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Home|クリップス(Josef Krips)|ハイドン:交響曲第99番 変ホ長調 Hob.I:99

ハイドン:交響曲第99番 変ホ長調 Hob.I:99

ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年9月録音



Haydn:Symphony No.99 in E-flat major, Hob.I:99 [1.Adagio - Vivace assai]

Haydn:Symphony No.99 in E-flat major, Hob.I:99 [2.Adagio]

Haydn:Symphony No.99 in E-flat major, Hob.I:99 [3.Minuet. Allegretto - Trio ]

Haydn:Symphony No.99 in E-flat major, Hob.I:99 [4.Finale. Vivace]


ザロモン演奏会の概要

エステルハージ候の死によって事実上自由の身となってウィーンに出てきたハイドンに、「イギリスで演奏会をしませんか」と持ちかけてきたのがペーターザロモンでした。
彼はロンドンにおいてザロモンコンサートなる定期演奏会を開催していた興行主でした。
当時ロンドンでは彼の演奏会とプロフェッショナルコンサートという演奏会が激しい競争状態にありました。そして、その競争相手であるプロフェッショナルコンサートはエステルハージ候が存命中にもハイドンの招聘を何度も願い出ていました。しかし、エステルハージ候がその依頼には頑としてイエスと言わなかったために、やむなく別の人物を指揮者として招いて演奏会を行っていたという経緯がありました。
それだけに、ザロモンはエステルハージ候の死を知ると素早く行動を開始し、破格とも言えるギャランティでハイドンを口説き落とします。
そのギャラとは、伝えられるところによると、「新作の交響曲に対してそれぞれ一曲あたり300ポンド、それらの指揮に対して120ポンド」等々だったといわれています。ハイドンが30年にわたってエステルハ?ジ家に仕えることで貯蓄できたお金は200ポンドだったといわれますから、これはまさに「破格」の提示でした。
このザロモンによる口説き落としによって、1791年1792年1794年の3年間にハイドンを指揮者に招いてのザロモン演奏会が行われることになりました。そして、ハイドンもその演奏会のために93番から104番に至る多くの名作、いわゆる「ザロモンセット」とよばれる交響曲を生み出したわけですから、私たちはザロモンに対してどれほどの感謝を捧げたとして捧げすぎるということはありません。

第1期ザロモン交響曲(第93番~98番)
1791年から92年にかけて作曲され、演奏された作品を一つにまとめて「第1期ザロモン交響曲」とよぶのが一般化しています。この6曲は、91年に作曲されて、その年に初演された96番と95番、91年に作曲されて92年に初演された93番と94番、そして92年に作曲されてその年に初演された98番と97番という三つのグループに分けることが出来ます。

<第1グループ>

  1. 96番「奇跡」:91年作曲 91年3月11日初演

  2. 95番 :91年作曲 91年4月1日or4月29日初演


<第2グループ>

  1. 93番:91年作曲 92年2月17日初演

  2. 94番「驚愕」:91年作曲 92年3月23日初演


<第3グループ>

  1. 98番:92年作曲 92年3月2日初演

  2. 97番:92年作曲 92年5月3日or5月4日初演



91年はハイドンを招いての演奏会は3月11日からスタートし、その後ほぼ週に一回のペースで行われて、6月3日にこの年の最後の演奏会が行われています。これ以外に5月16日に慈善演奏会が行われたので、この年は都合13回の演奏会が行われたことになります。
これらの演奏会は「聴衆は狂乱と言っていいほどの熱狂を示した」といわれているように、ザロモン自身の予想をすら覆すほどの大成功をおさめました。また、ハイドン自身も行く先々で熱狂的な歓迎を受け、オックスフォード大学から音楽博士号を受けるという名誉も獲得します。
この大成功に気をよくしたザロモンは、来年度もハイドンを招いての演奏会を行うということを大々的に発表することになります。

92年はプロフェッショナルコンサートがハイドンの作品を取り上げ、ザロモンコンサートの方がプレイエルの作品を取り上げるというエールの交換でスタートします。
そして、その翌週の2月17日から5月18日までの12回にわたってハイドンの作品が演奏されました。この年は、これ以外に6月6日に臨時の追加演奏会が行われ、さらに5月3日に昨年同様に慈善演奏会が行われています。

第2期ザロモン交響曲(第99番~104番)

1974年にハイドンはイギリスでの演奏会を再び企画します。
しかし、形式的には未だに雇い主であったエステルハージ候は「年寄りには静かな生活が相応しい」といって容易に許可を与えようとはしませんでした。このあたりの経緯の真実はヤブの中ですが、結果的にはイギリスへの演奏旅行がハイドンにとって多大な利益をもたらすことを理解した候が最終的には許可を与えたということになっています。
しかし、経緯はどうであれ、この再度のイギリス行きが実現し、その結果として後のベートーベンのシンフォニーへとまっすぐにつながっていく偉大な作品が生み出されたことに私たちは感謝しなければなりません。

この94年の演奏会は、かつてのような社会現象ともいうべき熱狂的な騒ぎは巻き起こさなかったようですが、演奏会そのものは好意的に迎え入れられ大きな成功を収めることが出来ました。
演奏会はエステルハージ候からの許可を取りつけるに手間取ったために一週間遅れてスタートしました。しかし、2月10日から始まった演奏会は、いつものように一週間に一回のペースで5月12日まで続けられました。そして、この演奏会では99番から101番までの三つの作品が演奏され、とりわけ第100番「軍隊」は非常な好評を博したことが伝えられています。


  1. 99番:93年作曲 94年2月10日初演

  2. 101番「時計」:94年作曲 94年3月3日初演

  3. 100番「軍隊」:94年作曲 94年3月31日初演



フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番?104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにこれら三作品もザロモンセットの中に数えいれています。
ただし、ザロモンコンサートが94年にピリオドをうっているのに、最後の三作品の初演が95年になっているのはその様な事情によります。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に一回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました


  1. 102番:94年作曲 95年2月2日初演

  2. 103番「太鼓連打」:95年作曲 95年3月2日初演

  3. 104番「ロンドン」:95年作曲 95年5月4日初演



ハイドンはこのイギリス滞在で2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。


見事にハイドンを演奏できる指揮者こそが真にプロフェッショナルな指揮者だと言える

ハイドンの交響曲というのは指揮者にとってはコスト・パフォーマンスの低い作品のようです。そして、その傾向は近年特に顕著になっているようです。
こんな言い方をするとお叱りを受けるかも知れないのですが、マーラーやブルックナーのような作品は、その規模の大きなオーケストラを景気よくドカンと鳴らしておけばそれなりにブラボーはもらえたりします。さらにお叱りを覚悟で付け加えれば、どことなく素人くさい、アマチュア的な指揮者でも何とかなってしまう部分があります。

ところが、ハイドンのような交響曲になると、素人くさい指揮者ではどうしようもありません。それは疑いもなくプロフェッショナル専用の作品です。
ところが、そう言う難しい作品でありながら、それを見事に演奏しても聞き手からブラボーがもらえるのかと言えば、必ずしもそうではないのが現状です。

悲しい話ですが、大半の聞き手にとってはハイドンの交響曲なんてのはプログラム前半の準備運動みたいな位置づけです。ですから、どんなに見事に演奏をしても、その見事さを分かってくれる聞き手は多くはないのです。
にもかかわらず、「どうせ準備運動だ!」みたいな舐めた姿勢で作品に臨めば、それこそどうしようもないような演奏になってしまって、聞く気のない聞き手にもその酷さだけは伝わるという作品なのです。

そう言うわけで、これほどコスト・パフォーマンスの悪い作品はないのであって、さらにはとんでもなく「恐い作品」でもあるのです。
さらに、思いきって言い切ってしまえば、例えばベートーベンの交響曲などと言うものは大変な作品であることは間違いはないのですが、それでも心底真剣に取り組んでいればそれなりに聞き手に感銘を与えることが出来ます。
しかし、ハイドンだけは頑張るだけではどうしようもないのですから、本当に始末に悪い作品です。

そう言う意味では、こういうふうに見事にハイドンを演奏できる指揮者こそが真にプロフェッショナルな指揮者だと言えるのです。

クリップスという指揮者は絶対音感を持っていなかったために、ウィーン・フィルから随分と酷い嫌がらせを受けた人でした。そして、そのあまりに酷い嫌がらせに耐えかねて活動の拠点をウィーンからロンドンに移した人でもありました。
そして、そう言う「ウィーンから追い出された指揮者」というイメージがあったためか、評論家の間でも小馬鹿にするような風潮もありました。

しかし、このウィーン・フィルとのハイドン演奏を聞く限りでは、彼もまた疑いもなく一流のプロフェッショナルな指揮者であったことがよく分かります。
それにもかかわらず、ウィーン・フィルがこの指揮者をウィーンから追い出したことに関しては音楽以外の面、おそらくは自らの戦争責任で苦境に陥っていた時期に救ってもらったという忌まわしい過去の思い出、さらにはその救ってくれたクリップスが反ナチの立場を鮮明にして国外に亡命していたことなどへの複雑な感情の産物だったのでしょう。

このクリップスの演奏を聞いていて思い浮かんだのは彫刻家のイメージです。

ハイドンというアポロン的な彫像を丁寧に、しかし陰影はきわめて明瞭に彫り上げていくイメージです。クリップスが彫りだしていく彫像の見事なまでのポロポーションには惚れ惚れとさせられます。

そして、ウィーン・フィルもまた、ここではウィーン・フィルらしい響きでサポートしています。
そして、ウィーン・フィルのハイドン作品の録音はそれほど多くはないので、そう言う意味でもこれは貴重性があります。さらに言えば、ここには50年代後半、ウィーン・フィルが未だウィーン・フィルだった時代の素晴らしい響きが刻み込まれていますから、その意味でも貴重な録音だと言えます。

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