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ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)

ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [1.Adagio Molto; Allegro Con Brio]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [2.Larghetto]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [3.Scherzo]

Beethoven:Symphony No.2 in D major , Op.36 [4.Allegro Molto]


新しい道を進みはじめた第一歩が記された交響曲

ベートーベン関連の作品解説はこういうサイトを始めた頃に書いたものが大部分です。今から読みかえせばあまりに簡素であり、正確さに欠ける部分も目について冷や汗ものです。
例えば、交響曲の2番に関してはこういう事を書いていました。

ベートーベンの交響曲は音楽史上、不滅の作品と言われます。しかし、初期の1番・2番はどうしても影が薄いのが事実です。
それは3番「エロイカ」において音楽史上の奇跡と呼ばれるような一大飛躍をとげたからであり、それ以後の作品と比べれば確かに大きな落差は否めません。しかし、ハイドンからモーツァルトへと引き継がれてきた交響曲の系譜のなかにおいてみると両方とも実に立派な交響曲です。

交響曲の1番は疑いもなくジュピターの延長線上にありますし、この第2番の交響曲はその流れのなかでベートーベン独自の世界があらわれつつあります。


今の私なら、「交響曲の1番は疑いもなくジュピターの延長線上にあります」ではなくて、「交響曲の1番は疑いもなくハイドンのザロモン・セットの延長線上にあります」と書くでしょうね。(^^;
まあ、そう言う細かい話は脇におくとしても、それでも「初期の1番・2番はどうしても影が薄い」という風に、この2つの交響曲を同列に論ずるのはやはり粗雑に過ぎたようです。

ベートーベンという人の作曲家としての道筋を辿るときに、重要な目印になるのが32曲のピアノソナタだと言うことが、ピアノ・ソナタの解説を書き直している中でよく分かってきました。
ベートーベンという人はクラシック音楽の世界を深く掘り下げた人であるのですが、驚くほど多方面にわたって多様な音楽を書いた人でもありました。流石に、オペラは彼の資質から見ればそれほど向いている分野ではなかったようなのですが、それでも「フィデリオ」という傑作を残しています。
特定の分野に絞って深く掘り下げた人はいますし、多方面にわたって多くの作品を書き散らした人もいますが、ベートーベンのように幅広い分野にわたって革命的と言えるほどに深く掘り下げた人は、他にモーツァルトがいるくらいでしょう。

そんなベートーベンが、その生涯にわたって創作を続けた分野がピアノソナタであり、それ以外では交響曲と弦楽四重奏の分野でしょうか。
そして、この3つの中でもっとも数多くの作品を残したのがピアノソナタですから、ピアノソナタこそがもっとも細かい目盛りでベートーベンという男を計測できるのです。

この計測器を使って初期の1番と2番の交響曲を計測してみれば、それが同列に論じてはいけないことは一目瞭然です。


  1. ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 [1799年~1800年]

  2. ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36 [1801年~1802年]



時間的に見れば相接しているように見えるのですが、ピアノソナタで計測してみれば、この二つの交響曲の間には明らかに大きな飛躍が存在していることに気づかされます。


  1. ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13 [1797-98年]

  2. ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1 [1797~99年]

  3. ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 Op.14-2 [1797~99年]



ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21 [1799年~1800年]


  1. ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op.22 [1800年]

  2. ピアノ・ソナタ第12番「葬送」 変イ長調 Op.26 [1800-01年]

  3. ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 Op.27-1 [1800-01年]

  4. ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2 [1801年]

  5. ピアノ・ソナタ第15番「田園」 ニ長調 Op.28 [1801年]




  1. ピアノ・ソナタ第16番 ト長調 Op.31-1 [1802年]

  2. ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」 ニ短調 Op.31-2 [1802年]

  3. ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3 [1802年]



ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36 [1801年~1802年]

ピアノソナタを3つのグループに分けたのはベートーベンという男が辿ったステップに基づいてグループ分けをしたからです。
ピアノソナタ全体のおよそ3分の1を占める10番までの初期ソナタは、ハイドンやモーツァルトが確立した18世紀のソナタを学んでそれを血肉化し、それをふまえた上で前に進もうと模索した時期でした。そう言う模索の先に第1番の交響曲が生み出されたことは、ベートーベンという男の「歩み方」のようなものが暗示されているように思えます。

彼にとってピアノソナタは常に新しい道を切り開くアイテムであり、そこで切り開いた結果を集大成するのが交響曲だったのではないでしょうか。
その意味では、この第1番の交響曲もまた18世紀の交響曲の集大成であり、その手本は明らかにハイドンだったのです。

そして、ここで集大成した結果を彼はウィーンでの人気ピアニストとしての腕を振るためのピアノソナタに盛り込んで、作品22から28までのソナタを生み出します。
ですから、それらは若き人気ピアニストの作品群と言えます。

しかし、それはやがて彼のわき上がるような創作意欲をおさめるものとしては、あまりにも小さく、そしてあまりにも古いものであることに気づかざるを得なくなります。
そして、その事に気づいたベートーベンは、未だ誰も踏み出したことがないような世界へと歩を進めていくのです。

それが、「私は今後新しい道を進むつもりだ」と明言して生み出された「テンペスト」を含む作品31のソナタだったのです。

交響曲2番は、まさにその様な新しい道へと踏み出した時期に生み出された音楽なのです。ですから、「初期の1番・2番」などとセットにして語ってはいけないのです。
交響曲の1番が18世紀の総括だとすれば、第2番は明らかに19世紀への新しい一歩を踏み出した音楽なのです。

そして、彼はピアノソナタの分野ではこのすぐ後に「ワルトシュタイン」を生み出し、その後に、ついに音楽史上の奇蹟とも言うべき「エロイカ」が生み出されるのです。


  1. ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」 ハ長調 Op.53 [1803-04年]

  2. ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 Op.54 [1804年]



ベートーベン:交響曲第3番「エロイカ(英雄)」 変ホ長調 op.55 [1803年~1804年]

その意味では、この第2番の交響曲は18世紀的な第1番よりはエロイカの方に近しいのです。

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36

第2番の交響曲を特徴づけるものの一つは、第1楽章の冒頭に長い序奏を持つことです。
それが深い感情を表出するようになるのは後年のベートーベンの一つの特徴となっているのですが、ここでも軽い悲劇性が滲み、その終わり近くで登場するファースト・ヴァイオリンによる急速な下行句は強い印象を与えます。
その下行句に続いてて弦楽器が勢いよく第1主題を提示するのですが、それもまた、18世紀の交響曲にありそうでなかったスタイルです。

また、第2楽章のラルゲットの美しさも、ここに至るピアノソナタの緩徐楽章で試行錯誤を繰り返してきた結果が実ったものではないでしょうか。18世紀のピアノは楽器の限界もあって、どちらかと言えば歯切れの良いテクスチャが主流だったのですが、それをベートーベンはレガートでカンタービレすることに腐心していました。このラルゲットで聞くことのできる美しいロマン性は第1番の交響曲では聞くことが出来なかったものですし、そこには「歌う」事への試行錯誤が結実していると言えます。
確かにベートーベンが最もベートーベンらしいのは驀進するベートーベンです。
交響曲の5番やピアノソナタの熱情などがその典型でしょうか。
しかし、瞑想的で幻想性あふれる音楽もまたベートーベンを構成する重要な部分であり、その特徴が一つの形として結実したのがこのラルゲット楽章なのです。

さらに、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと変貌を遂げていますが、これもベートーベンの交響曲を特徴づけるものです。
確かに、ベートーベンは初期ソナタの時からメヌエットではなくてスケルツォと記す作品を書いていました。しかし、そう書かれていても、実際は通常の3部形式のメヌエットの域を出るものではなかったので、途中でメヌエットともスケルツォとも記すのをやめている作品もありました。
しかし、ここでは、自信を持ってスケルツォと記していますし、音楽もまたそれに相応しいものに進化しています。

中間部のトリオは主調のニ長調で書かれていてメヌエット的な穏やかさを残してはいますが、それでもフォルトとピアノを突然に交代したりすることで、歌謡性を前面に押し出したメヌエットとは異なる音楽を構築しています。

とは言え、それでも3番とそれ以降の作品と併置されると影が薄くなってしまうのがこの作品の不幸です。
もっと聞かれてしかるべき作品だと思います。


聞けば聞くほど味わいが深くなるベートーベンです

「ジョルジュ・ジョルジェスク」と言われて知っている人ってどれほどいるのでしょうか。私も、このベートーベンの録音で初めて出会いました。
そして、驚いたのは、めぼしい録音はこのベートーベンの交響曲全集くらいしかないということです。
これは考えてみれば不思議な話です。この業界でベートーベンの交響曲を録音できるというのは一つのステータスです。あまり触れたくないのですが、日本人の指揮者で世界的に名が通っていても、ベートーベンの交響曲の録音がオファーされるということは滅多にありません。ですから、残っているめぼしい録音がベートーベンの交響曲全集くらいしかないというのは普通はあり得ないのです。

調べてみればルーマニアの指揮者がルーマニアのオーケストラと録音したということなので、岩城宏之がN響とベートーヴェンの交響曲を全曲録音したようなものなのかとも思ったのですが、どうやらそういう類のものでもないようです。
実際にその録音を聞いてみれば、なかなかすっきりとしたベートーベンなので気持ちよく聞くことができました。もちろん、岩城宏之とN響が駄目だと言っているわけではないのでお間違いのないように。

ジョルジェスクはリヒャルト・シュトラウスに見いだされ、アルトゥール・ニキシュに学び、トスカニーニとの親交によってその名を世界に知られるようになった指揮者です。そういう経歴からおおむね想像がつくのですが、図式的に割り切れば原典に忠実な新即物主義の演奏ということになります。なかなかすっきりとしたベートーベンだと言ったのはそういう一面を表したものです。しかし、それは楽譜を忠実になぞっただけのつまらない演奏ではありません。

何よりも魅力的なのは何とも言えない間のとり方や歌わせ方です。
彼の歌わせ方は細部に至るまで入念なのですが「あざとさ」は一切ありません。
それ故に、その歌や間のとり方が多くの人にすっきりと受け入れられるのだと思われます。その背景には彼の音楽家としてのキャリアがチェリストとして始まっていることが大きく寄与しているのでしょう。

そして、全体の造形はどこまでも端正で、重くもなく鈍くもなく、引き締まったたたずまいが崩れることはありません。
一見すれば思わず身を乗り出すような特徴のある表現はないのですが、聞けば聞くほどにその歌にはまっていきます。

それから、もう一つ面白いのは最後の第9です。
ソリストも合唱もすべて変なのです。なんじゃこれ…と思ったのですが、どうやら全員がルーマニア語で歌っているのです。
「なんじゃこれ!!」という第9なのですが、「第9なんて聞きあきた!」という向きにはいささか面白く聞けるのではないでしょうか。

ということで、ジョルジュ・ジョルジェスクという指揮者についてもう少し知りたいと思ったのですが、日本語の情報はほとんどありません。それはもう、知る人ぞ知るともも言えないほどの無名ぶりです。
しかし、英語版のウィキペディアなどではかなり詳しく記述されているので、それなりに彼の人生とキャリアについて知ることができました。
そして、彼の人生を知ってみると、月並みな言い方ですが、人生には三つの坂があるという言葉がぴったりなのです。
三つの坂とは、今更なのですが、「上り坂と下り坂」、そしてもう一つは「まさか」という坂です。

ということで、掻い摘んでジョルジェスクの生涯をふりかえってみます。
ここから下はは興味のある方だけお読みください。


ジョルジェスクは1887年9月12日、ルーマニアのトゥルチャ県で生まれました。
彼の音楽家としてのキャリアはチェロ奏者として始まるのですが、そのきっかけは、父親がくじ引きで当てたバイオリンをチェロのように脚の間に挟んで弾き始めた事だというので、笑ってしまいます。

最初はバイオリンのレッスンを始めるのですが、最初からバイオリンを脚の間に挟んで弾き始めたくらいですから、当然のようにチェロに興味を持つようになっていきました。
そして、18歳でブカレスト音楽院に入学します。
父親は彼が音楽を学ぶことに否定的だったために経済的な支援を得られず、教会の聖歌隊で歌ったり、オペレッタのオーケストラで演奏や指揮をしたりして生計を立てたようです。この多様な経験が後年に役立ったのかもしれません。

ブカレスト音楽院を卒業すると、ベルリンで学ぶための奨学金を得てベルリン音楽大学で著名なチェリスト、フーゴ・ベッカーに師事します。
そして、1910年には師であったベッカーにかわってマルトー四重奏団のチェロ奏者に就任しプロとしてのキャリをスタートさせることになりました。

しかし、転機は突然やってきます。一つめの「まさか」です。
第一次世界大戦末期に彼は敵国人としてベルリンで一時抑留され、さらには1916年の演奏旅行の途中に列車のドアに当たってしまい、その怪我によってチェロの演奏ができなくなってしまったのです。

ただし、転機というのですから、それで彼のキャリアが終わったのではなく、新たな幕が開くことになります。これもまた「まさか」でしょうか。

なんと、彼の才能を惜しんだリヒャルト・シュトラウスが指揮者への転身を勧めたのです。そして、勧めるだけでなくアルトゥール・ニキシュと引き合わせ、指揮法を学ぶことになったのです。
そして、1918年2月15日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、指揮者としてキャリアをスタートさせたのですから驚いてしまいます。

その後、故国ルーマニアに戻りブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任します。ブカレスト・フィルとの関係は、その後いろいろなことがありながらも生涯続くことになります。
そして、このブカレスト・フィルを拠点としながら活動を世界へと広げていきました。
手の怪我がなく、チェリストとして活動していたならばこういう飛躍はなかったでしょうから、人の運というか運命というか、不思議なものです。

この海外での活動で特に重要だったのはフランスとアメリカだったようです。
フランスへは1921年に初めて演奏会を行って高いな評価を受け、1926年と1929年にも演奏会を行っています。
特に、1926年のパリ訪問では「フランス6人組」との交流を深め、フランス近代音楽への功績を称えてフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されています。

アメリカでの活動ではトスカニーニと親交を深めまし。そして、1926年にトスカニーニが健康上の理由でニューヨーク・フィルとの契約をキャンセルせざるを得なくなったときに、ジョルジェスクは数か月にわたってその指揮台に立つ事になったのです。全く無名の若い指揮者がトスカニーニの代役として指揮台にたち、その責任を十分に果たしたのですから、話題にならないほうが不思議です。
この成功によって世界的にはいまだ無名だったジョルジェスクはその名を多くの人々に知られることになり、その後20年にわたってヨーロッパ各地での演奏会を行う土台となったのです。

しかし、これもまた第2次世界大戦によって大きな転機を迎えます。ルーマニアがナチス・ドイツの同盟国として第二次世界大戦に参戦したのです。しかし、ジョルジェスクの国内外での活動を今まで通り行なわれ、ブカレスト・フィルを率いてナチス占領下の国々をも巡業して回ったのです。
しかし、「まさか」はいつも突然やってきます。

1944年にルーマニアが突如連合国側に寝返ったのです。
彼の運命は一気に暗転します。
彼のそれまでの音楽活動がナチスの文化・宣伝機関への協力だとしてルーマニアでの指揮活動を「終身」禁止されてしまい、ブカレスト・フィルからも追放されてしまいます。
ナチスとの関りによって運命を大きく変えられてしまった音楽家は数多くいるのですが、ジョルジェスクもまたそのような一人だったわけです。

そんなジョルジェスクが戦後のキャリアを再スタートさせたのは1947年のことでした。
友人であるジョルジェ・エネスクの仲介でルーマニア国立放送管弦楽団の指揮者に任命されたのです。さらに、モルドヴァ・フィルの指揮者も務め、プラハやキエフへでの指揮の依頼を受けるなど、国際的なキャリアも再スタートさせます。
そして、1953年にジルヴェストリがブカレスト・フィルの指揮者を辞任すると、ジョルジェスクが再びその指揮台に立つことになりました。

おそらくは政治的無知、無関心ゆえにナチスとかかわりを持っただけだったのでしょう。それに加えて指揮者としての能力もキャリアも十分だったのですから、誰もそういう復帰への道を怪しまなかったのかもしれません。
もっとも、本当のことはわかりませんが…。
しかし、友人であるエネスクがルーマニアが共産圏の支配下に入ったためにフランスに亡命し、1955年にパリで亡くなると、ブカレスト・フィルの名称をジョルジュ・エネスク・フィルハーモニー変更することを提案し、実現させています。
そういえば、録音嫌いとして知られていたジョルジェスクが珍しくも1942年に磁気テープという新しい媒体で録音をしているのですが、その時の曲目がエネスコの交響曲第1番と2曲のルーマニア狂詩曲でした。
ジョルジェスクとエネスクの深いつながりがうかがえます。そして、そういう人間的なつながりを大切にした人間であったことは間違いなかったようです。

ブカレスト・フィルに復帰してからは順調に活躍の場を広げていき、真偽のほどで定かではありませんが、プラハで彼の演奏を聴いたエフゲニー・ムラヴィンスキーが「ベートーヴェンとチャイコフスキーの第一人者」と絶賛した、という話も伝わっています。
そして、そういう順調な活動の頂点として、1961年から1962年にかけて手兵のブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェンの交響曲を全曲録音したのでした。

ジョルジェスク最後のコンサートはジョルジュ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、ヴァイオリニストのクリスティアン・フェラスをゲストに迎えたプログラムでした。
そして、心臓発作の後遺症に悩まされていたジョルジェスクは1964年9月1日にブカレストの病院で亡くなりました。

心臓の持病も抱えていたので、いささか早すぎる死ではあったのですが本人とっては「まさか」ではなかったでしょう。

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