲)~第2グループ(4曲)」



なお、この作品群を詳細に紹介する力は私にはないので、そう言う細部に興味ある方は、「音楽の捧げ物」などを参照してください。

しかしながら、このエピソードには残念な後日談があります。
それは、これほどの作品を献呈されたにも関わらず、さらには、自らが命じた形になっていたにもかかわらず、フリードリヒ2世はこの作品集には何の興味示さなかったらしいのです。ですから、この作品が、その後プロイセンの宮廷で演奏されたという形跡もありませんし、もしかしたらフリードリヒは楽譜に目も通さなかった可能性もあるのです。

バッハのような「知性」を必要とする音楽よりは、陽気で楽しい音楽が持て囃される時代へと移り変わるようになり、フリードリヒの嗜好もその様なものだったのです。

おそらく、時代はバッハを理解しなくなっていたのです。
そして、この残念な後日談は、その後100年近くにわたってバッハが忘却されることを暗示する最初の出来事だったとも言えるのです。



バッハ演奏におけるミッシング・リンク

「ミッシングリンク」という言葉があります。本来は生物学で使われる用語で、生物の進化において連続性が欠けた部分をその様によぶようです。当然の事ながら進化が不連続におこるわけはなく、その不連続に見える部分には未だ発見されていない存在があることを示唆しています。
そして、この考え方はどうやらクラシック音楽の演奏史においても適用できるようです。ただし、進化がそのままプラスになる方向での変化ではないと言うことは見ておく必要があります。おそらく、生物の進化においてもその頂点に人間がいると見た場合、それが良かったのかどうかは疑問ですし、それが演奏史という人間の芸術的な営みであれば尚更です。いわゆるピリオド演奏という演奏スタイルの功罪はいろいろと意見が分かれることでしょう。

しかし、間違いもなく演奏の様式は時代とともに変化していきます。

それはバッハ演奏などにおいては顕著です。
バッハというものは重厚でロマンティックな音楽として演奏された時代がありました。とりわけ、戦前から戦後にかけて活躍したマエストロたちのバッハはフル編成のオーケストラを目一杯に鳴り響かせて濃厚なロマンティシズムに溢れた世界を繰り広げていました。
それは、現在のピリオド演奏から見れば、住んでいる星が違うのではないかと思うほどの違いです。
しかし、その様な変容は非連続的に、つまりは濃厚でロマンティックなバッハがある日突然にピリオド演奏に変化したわけではありません。

私のイメージとしては、ギュンター・ラミンあたりからそう言うロマン主義的な色合いが薄くなり、その弟子であるカール・リヒター等にいたってそう言うロマン主義的なバッハから謹厳で実直なバッハへと変容していったように思えます。そして、そう言う小編成のオケでバッハをキリリと引き締めて演奏するのが常識となりつつある中で、ピリオド楽器によるさらに精緻なバッハ演奏へと変化していきました。

そう考えてみると、リヒターからピリオド演奏への過渡期にはブリュッヘンあたりの演奏スタイルがあると思えば実にスムーズに連続性は保たれているように見えます。しかし、過去のマエストロたちの演奏からリヒターのようなスタイルへの変化はあまりにも差が大きくて、到底そこに連続性は見いだせません。それは、リヒターの前に位置する師であるギュンター・ラミンであってもその違いはかなり大きいと言わざるを得ません。
と言うことで、私はこの部分における「ミッシングリンク」の存在がなければおかしいとは思っていたのですが、どうにもそれにピッタリの演奏には出会えていませんでした。

しかし、どうやらその「ミッシングリンク」を見つけ出したようです。
それが、ヘルマン・シェルヘンによるバッハ演奏です。とりわけ、バッハの最後の作品と言ってもいい「音楽の捧げもの」を聞くと、これぞ「ミッシングリンク」という感じがします。

確かに、ヘルマンという人はスコアを精緻に分析する人で、ロマン派の音楽などは驚くほどシャープに描き出します。しかし、バッハにおいては過去の遺産が大きく足を引っ張るようで、例えば管弦楽組曲などはかなり古いスタイルの方に引っ張られています。
しかし、ある意味では純粋数学のような高い抽象性を持った「音楽の捧げもの」を聞くと、明らかに過去のバッハとは異なりますが、かといってリヒターほどには抽象性に徹していません。例えば、「音楽の捧げもの」のトリオソナタ等を聞くとまるでロマン派の小品の様に聞こえます。
それでも、音楽全体を聞けば過去のマエストロたちのバッハからは明らかに距離をおいています。

そして、あらためて感じたのはバッハの持つ重みです。
ロマン派や古典派の音楽ならば大きく一歩を踏み出すことを厭わなかったシェルヘンが、バッハではどこかその重み故に歩みの幅が小さいのです。そして、そのスタイルはリヒターなどの演奏スタイルが主流となり、さらにはピリオド楽器によるバッハ演奏も現れてくるようになる60年代の中頃になっても変わらなかったのがシェルヘンという人です。
おそらく、1965年に録音した「フーガの技法」を聞けば、それはもはやミッシング・リンクではなくてすでに淘汰されて絶滅寸前に陥った過去の遺物のように聞こえます。

しかし、おそらくはこういう小さな一歩が先行したが故に、リヒターたちは真に大きな一歩を踏み出せたのでしょう。


  1. 音楽の捧げもの BWV1079 [トリオソナタ: Largo]

  2. 音楽の捧げもの BWV1079 [トリオソナタ: Allegro]

  3. 音楽の捧げもの BWV1079 [トリオソナタ: Andante]

  4. 音楽の捧げもの BWV1079 [トリオソナタ: Allegro]

  5. 音楽の捧げもの BWV1079 [六声のリチェルカーレ]

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