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ベーム(Karl Bohm)|R.シュトラウス:アルプス交響曲 作品64
R.シュトラウス:アルプス交響曲 作品64
ベーム指揮 シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月14日~18日録音
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Night - Sunrise]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [The Ascent]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Entry into the Wood]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Wandering by the brook - At the Waterfall - Apparition]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [On Flowering Meadows - On the Alpine Pasture - Straying through Thicket and Undergrowth - On the Glacier)]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Dangerous Moments - On the Summit - Vision]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Mists rise - The Sun gradually darkens - Elegie]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Calm before the Storm]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Thunder and Storm, Descent]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [Sunset]
R_Strauss:An Alpine Symphony Op.64 [(Final Sounds - Night]
リヒャルト・シュトラウスの交響詩の終着点
この作品は、リヒャルト・シュトラウスにとって演奏会用の管弦楽作品としては最後のものです。また、「アルプス交響曲」と命名はされていますが、多楽章からなる作品ではなくて、規模は大きくても全体が一つの楽章として演奏されるので、一連の交響詩のライン上にある作品と考えられます。
リヒャルト・シュトラウスは至る所で、リストが提唱した交響詩のイメージに疑問を呈しています。
リストの交響詩は「前奏曲」に典型的に現れているような「闇から光明」へというものです。そこでは、ラマルティーヌの詩による「人生は死への前奏曲」というイメージが音楽全体を貫いています。つまりは、まずは一つの文学的なイメージ、詩的な観念が存在して、そこに音楽が寄り添うというのがリストの交響詩でした。
それに対して、リヒャルト・シュトラウスはあくまでも、音楽だけで全てを表現しようとしました。
もちろん、楽譜にはいくつかの標題が記入されていますが、それは「親切な傍注」のようなものであり、たとえ、そんなものが無くても全ては音楽を聴けば分かるというのがリヒャルト・シュトラウスの交響詩だったのです。
ですから、そんなリヒャルト・シュトラウスの最後の管弦楽曲となった「アルプス交響曲」では夜明けからスタートして頂上を極めるクライマックス、そして雷鳴と嵐に打たれながらも無事に下山するまでの一日が、ものの見事に「音」だけで表現されているのです。
そして、これは当然の帰結となるのですが、そう言う描写に既存の楽器だけでは不足だと判断すれば、そこに特殊な楽器を導入することをリヒャルト・シュトラウスは躊躇いませんでした。この作品では、風の音、雷鳴の音、果ては羊の鳴き声を出す楽器までが指定され、さらには「ヘッケルフォーン」というリヒャルト・シュトラウス自身が作らせた楽器までが用いられているのです。
そう言う意味でも、ここにはリヒャルト・シュトラウスの交響詩の終着点が示されているのです。
なお、この作品は一つの楽章として演奏されるのですが、以下のように5つの部分からできているというのが一般的な見方です。
- 序奏:出発前の情景(夜明け)
- 第1部:頂上に着くまで(森への立ち入り-小川に沿って-滝-幻影-花咲く草原-山の牧場-道に迷って-氷河)
- 第2部:頂上での気分(幻-霧が立ちこめて-太陽が次第に霞んで-悲しげな歌-嵐の前の静けさ)
- 第3部:下山(雷鳴と嵐-下山)
- 結尾:到着の感動(日没-夜)
優れた職人の技が遺憾なく発揮された録音
ベームの壮年期とも言うべき50年代にリヒャルト・シュトラウスの交響詩がまとめて録音されています。
録音順に並べると以下のようになります。
- 「死と変容」:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1955年9月27日録音
- 「英雄の生涯」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年2月7日~9日録音
- 「アルプス交響曲」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月14日~18日録音
- 「ドン・ファン」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月18日~25日録音
- 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」:シュターツカペレ・ドレスデン 1957年9月26日~27日録音
- 「ツァラトゥストラはこう語った」:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年4月15日?7日録音
こうして並べてみると、聞くべきは1957年に、リヒャルト・シュトラウスゆかりのシュターツカペレ・ドレスデンとのコンビで集中的に録音された演奏であることは一目瞭然です。ただし、57年の録音であるにもかかわらずモノラルであるというのが残念です。想像の域を出ませんが、一連の録音がドレスデンの聖十字架教会で行われたので、ステレオ録音用の機材を持ち込むことを躊躇したのではないかと思われます。ステレオ録音はまだまだ実験段階だったので、経験の少ない教会でのステレオ録音には二の足を踏んだのではないかと勝手に想像しています。
しかしながら、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲のような音楽では、オケの響きが真ん中に固まっているというのは違和感があります。
解像度は非常に高くて細部の見通しも良くて、おそらくはモノラル録音としては最優秀の部類には入るとは思うのですが、やはり残念なことではあります。これが、ピアノ曲やヴァイオリンソナタのような室内楽曲だとほとんど気にはならないのですが、こういう規模の大きなオーケストラ曲だとやはりしょぼさ否めません。
なお、55年のコンセルトヘボウとの録音は言うまでもなくモノラル録音ですし、58年のベルリンフィルとの録音はさすがにステレオ録音です。
特に、ベルリンフィルとの録音は細密画を見るような精緻な録音であり、かなりの優れものです。
こうしてベームの録音をまとめて聞いてみると、一つの特徴が浮かび上がってきます。
それは、どの録音を聞いても、オケの響きが透明で、なおかつしなやかな剄さを持っていることです。「つよさ」というのは「強さ」ではなくて「剄さ」という漢字を当てたくなるような「つよさ」です。
何が違うのかと言えば、「強さ」というのは単純な物理量の大きさとしてとらえられます。それに対して、「剄さ」とは体の奥底から大きなエネルギーとしてあふれ出していくようなイメージです。
ですから、一部でベームの代名詞のように使われる「剛直」という言葉は、彼の音楽を表現する上ではふさわしくないのです。ついでながらもう一つ、彼の晩年によく使われた「木訥」という言葉などはここでは全く当てはまりません。
ベームの音楽はそう言う「剛直」という音楽からイメージされるような「直線性」とは「似て非なる」音楽です。たとえ音楽は直線性を保持して突き進んでいるように見えても、その音楽はどこまで行ってもしなやかなのです。しなやかである故に、その音楽はどんな場面にあってもぽきりと折れてしまうような「脆さ」とは無縁です。
ですから、その反面として、ベームの演奏するリヒャルト・シュトラウスからは、シュトラウスらしい官能性や艶のようなものは希薄です。いや、もっと正確に言えば、そう言うものは求めていけません。
ベームにとっては、相手がリヒャルト・シュトラウスであっても、その音楽は常に「男気」があふれているのです。
おそらく、オケからこのような響きを出すためにネチネチとした細かい指示を与え続け、その要求が満足できるまでしつこく粘り続けた事は間違いありません。
クナのように音楽を大きくうねらせ、そう言う大きな構えの中で音楽を聴かせるような行き方ならばならば、そこで一番必要なのはカリスマ的な啓示なのかもしれません。
しかし、オケの精緻な響きで聞かせるベームのような指揮者にとって必要なのは細部の丹念な積み上げです。そういう指揮者にとって必要なのはネチネチとした細かい指示を与え続け、その要求が満足できるまでしつこく粘り続ける体力と精神的スタミナこそが重要です。この粘着質を失ったときに、ベームはあっという間に二流・三流の指揮者に転落してしまうのです。
ベームという人は基本的には腕利きの職人だったんだと思います。そんな優れた職人の技が遺憾なく発揮されているのが、この一連の録音であることは間違いありません。
壮年期の覇気に満ちたこれらの録音では、オケの隅々にまで己の意志を貫徹させているベームの姿が浮かび上がってきます。
55年のコンセルトヘボウとの録音では、このオケ特有の暖かくてふくよかな響きが前面に出て、いささか内部の見通しが悪いようにも感じますが、時代を考えれば立派なものです。
57年のドレスデンでの録音は、驚くほど威勢の良い響きに驚かされます。「シュターツカペレ・ドレスデン=いぶし銀」みたいなステレオタイプの決めつけはここでは全く通用しません。もちろん、いぶし銀と称されることの多い弦楽器群の響きは十分に魅力的なのですが、金管群の気迫あふれる突撃には驚かされます。
そして、58年のベルリンでの録音は、こけおどしで終わりがちなこの作品の内部構造を克明に描き出したという意味で出色の録音です。あの冒頭の有名なテーマだけは見事で、後は退屈なだけと酷評される作品がいかに緻密に構成されているかを教えられます。
ただ、気になるのは、こういう録音は再生するシステムをかなり選ぶだろうなと言うことです。
特に、モノラル録音に関してはチープシステムで再生されると真ん中でなんだかモゴモゴやっているだけにしか聞こえない恐れがあります。
さらに、58年のステレオ録音でも、システムの解像度が悪いと、ベームのやりたいことがはっきりと伝わってこない懸念があります。
こういう事を書くと、また「お前は金をかけないと音楽は聴けないというのか!!」というお叱りを受けるのですが・・・。
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