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マックス・ゴバーマン(Max Goberman) |ハイドン:交響曲第14番 イ長調 Hob.I:14
ハイドン:交響曲第14番 イ長調 Hob.I:14
マックス・ゴバーマン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1960年~1962年録音
Haydn:Symphony No.14 in A major, Hob.I:14 [1.Allegro molto]
Haydn:Symphony No.14 in A major, Hob.I:14 [2.Andante]
Haydn:Symphony No.14 in A major, Hob.I:14 [3.Minuet - Trio]
Haydn:Symphony No.14 in A major, Hob.I:14 [4.Finale. Allegro]
「日常業務」としての創作活動
おそらくは、モルツィン伯爵家からエステルハージ家に移り、その副楽長としての能力を証明するために、渾身の力を込めて生み出したのが「朝」「昼」「夕」の三部作だとすれば、これはその力を証明した後に始まった「日常業務」としての創作活動だったことでしょう。ですから、このあたりの創作年代に関しては研究者によっても大きな開きがあるのですが、取りあえずはここではゲルラッハの年代研究に添って紹介していきます。
なお、この時代にはいるとハイドンの名は少しずつ知られるようになったようで、ヨーロッパ各地の修道院に多くの筆写譜が残されるようになったようです。
第1楽章:Allegro molto
全体としては、当時のお約束に従った無難な音楽の枠におさまっているのですが、展開部の最後で面白い転調(イ長調からヘ長調)を経て楽章の頂点を築くあたりがハイドンらしい工夫のようです。
第2楽章:Andante
これは初期の作品から借り受けたもののようなのですが、ヴァイオリンとチェロがオクターブで旋律を重ねる響きがユニークです。
第3楽章:Menuet trio, allegretto
早めのテンポで展開するメヌエット楽章なのですが、トリオでのオーボエのソロが魅力的です。
第4楽章:Finale, allegro
印象的な下降音型による主題と、それを彩る装飾音型が緻密な対位法で書かれているのが特徴です。
ハイドンの交響曲の概要
ハイドンは「交響曲の父」などと呼ばれるのですが、それではその生涯で何曲の交響曲を残したのでしょうか。ナンバリングを見れば最後は「104番」ですから104曲と言うことになるのでしょうが、現在の研究では1曲の協奏交響曲を含む108曲というのが通説になっているようです。
つまりは1番から104番までナンバリングされた作品以外に、1曲の協奏交響曲と3曲の番号外の交響曲があると言うことです。(最近は105番から107番までの番号が付与されているようです)
ただし、モーツァルトにおいても同様なのですが、未だ発展途上だった「交響曲」という形式において、ディヴェルティメントや合奏協奏曲と厳密に区分することが難しい作品も数多く含まれています。
このハイドンの交響曲のナンバリングというのは、晩年のハイドンに対するグリージンガーの聞き書きを根拠としているようです。グリージンガーはハイドンとの長い親交があった人物で、一番最初のハイドン伝を記した人物でもあります。
ですから、このナンバリングは晩年のハイドンの記憶に基づくものなので、現在の研究ではかなりの誤りを含むこことが分かっています。
しかし、今日、ハイドンの作品目録として最も広く普及しているホーボーケン番号(Hob)はこのナンバリングをなぞっています。ホーボーケン自身はこの目録に付した番号が成立年順に並んでいるとしたのですが、それは誤りを多く含んでいたと言うことです。
私のように「聞く」だけのものからすれば、こういう問題は些細なことのように思われます。
しかし、ハイドンがはじめて書いた交響曲と信じられてきた第1番と、最後の交響曲となったロンドン・シンフォニーを並べてみれば、ハイドンがこのジャンルにおいてどれほどの長い道を切り開いてきたかがよく分かります。未だ誰も歩んでいなかった荒野にハイドンが切り開いていった道を辿ろうと思えば、その道しるべとして残された作品がどのようにな位置に立っているかはやはり無視できない問題なのでしょう。
ということで、ハイドンの100を超える交響曲は一般的に以下の6つの時期に分けて考えるのが一般的です。
ウィーン時代(1757~1761年):モルツィン伯爵家の楽長時代
ハイドンの最初期の交響曲が創作された時期ですが、自筆楽譜は一切残っていないため、どこの交響曲がこの時期に作曲されたのかは筆写譜などの研究によって推定するしかないようです。
1番・37番・2番・18番・4番・27番・10番・20番・5番・11番・17番・19番・25番・32番・107番・3番・15番あたりがこの時期の作品だとされているようです。(ゲルラッハの説に基づく)
エステルハージ家の副楽長時代(1761~1766年):週2回行われる演奏会のために交響曲を作曲していた
ハイドンが本格的に交響曲の創作に着手したのはこの時代です。自筆楽譜から間違いなく断定できる10曲に加えて、およそ23曲程度がこの時代の作品(7番・6番・8番・33番・36番・14番・108番・9番・12番・13番・40番・72番・16番・34番・21番・22番・23番・24番・29番・30番・31番・39番・28番)だと言われています。
6番「朝」・7番「昼」・8番「晩」の三部作や22番「哲学者」、31番「ホルン信号」などが代表作です。
エステルハージ家の楽長に昇進した時代(1766年~1775年):ヴェルナーの死去によって楽長に昇進して、宗教音楽やオペラにも関与しはじめた時代
この時代にハイドンは劇的な短調の作品を書いたために「疾風怒濤の時代」と呼ばれてきましたが、最近はその様な特徴付けには疑問が出されています。
確かに、44番「悲しみ」や49番「受難」などは悲劇的な色彩が強い作品ですが、それは表現の可能性を追い求める中での一つの創造物であり、それをハイドン自身の人生と関連づける見方は今日では否定されています。
この時代の代表作としては前述の2作品以外に45番「告別」がとりわけ有名です。
この時代の作品としては38番・35番・58番・26番・41番・49番・59番・48番・65番・43番・44番・42番・52番・45番・46番・47番・50番・51番・64番が分類されます。
オペラの時代(1775~1784年):エステルハージ家のオペラ監督として活躍した時代
雇い主である侯爵がオペラを好み、そのためにオペラ監督として劇場の仕事が中心に座っていた時代の作品です。交響曲もその様な侯爵の好みを反映して舞台音楽のような娯楽性が前面にでた作品が多くなっています。
ハイドンはその様な試みには飽き飽きしてしまったようで、後に「古いパンケーキのような作品」とぼやいています。
この時代の特徴があらわれた作品としては、53番「帝国」、55番「校長先生」、59番「火事」、60番「うかつ者」などが有名です。
この時代の作品としては54番・55番・56番・57番・60番・68番・66番・67番・69番・61番・53番・70番・71番・63番・75番・62番・74番・73番・76番・77番・78番・79番・80番・81番が分類されます。
外国からの依頼の時代(1785~1790年):外国の出版社からの依頼で交響曲を作曲した時代
侯爵家の楽長として、侯爵家のためだけに音楽を書いてきたハイドンが、はじめて出版者からの依頼で作曲をした時代です。フランスの出版者からの依頼で書いたパリ交響曲(82~87番)がその最初のもので、88番「V字」、92番「オックスフォード」が特に有名です。
この時代の作品としては83番・87番・85番・82番・84番・86番・89番・88番・90番・91番・92番が分類されます。
ロンドンでの活躍の時代(1791~1795年):いわゆるザロモンセットと呼ばれる交響曲を作曲した時代
長年仕えた侯爵の死によって事実上自由となったハイドンが、ロンドンの興行主ザロモンの依頼でイギリスに渡り、新作の交響曲を中心とした演奏会を行いました。
第1回目の渡英で書かれたのが93~98番までの第1期ザロモン交響曲、2回目の渡英のために書かれたのが99番~104番の第2期ザロモン交響曲です。
今日では、この両者を併せてザロモンセットと呼ばれますが、ハイドンの交響曲の到達点を示す素晴らしい作品群です。
どれをとっても素晴らしい作品ばかりですが、94番「驚愕」はハイドンの全作品中でも最も有名な作品だといえます。それ以外でも、100番「軍隊」、101番「時計」、104番「ロンドン」などは今日のコンサートなどでもよく取り上げられる作品です。
ミュージカルの世界で人気を博してきたゴバーマンには明るく軽やかに振る舞うというスタイルが身にしみついていたのかもしれません
世間ではこれを、「現在のピリオド楽器演奏の原型ともいうべき、スリムで新鮮な演奏を繰り広げて」いると評しているのですが、それは少し違うような気がします。
おそらく、ピリオド楽器による演奏というスタイルがクラシック音楽の演奏史における一つの到達点だと信じている人にしてみれば、それは「褒め言葉」のつもりなのでしょう。
しかしながら、クラシック音楽の演奏史というのはそんなところを目指して「進化」していったわけではないのですから、少しでも「似た」ところがあれば、それを「現在のピリオド楽器演奏の原型」だと主張するのは我田引水が過ぎます。
このゴバーマンの演奏は、疑いもなくモダン楽器を前提とした解釈に基づく演奏です。
それは、例えば、ハイドンの初期の有名作である6番から8番の「朝」「昼」「夕」というタイトルの3部作あたりを聞くだけですぐに了解できるはずです。
あの交響曲はハイドンがエステルハージの宮廷に仕えて、はじめて侯からの依頼で作曲した3部作でした。
ハイドンはそこで、宮廷楽団の各奏者の腕前を披露するために、それぞれの楽器に独奏場面を用意しています。
ゴバーマンはその独奏場面において管楽器の美しさを存分に振りまいているのです。
この録音のオーケストラは「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」となっているのですが、これは疑いもなくウィーンフィルのメンバーも含んだ歌劇場のオケでしょう。
シェルヘンの場合は「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」といっても怪しい部分も多くて、実際そのかなりの部分はフォルクスオーパーのオケであったことはよく知られているのですが、ここでは疑いもなくシュタッツオーパーのオケです。そして、この素晴らしい響きを聞く限りでは、ほとんどウィーンフィルのメンバーとニアイコールではないかと思われます。
こんなにもモダン楽器としての艶やかな美しさをふりまく演奏を「ピリオド楽器演奏の原型」などといわれるのは、到底納得行くものではありません。
おそらく、こういう演奏スタイルの背景には、彼が長年率いていた「ニューヨーク・シンフォニエッタ」というオーケストラが小ぶりな編成だったこと起因しているのかも知れません。
そして、それはミュージカル演奏のオケにおいても同様でしょう。
さらに言えば、長年ミュージカルという世界で人気を博してきたことが、音楽というものは重くてむっつりと演奏するのではなくて、明るく軽やかに振る舞うというスタイルが身にしみついていたのかもしれません。
ただし、それが「ポール・モーリア」とか「レイモン・ルフェーブル」のようなイージー・リスニング風の音楽にはならなかったのは、その根っこがクラシック音楽の世界に深く食い込んでいたからでしょう。
聞くところによると、「ポール・モーリア」とか「レイモン・ルフェーブル」のようなオケは、コンサートツアーなどが行われるたびに人を集めて編成されるようなので、そもそも「固有のオケの響き」などと言うものは存在しないとのことです。
そう考えれば、ゴバーマンが長年過ごしたブロードウェイの方がまだ音楽的だったのかも知れません。
そして、そんなゴバーマンが再びクラシック音楽の世界に帰ってきて最初に取り組んだのがハイドンの初期シンフォニーやヴィヴァルディの音楽だったというのは実に賢い選択肢だったと言えます。
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