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ビーチャム(Thomas Beecham)|ディーリアス:春を告げるかっこうを聞いて
ディーリアス:春を告げるかっこうを聞いて
トマス・ビーチャム指揮:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1956年10月31日録音
Delius:On Hearing the First Cuckoo in Spring
田園での生活を生涯の憧れと感じるイギリス人の感性にマッチする音楽
イギリスは音楽を旺盛に消費する国でしたが、長きにわたって生産する国ではありませんでした。そんな長き欠落の時代に終止符を打った立役者がエルガーとディーリアスでした。
しかしながら、エルガーへの評価はすでに定まっていますが、ディーリアスに関してはイギリス以外ではいささか微妙です。それは、彼の音楽がいかにもイギリス的であることが理由なのかもしれません。
イギリス人はエルガーの音楽が退屈だと言われればもう少し我慢して聞いてくれれば理解してくれるはずだと説得はしても、ディーリアスが退屈だと言われれば苦笑するしかないと言われたものです。
ところが、そんなイギリス的なディーリアスなのですが、その生涯を眺めてみれば彼はほとんどイギリス以外で活動しているのです。
裕福な商人の息子として生まれたディーリアスは家業を継ぐことを期待されるのですが、そのたびに彼は父親の目を盗んでは仕事をさぼり音楽に没頭します。そして、ついにはアメリはフロリダのプランテーションにおくられるのですが、逆にそこで聞いた黒人音楽が本格的な作曲活動へと向かう情熱を決定的なものにしたのでした。
そして、遂に父親も彼に家業を継がせることを断念し、音楽の道に進むことを容認します。
しかし、その後もディーリアスは活動の拠点をドイツやフランスに据えて、イギリスに腰を落ち着けることはありませんでした。
彼の作品を最初に評価したのはドイツでした。しかし、その音楽はどこまでもイングランドの大地を思わせるような音楽でした。これは考えてみれば実に不思議な話であり、「ドイツの血筋を持ちフランスに居住した人物であるにもかかわらず、『イングランド』という言葉が思い浮かぶ」作曲家だと評されたこともありました。
そして、このイングランド的な音楽が結果としてイギリス人以外にはなかなか受け入れられない原因となっているのですから、不思議と言えば不思議な話です。そして、かんじんのイギリスに於いてこのイングランド的な音楽の価値に初めて気づいたのがビーチャムでした。
そして、その後もバルビローリやサージェントと言うそうそうたるメンバーが彼の音楽を積極的にコンサートで取り上げ、録音も行ってイギリスにおける地位は確固たるものとなりました。
ディーリアスの音楽の特徴を一言で言えば、響きも旋律もどこかふんわりとしてどこか焦点の定まらない雰囲気に包まれていて、有り体に言えばあまり「印象」に残りにくいと言えます。
彼が活躍した時代はバリバリ元気だった頃のバルトークや12音技法を駆使した新ウィーン楽派の音楽なんかが全盛期でしたから、その「印象」の薄さはどうにも心のどこかに引っ掛かる「尖った部分」が欠落した音楽だったとも言えます。
つまりは、ディーリスの音楽と来たら、何とも言えずまったりとした音楽が右から左へ流れていくだけなので、聞いていて気分は悪くないのですが、それは最初から最後まで何事も起こらなかった映画みたいな雰囲気なのです。
しかし、それこそが「イングランド」的なものなのでしょう。
正直言って、若い頃は聞く気もおこらなかったのですが、年を経るにつれてしだいにそう言う音楽にひかれるようになってきている自分に気がつきます。そして、そのまったり感こそが田園での生活を生涯の憧れと感じるイギリス人の感性にマッチするのでしょうし、同時に兼好法師の隠遁生活に憧れる日本人の古い感覚にもあうのかもしれません。
私も、もう少し彼の作品を積極的に聞いてみようかと思います。
春を告げるかっこうを聞いて
「小オーケストラのための2つの小品」に含まれる作品で、その小品2つとは「春を告げるかっこうを聞いて(春初めてのカッコウの声を聴いて)」と「川辺の夏の夜(川の上の夏の夜)」です。ただし、この二つの小品で一つの作品を構成しているわけではないので、まとめて、もしくは続けて演奏される必要性は全くありません。
日本では聞かれる機会の少ないディーリアスの作品の中ではもっとも有名な作品の一つでしょう。
弦楽器を伴奏に、クラリネットによるカッコウの声とオーボエの断片的な旋律で始まる冒頭の序奏は北国の遅い春の光をあらわすようであり、おそらくこの響きが好きかどうかでディーリアスへへの態度が決まるのではないでしょうか。
また、第2主題にノルウェーの民謡「オーラの谷間で」が用いられています。この旋律はグリーグもピアノ曲集の中で用いています。
短い小品ですが、遅い春の訪れを待ちわびた北国のしみじみとした情感と風景を淡彩で描き出して一幅のスケッチのような音楽です。
唯一、ディーリアスと一体化できた指揮者
「イギリスの生んだ最後の偉大な変人」と呼ばれたビーチャムがいなければ、おそらくディーリアスという作曲家は存在しなかったでしょう。
かつて、ロベルト・カヤヌスをシベリウス演奏の「原点(origin)」と書いたことがあるのですが、ビーチャムとディーリアスの関係はそれ以上のものがあります。
ディーリアスの音楽を一番最初に見いだしたのはイギリスではなくてドイツでした。しかし、イギリスにおいて彼の音楽を広く知らしめた功績はビーチャムにこそ帰せられます。彼がディーリアスの音楽に初めて接したのは1907年のことですが、それにすっかり魅了されたビーチャムはその翌年から彼の作品を頻繁に取り上げます。
そして、ディーリアス畢生の大作とも言うべき「人生のミサ」を初めて全曲演奏したのもビーチャムであり、1909年のことでした。
おそらく、この頃から両者は良好な関係を築いていくのですが、おそらくその根っこにはどちらも金持ちの息子という共通点があったことも大きく関わっていたのかもしれません。やがて、ビーチャムは己の音楽感からして不十分だと思う点があれば、ディーリアスの作品を勝手に編曲しはじめます。
いわゆる「ビーチャム版」と呼ばれているのですが、そう言うビーチャムの行為にディーリアスは一切の文句をつけなかったのです。かといって、そう言う行為にディーリアスが無頓着だったのではなくて、逆に他の作曲家よりも自作に手の入れられることを嫌っていたというのですから、この両者の信頼関係の深さは並々ならぬものだったようなのです。
ですから、このビーチャムが最晩年にまとめてステレオ録音した一連の演奏について、何らかの評価を下すことは不可能ですし、おそらく誤りであろうと言うべきでしょう。
それはカヤヌスがシベリウスのオリジンであった以上に、この演奏こそがあらゆるディーリアス演奏の基準点になっているからです。そして、その事をディーリアスもまた決して否定しないでしょう。
ディーリアスの音楽には外面的な視点が存在しない。自らの存在の奥底で彼の音楽に彼の音楽を感じるか、または何も感じないか、このどちらかしかない。ビーチャム氏の指揮する場合を除き、彼の作品の超一流の演奏に出会うことが滅多にないのは、一部にはこうした理由もあると思われる
まさに最高の讃辞ですが、まさにここで述べられている「ディーリアスの音楽には外面的な視点が存在しない。自らの存在の奥底で彼の音楽に彼の音楽を感じるか、または何も感じないか、このどちらかしかない」と言うことこそが演奏する方にとっても聞く方にとってももっとも大きな課題となるのでしょう。
そして、そのようなディーリアスに完全に一体となれたのは、おそらくビーチャム以外には存在しなかったと言い切ってもいいでしょう。
まさに彼こそはあらゆる意味において「最後の偉大な変人」だったのです。
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よせられたコメント
2021-08-15:りんごちゃん
- わたしは正直に申しますとディーリアスという作曲家についてはほぼ知りません
それはある意味ヴォーン・ウィリアムス以上でして、もしデュプレがチェロ協奏曲を録音していなければ未だに認識の外にあったことでしょう
そのようなわけですので、この曲につきましてもトマス・タリスの主題による幻想曲同様、通りすがりの者が車窓から眺めた風景としてお話することにいたします
ディーリアスにつきましては先にチェロ協奏曲を聞きますとわかりやすい面があります
チェロ協奏曲ではもちろん主旋律をチェロが担当しておりますので、チェロに着目しさえすればそのメロディーに自然と注目することになるわけですが、曲全体を通してチェロはほぼ休みなく延々と演奏しておりまして、これといった明確なメロディーの切れ目というものがありません
例えて申しますなら、これは句読点のない文章のようなものでして、内容の論理的な流れが感じられないためにそれを追うことが出来ず、ただその提示するイメージ自体を受け取る以外にできることがないのです
またメロディー自体にこれといった特徴がなく旋律の魅力に乏しい上に、曲全体を通してもこれといった起伏というものはなく、劇的な効果といったものは一切存在していないと言っても差し支えないでしょう
つまり、それまでの多くの音楽でその魅力の源泉となってきた部分に何ら特徴を持たず、そこに聞きどころが全く存在しないので、ほとんどの人にとっては何を聞いているのかわからず、聞き終わっても何も残らないかのような音楽に聞こえてしまうのです
わたしには彼の音楽は漠然としたイメージのグラデーションの変化を味わってもらうように作られているように見えます
例えていいますなら、夕焼け空の色が時がたつにつれて次第に変わっていくかのようなものですが、夕焼け空ですらその変化ははっきりとしており明確な終わりというものがあるにも関わらず、ディーリアスの音楽にはそういった始まりも終わりも感じられずただその時その時の微妙な変化があるだけなのです
わたしがこれを聞いて連想するのはストコフスキーの演奏です
ストコフスキーは非常にのっぺりとしたぬるま湯のような音の心地よい流れが身を包んでくれるように音楽を作っていると以前に申し上げたことがあります
その印象自体がまずディーリアスとかなりよく似ていると申しても差し支えないでしょう
第二ヴァイオリンを第一ヴァイオリンの反対の右端に置く伝統的なステレオ配置に代えて、第二ヴァイオリンを第一ヴァイオリンの横に並べておく配置を考えたのはストコフスキーらしいですね
ステレオ配置ではもちろん第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがそれぞれ別のことをやっていることが勝手に耳に入るわけでして、どのパートが何をしているかということに非常に注目しやすく、細部に目が届きやすい配置となっております
それに対しストコフスキーの配置では、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは一つの塊となっておりますので、作曲者が意図したステレオ効果の類は意図的に潰されます
この配置では、第一ヴァイオリンからチェロコントラバスまでの各パートは、独立したパートと言うよりは弦全体が一つのイメージとして扱われ、そのグラデーションを形成する役割を担うことになるのです
この配置によって達成されるのは、各パートへの注目を潰すことによって全体を一つのイメージとしてそれに浸ることへと誘導することなのです
ディーリアスの音楽にもそれと大変似たようなところが感じられるのです
メロディーは明確な個性を持たず、それに注目することも、歌う旋律の魅力といったものを堪能することもほぼ出来ません
「春を告げるかっこうを聞いて」はとりあえず標題音楽なのでしょうが、かっこうの鳴き声のように聞こえる音もあるにはありますが、全体としてみますと特定の何かを描写するというわけではないようです
音楽自体に起伏というものがないので、その盛り上がりを堪能することも出来なければそれが落ち着くことによって一つのシーンが終わるということもありません
全体としてイメージの個々の部分を判別できない靄のような漠然としたものがただ流れていくだけであるように見えます
もちろんそれこそがディーリアスの狙いなのでして、彼はとりあえずこれまでの音楽が提示してきた聞き所と同じところにその音楽の聞き所を置こうとはしていないようです
わたしたちはアプリオリに音楽を楽しんでいるわけではなく、様々な音楽を聞きその魅力を知ることによって経験を重ねて音楽がわかるようになるものなのですから、すでに何度も経験した既知の魅力を与えてくれない種類の音楽はわからなくて当然なのです
音というものは純粋な一つのイメージですが、その旋律の魅力ですとか劇的な効果あるいは音の迫力などといったものを経験しそこに楽しみを見出すのが通例です
ディーリアスの音楽はそういった伝統的に使われてきた音楽の魅力をあえて捨てることによって、イメージそのものだけに注目しそれにただ浸ることを求めているかのようです
そのあり方はまるでストコフスキーの作る音楽とそっくりであるようにわたしには思えます
ディーリアスをよく知るとある人物は、「ディーリアスの音楽は後になれば良さがわかるというものではない。ある人は初めて聴いた時から気に入るだろうし、またある人には最初から最後まで受け付けられないものだ。」と語っているようです
ディーリアスの音楽は、従来の音楽が様々な形で与えてくれた魅力や楽しみといったものを与えてくれる音楽ではありませんので、それを求めている間はおそらくその独自の魅力に気づくはずはありません
その意味では、後にならなければ良さがわからない面もきっとあるでしょう
その一方で、彼がこれに浸ってくれと言って提示するイメージに惹かれるかどうかはやはり人を選ぶところがかなりあるのでしょうね
彼の音楽は、既存の音楽の楽しみを何も求めずにただ浸るところから始めざるを得ず、その何も起きないかのような音楽にとりあえずお付き合いしなくてはならないところがあります
そういえばシュティフターという小説家の書く物語にもそういったところはあります
なんの起伏もなく何も起きない物語を読み終えたとき、心躍るような体験は一切しなかったにもかかわらず、なんとも言えない不思議な感慨を覚えたりもいたします
そういったものを見出すことができるような聞き手だけが、もしかしたらディーリアスを手に取ることができるのかもしれませんね
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