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フランス・ブリュッヘン(Frans Bruggen)|テレマン:ターフェルムジーク第1集 ソナタ ロ短調&終曲 ホ短調
テレマン:ターフェルムジーク第1集 ソナタ ロ短調&終曲 ホ短調
(Flut)フランス・ヴェスター (Harpsichord)グスタフ・レオンハルト (Cello)アンナー・ビルスマ 1964年録音
Telemann:Solo H-moll Fur Zwei Querflote Und Basso Continuo, TWV 41:h4 [1.Cantabile]
Telemann:Solo H-moll Fur Zwei Querflote Und Basso Continuo, TWV 41:h4 [2.Allegro]
Telemann:Solo H-moll Fur Zwei Querflote Und Basso Continuo, TWV 41:h4 [3.Dolce]
Telemann:Solo H-moll Fur Zwei Querflote Und Basso Continuo, TWV 41:h4 [4.Allegro]
フランス・ブリュッヘン指揮 アムステルダム合奏団 (Harpsichord)グスタフ・レオンハルト (Flut)Fフランス・ヴェスター,ヨースト・トロンプ 1964年録音
Telemann:Conclusion E-moll Fur Zwei Querfloten, Streicher Und Basso Continuo, TWV 50:5
テレマンの代表作なのですが、皆さん、実際に全てを聞いたことがありますか
クルト・レーデルの演奏によるテレマンの作品を取り上げたときに「今の時代となっては、テレマンと言えば「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」くらいしか思い出されることはないのですが、存命中はまさに時代を代表する大作曲家でした。」などと書きました。しかし、その肝心の「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」を取り上げていませんでした。
それどころか、恥ずかしながら40年以上もクラシック音楽などと言うものを聞いてきていながら、テレマンの「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」をまとめて聞いたことが一度もないことに気づきました。
さらに恥を忍んで申し上げれば、「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」なんてのは王侯貴族のパーティーのBGMとして流される小品の寄せ集めだろうくらいにしか認識していませんでした。
しかし、今回、しっかりと紹介しようとして調べてみれば、それは予約を取って楽譜を出版された作品であり、さらには出版時には予約した人の名前も記されるほどの「期待作」だったのです。そして、その予約名簿にはヘンデルを筆頭としてドイツだけでなく広くヨーロッパ中から予約者が殺到していたことがはっきりと分かるのです。
まさかヘンデルが王侯貴族のパーティーのBGMとして流される小品の寄せ集めの楽譜を注文するはずもなく、その実態は極めてしっかりと構成されたテレマン期待の新作だったのです。
「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」は第1集から第3集まであるのですが、その構成は全て全く同じです。
ちなみに、第1集は以下の6作品からなっています。
- ターフェルムジーク 第1集 序曲(管弦楽組曲)ホ短調(2つのフルート、弦楽と通奏低音のための)
- ターフェルムジーク 第1集 四重奏曲 ト長調(フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロと通奏低音のための)
- ターフェルムジーク 第1集 協奏曲 イ長調(フルート、ヴァイオリン、弦楽と通奏低音のための)
- ターフェルムジーク 第1集 トリオ・ソナタ 変ホ長調(2つのヴァイオリンと通奏低音のための)
- ターフェルムジーク 第1集 ソロ・ソナタ ロ短調(フルートと通奏低音のための)
- ターフェルムジーク 第1集 終曲 ホ短調(2つのフルート、弦楽と通奏低音のための)
つまり、「管弦楽組曲-四重奏曲-協奏曲-トリオ・ソナタ-独奏楽器と通奏低音のためのソナタ-管弦楽曲」と言う構成になっているのですがのですが、この構成は第2集、第3集においても変わりません。しかし、それでは第2集以下が第1集の焼き直しのようになるので、それを避けるために、テレマンは楽器の編成を変えたり、各作品の形式を変えたりしてその腕の冴えを発揮しているのです。
作品の基礎としてはリュリに代表されるフランスの様式や、イタリアの協奏曲やソナタの書法を土台としているのですが、テレマンはその枠の中に留まることなく、二つのスタイルを独自のやり方で融合させて、まさに器楽演奏の展示場と言っていいほどの多様性に溢れた世界を築き上げています。
そして、最初に「恥を忍んで申し上げれば」と断ったのですが、実際のところ、この作品を第1集から第3集までまとめて向き合ったという人はそれほど多くはないのでしょうか。
ともすれば、バロック音楽という枠の中でも、バッハやヘンデル、さらにはヴィヴァルディと較べてもその陰に隠れがちなのですが、この「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」と一度真面目に向き合えば、彼がいかに優れた音楽家であったかが分かるはずです。
トリオ・ソナタ 変ホ長調(2つのヴァイオリンと通奏低音のための)
2つのヴァイオリンと通奏低音というトリオ・ソナタです。
この作品もまた緩ー急ー緩ー急の「教会ソナタ」の形式で書かれているのですが、テレマンはその形式の通例に従ってか、通奏低音にハープシコードではなくてオルガンを用いています。
第1楽章は第2ヴァイオリンが主題を演奏して、それを第1ヴァイオリンが模倣するというスタイルが面白いです。
第2楽章は二つのヴァイオリンが同時進行するのですが、後半部分では華やかなテクニックを披露するようになっています。そして、序奏的な第3楽章で少し気分を鎮めると、最後の終楽章では再び明るく軽やかな音楽で締めくくられます。
新しい解釈としてのピリオド演奏
「フランス・ブリュッヘン」と言う名前は私の中ではあまり好ましくはありません。何故ならば、その名前は私の中ではピリオド演奏の「元祖」と言うか、「元凶」(^^;と言うか、そう言うものとどうしても結びついてしまうからです。
そんなブリュッヘンも亡くなってからすでに8年近い歳月が過ぎていて、時の流れを感じざるを得ません。
ブリュッヘンはよく知られているようにリコーダー奏者としてキャリアをスタートさせ、その後モダン・リコーダーからしだいに古楽器へと重点を移し、最後はフルートの原型であるフラウト・トラヴェルソ奏者としても活躍した古楽復興の草分け的な存在でした。
そして、1964年には指揮者としての活動も開始し、おそらくこのテレマンの録音がそのスタートだったのではないでしょうか。
この「ターフェルムジーク」には弦楽合奏を伴わない室内楽作品も含まれているのですが、それでも指揮者であるブリュッヘンがあらゆる演奏の中心にいたことは明らかなので、彼が演奏に直接参加していない作品もブリュッヘンの項目にまとめておきました。
最初に私はブリュッヘンのことをピリオド演奏の「元凶」等と書いたのですが、この最初の録音を聞き、それを60年代前半という時期においてみると二つのことに気づかされました。
一つは、この演奏は様々な作品解釈の中にピリオド演奏という新しい解釈を持ち込んだ新鮮な演奏だったと言うことです。
当時はバロック時代の作品でもフル・オーケストラで重厚に演奏するようなことが普通にやられていました。そして、そう言う解釈は、いわゆる「巨匠」とよばれる指揮者達にとっては当然の事というのが一般的でした。そう言う時代の中で、リヒターやミュンヒンガー、レーデル、パイヤールなどが登場してくるのですが、そう言う動きをさらに一歩前に進めた新しい解釈と言うことで、それはそれで十分に聞くに値する録音だったと言うことです。
しかし、ピリオド演奏というムーブメントが世を席巻しはじめると、いつの間にかこの「新しい解釈」という枠を通りこして、「正しさ」を主張する「原理主義」に突き進んでいくようになります。
おそらく、ピリオド演奏の最大の問題点は「新しい解釈の提示」というあるべき姿から「正しさ」を主張する原理主義に陥っていったことでしょう。
そして、そこから二つめの問題点に気づかされます。
このブリュッヘンによるテレマンの録音にはグスタフ・レオンハルト、アンナー・ビルスマ、ヤープ・シュレーダーという優れた演奏家が参加して、モダン楽器による演奏の中においても遜色のないクオリティを持っていることです。
ところが、先に述べた「原理主義」はモダン楽器では表舞台に出られなかった演奏家が世に出る機会を与えてしまいました。そして、彼らの多くはその演奏の拙さを原理主義」によって覆い隠してしまいました。多くの専門家や演奏家たちもその「原理主義」の驚異を前にして、その問題を指摘することに対して腰が引けてしまったのです。
さらに、悲劇的だったのは、そう言う「原理主義」を持て囃す音楽学者が前面で出てきて、そういう一部の専門家や音楽学者の声ばかりが大きくなり、少なくない聞き手はそう言う主張に幻惑されてしまいました。
しかし、多くの聞き手は次第に「原理主義」がはびこるクラシック音楽の世界に対してそっぽを向いてしまったのです。私の知人でも、ピリオド演奏というのはよいそうだと聞いて演奏会に何度かでかけて、クラシック音楽にすっかり見切りをつけた人が何人もいました。
私の偏見があるのかもしれませんが、拙い演奏しかできない演奏家や団体ほど「正しさ」を強く主張します。
逆に、同じピリオド演奏でも力のある演奏家や団体は「原理主義」ではなくて「解釈」を前面に出します。
しかし、声高な「原理主義」の方が分かりやすいのは確かで、クラシック音楽の世界に大惨事をもたらしたのです。
もしも、ピリオド演奏というものが、こういう草創期のブリュッヘンたちのようなスタイルで推し進められていれば、私のピリオド演奏に対する見方も随分と変わっていたことでしょう。
なお、最後にこの文を読んで不快になられた方も少なくないと思いますが、その点はどうかご容赦ください。
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