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バーンスタイン(Leonard Bernstein)|シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1963年3月27日録音
Schubert:Symphony No.8 in B Minor, D.759 "Unfinished"[1.Allegro moderato]
Schubert:Symphony No.8 in B Minor, D.759 "Unfinished"[2.Andante con moto]
わが恋の終わらざるがごとく・・・

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。
1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。
そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。
ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。
有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。
また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。
ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。
そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。
ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。
この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。
ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1865年の事でした。ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。
- 第1楽章:アレグロ・モデラート
冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。
- 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。
勢いのある鋭角的な演奏
非常に勢いのある、ある意味では「鋭角的」な「未完成に」になっています。
その一番の理由は、「楽譜」に示されている「アクセント」をかなり律儀に、そして強めに演奏しているからでしょう。
よく知られた話ですが、シューベルトはアクセントを長めに記す癖がありました。ですから、昔はそれらが全てディミヌエンドに見えてしまったようなのです。
アクセントとディミヌエンドでは角を立てるところが全部丸め込まれてしまうんですから、音楽の雰囲気は全く別物になってしまいます。
そして、そういう「美しい誤解」がもたらした最上の演奏が
ワルター&ウィーンフィルによる1936年の録音・(
Flacファイル)でした。
音楽を「正しい、正しくない」という二分法で評価すれば「論外」の演奏と言うことになります。今はそういう「美しい誤解」は許されない時代になってしまいましたから、何があっても絶対に聞くことのできないタイプの演奏です。
しかし、実際にそのワルターの演奏を聞いてみればシューベルトの指示に従った「正しい演奏」にはない魅力があり。率直に言ってしまえばそう言う「正しい演奏」よりも魅力があると感じてしまう部分があるのは、実に持って困った話なのです。
ですから、録音が古いと言うことで敬遠せずに、一度は聞く値打ちのある演奏です。
このバーンスタインの演奏はそう言う「昔からの伝統的な演奏スタイル」とは真逆のアプローチです。
当然の事ながらアクセントはアクセントとして演奏しているのですが、そのアクセントはかなり強めにかけているように聞こえます。そして、金管群も強めに鳴らされていて、それに対して弦楽器群はいささか控えめなところがあるので、結果として聞き手には「鋭角的」な印象を与えるのでしょう。
ただし、そう言う細かい部分だけを取り上げて文章にしてしまうと何かエキセントリックな演奏という印象を受けてしまうのですが、実際は勢いの良さは感じるものの全体としては至極真っ当な演奏です。何か受けを狙うようなあざといことは一切していませんから、この勢いの良さこそがは若きバーンスタインにとってのシューベルトであり、聞き手はそれを彼の表現として受け入れるだけです。
しかし、我が儘な聞き手として一つだけ注文をつけさせてもらえば、シューベルトを特徴づける半音階転調がもたらす微妙な光と影の交錯するようなニュアンスがいささか希薄な感じがす事です。
ただし、そう言うことは十二分に分かっていながら、それでも古典派のシンフォニーとしてきちんと造形する方に意を注いだのでしょうから、結局もそれも含めてバーンスタインの表現と言うことなのでしょう。
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