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チェリビダッケ(Sergiu Celibidache)|チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64(Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 )
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64(Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 )
セルジュ・チェリビダッケ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団団 1948年7月5日~9日録音(Sergiu Celibidache London Philharmonic Orchestra Recorded on July 5-9, 1948)
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [1.Andante - Allegro con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [2.Andante cantabile con alcuna licenza]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [3.Valse. Allegro moderato]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor, Op.64 [4.Finale. Andante maestoso - Allegro vivace]
何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・
チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。
4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。
その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。
それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。
また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。
さてお前はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。
チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。
第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
いかがなものでしょうか?
明晰にしてしなやかな歌心が溢れている
敗戦直後の瓦礫の街と化したベルリンで演奏されたブラームスの4番を聞いたときは驚きのあまり仰け反ってしまいました。おそらく、私がこういう歴史的録音を紹介しようと思い立った要因の一つであったことは間違いありません。
あのチェリビダッケとベルリンフィルによるブラームスの4番は本当に刮目に値する演奏でした。
そして、彼が40年代から50年代初頭のベルリンフィルとの録音を聞いていけばいくほど、それらの演奏はいろんなことを考えさせてくれます。
今、私の手もとにある音源で交響曲だけをあげると以下の9点です。
- ハイドン:交響曲第94番 ト長調 Hob.I:94 「驚愕」
- ハイドン:交響曲第104番 ニ長調 Hob.I:104 「ロンドン」
- モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183
- メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調, Op.90 「イタリア」
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調, Op.73
- ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98
- チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 ,Op.17 「小ロシア」
- チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
- プロコフィエフ:交響曲第1番 Op.25「古典」
どの録音をとってもまずなによりも「明晰」な演奏であり、明らかにフルトヴェングラーに対する対抗意識を感じ取ることができます。そして、しなやかな歌心にも溢れています。
そして、そういうチェリビダッケの棒に応えて見事な演奏を展開しているベルリンフィルの能力にも驚かされます。ベルリンが瓦礫の山となって間もない頃でも、フルヴェンとは全く異なる演奏様式を求めるチェリビダッケの棒に応えてこれほどの水準を維持している事は驚嘆に値します。
しかし、ここまでオケとしての機能を維持していたということは、裏返してみれば、ナチス統治下のドイツでベルリンフィルがいかに特別扱いされていたかということを裏付ける事実なのかもしれません。
これらの録音を聞くだけでも、非ナチ化によって音楽活動から身を引かなければいけなかったフルトヴェングラーの代役としてベルリンフィルの指揮台にたったチェリビダッケがいかに自信と意欲に溢れていたかが分かります。
そして、それだけの能力を十分に備えていることを彼は次々と証明していきます。
フルトヴェングラーもまた自分の後継者としてチェリビダッケを認めていたといいます。
彼の求める音楽のベクトルはフルトヴェングラーとは対照的ですが、カラヤンとは明らかに同質です。そして両者が作り出す音楽を比較すればどう考えても当時のカラヤンよりは数段上です。
いや、こういう言い方は誤解を招くでしょう。
誰かと誰かを較べて、彼らとは全く関係のない第三者がこっちが上でこっちが下だ、などと言うことは不遜の極みです。
しかしながら、チェリビダッケが疑いもなく自分がカラヤンより劣る存在だ等とは微塵も思っていなかったことだけは容易に想像できます。そして、そう言う想像くらいは許されるでしょう。
カラヤンがチェリビダッケを追い落としてベルリンのポストを獲得する過程で何があったのかは分かりませんが、それがチェリビダッケにとって耐え難いことであったことは容易に推察できます。
ライバルの力が明らかに自分を上回っていても、ポストから追われるというのは辛いことです。それが、どう考えても自分よりも劣ると確信している人物に追い落とされるとなると、その胸中は察するに余りあります。
事実、フルトヴェングラーが1952年にベルリンフィルの「終身首席指揮者」に就任してチェリビダッケとベルリンフィルとの関係が悪化していく中でも、彼が指揮するベルリンフィルとの演奏会は聞き手からも批評家からも熱狂的に受け入れられていました。
しかし、フルトヴェングラー亡き後にベルリンフィルが選んだのはカラヤンだったのです。
私はチェリのへそ曲がり人生はここからスタートしたのだと思います。
彼がベルリンフィルの指揮台に立って残した録音を聞くと、その後の無念が痛いほど聞き手に伝わってきます。
これはあくまでも私の想像ですが、カラヤンが「メジャーの帝王」へと駆け上がっていくのを見て、自らは「マイナー」に徹するという「へそ曲がり」で対抗し、精神の均衡を保とうとしたのではないでしょうか。
録音という行為を拒否したことも、カラヤン的な上昇志向への反発として考えれば実に有効なパフォーマンスでした。この事についてチェリビダッケ自身はあれこれと難しげな事を語っていますが、どう考えても「後付の理屈」のような気がしてなりません。
メジャーで活躍する指揮者へのとんでもない「毒舌」も、インタビューでの人を馬鹿にしたような受け答えも、そういうへそ曲がり人生という観点から見れば全て納得がいきます。
そして、そのようなへそ曲がり人生を貫き通した戦後数十年という歳月は、マイナーに徹したがゆえにカリスマ性を生み出し、その音楽に神秘性を与える域にまで上りつめたことは事実です。
チェリビダッケは自らが望んだように「マイナーの帝王」へと上りつめ、マイナー性に徹することでメジャーをのりこえる存在となりました。
それはそれで、素晴らしいことで、なにも文句を申し上げるようなことはありません。(^^;;
その事は認めながらも、この戦後間もない時期に録音された、若き日の「へそが曲がる前の素晴らしい演奏」を聞かされると、あるはずのない「if」を想像してしまいます。
それは、もしその実力に相応しく戦後のベルリンのシェフとして君臨し、へそが曲がることもなしにメジャーの世界で活躍していたらどのよう音楽を作り出してくれただろう?という「if」です。
おそらくはへそ曲がり人生の中で生み出した以上の成果を残してくれたと思うのですがいかがなものでしょうか。
へそ曲がりのチェリを愛する(マイナーの帝王としてのチェリを愛する)多くのファンからお叱りをうけるでしょうが、この若き日の素晴らしい演奏を聞かされると、そういう愚にもつかぬ「if」を思わず想像してしまのです。
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