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スワロフスキー(Hans Swarowsky) |シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」
シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」
ハンス・スワロフスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1957年録音
Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1.Allegro moderato]
Schubert:Symphony No.8 in B minor D759 "Unfinished" [2.Andante con moto]
シューベルトが書いた音楽の中でも最も素晴らしい叙情性にあふれた音楽
この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。
1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。
そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。
ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。
有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。
また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。
ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。
そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。
ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。
この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。
ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1865年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。
第1楽章:アレグロ・モデラート
冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。
第2楽章:アンダンテ・コン・モート
クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。
推進力にあふれた直線的な造形
グルダの「怪演(^^;)」を紹介したときに、指揮者のハンス・スワロフスキーに注目したコメントをいただきました。
グルダの録音の中でも何故この演奏が際立って”奇矯”なのか?・・・については、今となっては判りませんが、一つには指揮を執っているスワロフスキーの影響もあったのかも知れません。スワロフスキーにはモーツアルトの手稿、手紙などの研究からモーツアルトのピアノ曲演奏における”アドリブ”について色々例を挙げた考察があるそうです・・・・例えば、曰く、
「もちろん、モーツアルトも、協奏曲で(独奏が休止していて)オーケストラが演奏されているときには、彼に振り当てられた通奏低音をピアノによってアドリブ演奏したので、独奏楽器は休んでいる暇がなかった。こうした習慣がなくなったことが協奏曲像を本質的に変えてしまった・・・ハンス・スワロフスキー」
このコメントを拝見して、そうか、ハンス・スワロフスキーか!と思いついた次第です。
ハンス・スワロフスキーと言えば私の中では指揮者としてよりは、ウィーン国立音楽大学指揮科の教授としてクラウディオ・アバドやマリス・ヤンソンス、ズービン・メータ、アダム・フィッシャー等の優秀な指揮者を育てた「名教師」としてインプットされています。それが原因だったのかどうかは今となっては私の中でもはっきりしないのですが、気がつけば彼の録音を一つも紹介していないことに気づきました。
もちろん、「指揮者」というものが「教育」によって養成することが可能なのかという根本的な疑問はあるのですが、少なくとも彼は「指揮法」というものを「言語」によって解き明かす能力は高かったことは間違いないようです。
ある人の言によれば、「文化とは言語によって分かち伝えることが出来るもの」でなければいけないらしいです。それが不可能ならば、そもそもその行為が「文化」の名に値しないものだと言うのです。そして、値するものでありながらそれが不可能だと主張するならば、それは指導する側の怠惰以外の何ものでもないと断罪していました。
まあ、異論はあるでしょうが、一聴には値する考え方だと思います。
ちなみに、その「ある人」というのはスポーツ関係の指導を行っている私の知り合いで、スポーツの世界では言語よりも感覚が優先され、それを土台にした歪んだ精神論がまかり通っている事への批判としての言葉でした。
そう言えば、作家の司馬遼太郎は戦前の日本の軍隊のあり方を批判して「精神主義と根性主義は無能者の隠れ蓑」だと喝破していました。
そう考えれば、ハンス・スワロフスキーという指揮者は、言語によって分かち伝えることがほとんど不可能と思われる指揮というものの本質を、徹底的に論理的に追求した人だったのかもしれません。
しかしながら、時は流れて、彼の教え子であったクラウディオ・アバドやマリス・ヤンソンスも鬼籍には入り、ズービン・メータも今ひとつパッとしない状況なので、その流れの中でハンス・スワロフスキーの名前はますます忘却の彼方に消えつつあるように見えます。
もっとも、今まで彼の録音を一つも取り上げてこなかった私が偉そうなことをいえる筋合いではないのですが、そこはさておき、彼が残した録音にも日を当てるのがこのようなサイトの役割だろうと言うことで、取りあえずはシューベルトの交響曲を二つ紹介したいと思います。
最初に正直に申し上げておかなければいけないのですが、協奏曲の伴奏でないスワロフスキーの録音をじっくり聞いたのはこれが初めてでした。(^^;
そして、その最初の感想は推進力にあふれた直線的な造形でありながら、いわゆるアメリカ的なザッハリヒカイトな演奏とは少し雰囲気が違うなと言うことでした。非常に手堅い指揮ぶりで、一見すると何もしていないように見えながら、聞き進んでいくうちにジワジワと盛り上がってくるような雰囲気があって、それはまさにアバドの演奏と非常によく似ているなと思いました。
もっとも、言うまでもないことなのですが、順番は逆であって、まさにアバドの音楽作りの根っこにはスワロフスキーの教えがあったことがはっきりと感じ取れるのです。
とりわけ「未完成」の方にその様な雰囲気が強く感じられます。
それと比べると、「ザ・グレート」の方は、とりわけ第1楽章などはあれよあれよという間に終わってしまうような雰囲気で、もう少しじっくりと腰を据えてくれてもいいのかなとは思いました。しかし、強固な造形感に支えられた推進力あふれる音楽作りはは十分に魅力的だといえます。
なお、「ザ・グレート」のレコードのジャケットはオーケストラが「Vienna Festival Orchestra」となっていますが、その実態は「ウィーン交響楽団 」で間違いないようです。
それから、1957年の録音にもかかわらず、私が持っている音源はどうやらモノラルのようです。もしかしたらステレオ音源もあるのかもしれませんが、おそらく基本的にはモノラルで録音されたものだと思われます。
と言うことで、この指揮者に関してももう少しフォローしていく必要があるようです。
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よせられたコメント 2020-02-20:曽呂 スワロフスキー好きなんですよ(^0^)
クラシックを聴き始めた50年以上前、コンサート・ホールレーベルでグルダの相棒として、またウィンナ・ワルツやポルカ。リストのハンガリー狂詩曲の管弦楽版やらで楽しく聴きました。
この歳になっていつも思う「聴き始めの”刷り込み”現象」の影響ははたしかにあると思うけれど、強烈な個性は感じさせない代わりにスッと耳に入ってくるニュアンスはいまだになんともいえない心地よさです。