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ボスコフスキー(Willi Boskovsky)|ヨハン・シュトラウス2世:南国のバラ 作品388
ヨハン・シュトラウス2世:南国のバラ 作品388
ボスコフスキー指揮 ウィーンフィル 1962年録音
Johann Strauss II::Roses from the South Op.388
社交の音楽から芸術作品へ
父は音楽家のヨハン・シュトラウスで、音楽家の厳しさを知る彼は、息子が音楽家になることを強く反対したことは有名なエピソードです。そして、そんなシュトラウスにこっそりと音楽の勉強が出来るように手助けをしたのが母のアンナだと言われています。後年、彼が作曲したアンネンポルカはそんな母に対する感謝と愛情の表れでした。
やがて、父も彼が音楽家となることを渋々認めるのですが、彼が1844年からは15人からなる自らの楽団を組織して好評を博するようになると父の楽団と競合するようになり再び不和となります。しかし、それも46年には和解し、さらに49年の父の死後は二つの楽団を合併させてヨーロッパ各地へ演奏活動を展開するようになる。
彼の膨大なワルツやポルカはその様な演奏活動の中で生み出されたものでした。そんな彼におくられた称号が「ワルツ王」です。
たんなる社交場の音楽にしかすぎなかったワルツを、素晴らしい表現力を兼ね備えた音楽へと成長させた功績は偉大なものがあります。
南国のバラ 作品388
数あるシュトラウスのワルツの中でも最上の部類に属するワルツでしょう。
きっかけはよく知られているように、自作のオペレッタ「女王陛下のハンカチーフ」をイタリア王ウンベルト1世が大変気に入ったと耳にしたことです。
常に商売気を失わないシュトラウスは、そのオペレッタの中からおいしそうな部分を4つほど選んでメドレー風に編曲した音楽をすぐさま仕立て上げてイタリア国王に献上します。
このあたりの目敏さを見ていると、20世紀に入ってクラシック音楽を押しのけて音楽のチャンピオンにのし上がったポピュラー音楽の源流を見るような思いになります。
ウィーンフィルの屋台骨を支えた男
ボスコフスキーの人生はウィーンフィルの20世紀の歴史にほぼ重なります。とりわけ、1954年にクレメンス・クラウスが急逝した後をうけて、25年にわたってその指揮台に立ち続けた功績は半端なものではありません。
彼とウィーンフィルとの関わりを経歴風にまとめるとこうなります。
- 1933年:ウィーン・フィルに入団
- 1939年:ハンス・クナッパーツブッシュの推薦でコンサートマスターに就任
- 1949年:第1コンサートマスターであったヴォルフガング・シュナイダーハンの退団により、第1コンサートマスターとなった
- 1970年:定年を迎えウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを退任。
- 1979年:最後のニューイヤーコンサートの指揮を行う。翌年からは健康上の理由で指揮台を下りる。
ニューイヤーコンサートが初めて行われたのは、オーストリアという国がドイツに併合されて世界地図から消えた翌年の1939年の大晦日ことでした。実はニューイヤーコンサートはジルヴェスターコンサートとしてスタートしたのです。そして、そのコンサートもただ単に「特別コンサート」と名付けられただけのものでしたが、シュトラウス一家の作品だけで構成されるコンサートは、母国オーストリアへの思いをひそかに表現したものでした。
このコンサートを指揮したのが、クレメンス・クラウスで、彼はその後もこのコンサートを降り続けることになります。第2回のコンサートが1941年に行われて、初めてニューイヤーコンサートがニューイヤーに行われるようになるのですが、それでも名称は「ヨハン・シュトラウス・コンサート」であり続けました。
戦争中の困難な時期もこの特別なコンサートは行われ続け、その指揮はクレメンス・クラウスが担当し続けました。
しかし、戦争が終わると、クレメンス・クラウスはナチスへの協力が疑われて音楽活動が禁止されます。
そのため、1946年と47年のコンサートはクリップスが変わりに指揮を行うことになり、この46年からこのコンサートは「ニューイヤーコンサート」と呼ばれるようになります。そして、2年間の指揮活動禁止の措置が解除されて、48年からは再びクレメンス・クラウスが指揮台に立つことになりま、今や世界でもっとも有名なコンサートといえる「ニューイヤーコンサート」の礎を築くことになるのですが、その肝心のクラウスが1954年に突然亡くなってしまうのです。
これは、戦争の傷手からようやく立ち直りかけていたウィーンフィルにとっても深厚な事態だったようで、この後任に誰を当てるのかを決めるために何度も楽員集会が開かれました。そして、その集会が下した結論は、コンサートマスターであるボスコフスキーに任せるというものでした。
当然の事ながら、偉大なクラウスの後釜に一介のコンサートマスターが指揮を行うことには不満と不安の声が巻き起こりました。
しかし、そんな声をボスコフスキーはヴァイオリンを片手に颯爽と登場して、ヨハン・シュトラウスを思わせる弾き振りのスタイルを定着させることで一掃してしまいました。
ボスコフスキーが指揮台を下りた後にも、任を誰にするかで侃々諤々の議論になったのですが、最終的には毎年指揮者を交代制とすることに決定したのですから、4半世紀にわたってその指揮台に立ち続けたボスコフスキーは偉いものです。
確かに、ボスコフスキーが指揮台を下りた後からは、専業の一流指揮者が指揮台に立つことになったので、間違いなく音楽のクオリティは上がりました。
較べちゃいけないことは分かっているのですが、例えば、89年と92年に指揮台にたったクライバーさんの指揮で聞くと、シュトラウスの音楽ってこんなに立派だったんだ!と惚れ直させられます。
または、ムーティなんかはあのウィーンフィルに結構ビシビシと鞭を入れているようで、その弾むような推進力に満たされた音楽は見事でした。シュトラウスの音楽ではないのですが、スッペの「軽騎兵序曲」があんなにも立派な音楽だったんだと目から鱗の思いがしたものです。
それらと較べれば、ボスコフスキーのシュトラウスは緩いと言えば緩いのですが、それでもウィーンフィルが本当にウィーンフィルらしかった時代の響きがここには存在します。
考えようによっては、シュトラウスの音楽やクライバーさんやムーティさんみたいに眦決して挑んではいけないのかもしれません。こんな言い方はお叱りを受けるかもしれないのですが、彼らの指揮でシュトラウスを聴くと凄いな!とは思うのですが、「ああ、いい湯だな!」と思わせてくれるような愉悦からはほど遠いです。
そして、そう言う愉悦を過不足なく与えてくれるのは疑いもなくボスコフスキーの方です。そして、不思議なことに、このたゆたうようなゆったりとしたワルツ、溌剌としたポルカの弾みなんかは他の指揮者、他のオケからは絶対に聞くことが出来ないのです。その意味では、文化的世界遺産にでも登録したい演奏と録音です。
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