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バーンスタイン(Leonard Bernstein)|マーラー:交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」
マーラー:交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1965年12月14日~15日録音
Mahler:Symphony No.7 [1.Langsam]
Mahler:Symphony No.7 [2.Nachtmusik]
Mahler:Symphony No.7 [3.Scherzo]
Mahler:Symphony No.7 [4.Nachtmusik]
Mahler:Symphony No.7 [5.Rondo - Finale]
マーラー作品の中では最もマイナーな作品です
マーラーの作品は分裂症的だとよく言われます。そういう分裂症的作品の中でもその症状(?)が最も重いのが7番と8番でしょう。そして、その二つを比べてみてより意味不明なのがこの7番です。
この作品は、構成としては真ん中にスケルツォ楽章を配置したシンメントリーな5楽章構成になっています。この構成はマーラーにとってはなじみの深いもので、2番「復活」と5番がこれと同じ構成を持っています。さらに、1番「巨人」も当初は「花の歌」と題された楽章が挟み込まれることでシンメントリーな構成を持っていました。
ところが、2番や5番が持っているある種の「わかりやすさ」、「明快さ」というものを7番は全く持ち合わせていません。それどころか、マーラーの全交響曲の中でも、作品全体の見通しの悪さと論理的一貫性のなさは際だっていて、まるで先の見えない曲がりくねった道をあてもなくさまようような気持ちにさせられます。
では、この作品のそのような「分かりにくさ」の要因はどこにあるのでしょうか。
まず目を付けるべきは、真ん中のスケルツォ楽章の両サイドに配置されている「夜の歌」と題された二つの楽章です。そして、この楽章にただよう雰囲気が作品全体を覆っているように感じられるので、いつの間にか作品のタイトルとしても「夜の歌」と呼ばれるようになってしまったことです。
この事はマーラー自身のあずかり知らぬ事なのですが、いつの間にか「夜の歌」というタイトルは広く世間に流布してしまいました。
問題は、この勝手に作り上げられたイメージが一人歩きをして、そのイメージで作品全体を聴き通すと最終楽章になだれ込んだとたんに何ともいえない違和感を覚えてしまうことです。確かに、先の見えない「あてのなさ」というのはこの作品の中には至るところに存在します。しかし、ここの転換点ほど「とまどい」を覚える場面はありません。
今までの夜の雰囲気が一変して、まるでやけくそのようにティンパニーが連打され、それに導かれるようにこれまたやけくそのようなファンファーレが響き渡ります。それは、陰々滅々と繰り言を繰り返していた男が突然に気がふれたようにはしゃぎだしたような雰囲気です。
しかし、そのような転換がいわゆるベートーベン的な「暗から明への転換」として理解できるのならば「とまどい」はないのですが、この場面における突然の転換はその様なベートーベン的世界とは全く異質のものです。
なぜなら、ベートーベンにしても、その後継者であるブラームスにしても、その様な劇的な転換に至るまでには、その転換が必然的であると感じられるような様々な手練手管をつくすものであって、その様な手段がつくされているからこそ聞き手である私たちはその転換を素直に、さらには感動的に受け入れることができる仕掛けになっているのです。
ところが、この作品の4楽章から最終楽章への転換にはなんの前触れもありません。
それは、まさに突然にやってきます。
ですから、その転換を「暗から明」への、または「苦悩から歓喜」へのベートーベン的転換としてとらえることはできず、喩えてみれば、寝ぼけまなこのパジャマ姿のままで真っ昼間の往来に放り出されたような居心地の悪さを覚えてしまうのです。
ところが、一部にはその様な居心地の悪さに耐えられないのか、第4楽章から最終楽章への転換を「夜(暗)の世界から昼(明)の世界への転換」であると強引に規定してしたうえで、その転換の意味が「理解」出来ないとか、「意味不明」であるとか、果ては「底の浅い出来損ない」であると断罪するムキもあります。
しかし、最初に確認したように、この作品を「夜の歌」と題したのは後世の人の勝手な行いであってマーラー自身にとってはあずかり知らぬ事です。
さらに、マーラーの世界はベートーベンの世界とは全く異質なものです。
それなのに、ベートーベン的な方法論でもってこの作品を勝手に規定して、その観点から底が浅いと批判するのは二重にこの作品を貶めるものだといわなければなりません。
おそらくこの作品は、「交響曲は世界のようでなくてはならい」と語ったマーラーの音楽感が最も顕著な形で具体化されたものだと言えます。
それは、異なった性格を持った二つのテーマを相互に対立させながら展開をしていって、最後の局面でその止揚として一段高いレベルで再現させるというようなベートーベン的方法論とは全く異なる方法論で構築された作品だということです。
では、その異なった方法論とは何か、と聞かれれば残念ながら言葉につまってしまうのですが、あえて言うならば「コラージュ的」方法論だと言えるのかもしれません。お互いにはなんの関係もないような絵や写真を同一平面上に貼り付けていくことで、結果として一つの統一した作品に仕上げていくあのやり方です。
その様にとらえれば、ギターとマンドリンが使われたひっそりとした雰囲気の夜の歌の次に、突然の馬鹿騒ぎが直結したとしてもなんの不都合もありません。重要なのはその様にして貼り付けられた全体が結果としてどのようにおさまるのかと言うことであって、その一つずつのピースの関連性やその関連性の奥に潜むテーマを問うことにはなんの意味もないということになります。
では、マーラーはいったいどのような素材をコラージュの材料として貼り付け、そして結果としてどのような作品をイメージしていたのでしょうか。残念ながらというべきか当然と言うべきか、言葉としては何一つ残されることはありませんでした。
あるのはただスコアだのみです。
ですから、私たちにとっては、音楽とのみ対峙してマーラーが提示した世界読み解いていくしかありません。
そう考えると、私が最初に「まるで先の見えない曲がりくねった道」といったのは適切な比喩ではなかったかもしれません。この作品には、もとからその様な道のようなものは存在せず、マーラーの世界を構築する様々な断面がつぎはぎされたように次から次へと展開していくだけなのかもしれません。その壮大なコラージュ作品を見終わったあとにどのような感想を抱くのかは最終的には一人一人の聞き手にゆだねられていると言うことなのでしょうか。
やはり、どう転んでも「難解」な作品だといわなければなりません。
「マーラールネッサンス」の幕開け
日本がバブルの景気に沸き返っていた頃と軌を一にして「マーラーブーム」というものが沸き起こりました。どうせ一時のブームで終わるだろうと通のクラシックマニアたちは冷笑していたのですが、驚くべき事に、クラシック音楽における重要なレパートリーとして定着してしまいました。
ただ、やってくる外来オケというオケが全てマーラーを演奏するというような事はなくなってしまいましたが、それは、逆に言えばスタンダードなレパートリーとして定着したと言うことです。
私はこんなサイトを運営しているために、古本屋さんのサイトを探し回って1959年から1969年までの「洋楽レコード総目録」なる雑誌を手元に置いています。有り難かったのは、こんな雑誌をほしがる人は皆無に近いようで、どの年度の雑誌も数百円で入手できたことです。
何故にこんな雑誌が必要かと言えば、日本における初出年を調べて、それぞれの録音がパブリックドメインになっているかどうかを確定するためです。著作権法では、隣接権は「はじめて発売された年から50年」となっていますので、「日本での初出」である必要はないのですが、さすがに「世界初出」は調べようがないので、取りあえずは「Pマーク」で初出が確認できない録音に関してはこの雑誌を頼りにしています。
それ以外にも、こういう雑誌を眺めていると面白い発見がたくさんあります。
それは、それぞれの時代に、どのような作品が好まれていたかが一目で分かることです。
例えば、このマーラーなどは、60年代の初頭にはほとんど忘れ去られた作曲家であったことが伺えます。62年の目録を見ると、交響曲はワルターの1番(ニューヨークフィルとのモノラル録音)と2番、ライナーとバーンスタインの4番だけしか載っていません。
ただし、大地の歌や歌曲はそれぞれ数種類が載っていますから、これを見る限りではオーケストラ伴奏による歌曲を作曲した人という位置づけだったようですね。
ところが、65年のカタログには1番、2番、4番、5番、8番、9番に数種類の録音が掲載されていますし、69年になると7番をのぞけば全ての作品を聞くことができるようになっています。ただし、例えば、62年に発売されたバーンスタインの3番は64年には姿が消えて、60年代には再発されることはなったというように、その人気の程度には限界があったようです。
こういう文脈に置いてみると、バーンスタインが手兵のニューヨークフィルを使って全曲録音を始めたと言うことは画期的なことだったと言えます。
クラシック音楽の録音史の中では、このバーンスタインの録音が「マーラールネッサンス」の幕開けだと言われます。
それは、マーラーの弟子であったワルターやクレンペラーとは異なった切り口でマーラーを解釈し紹介したという意味で画期的な演奏だったからです。
ワルターやクレンペラーの演奏というのは、師であるマーラーがしつこいほどに書き込んだ指示に必ずしも忠実ではありませんでした。それは、理解されがたい師の作品を少しでも理解してもらうための方便であったかもしれないのですが、「自分が気に入るよう」にねじ曲げた部分があったことは否定できません。
それと比べると、バーンスタインは、そう言うマーラーのスコアをしっかりと読み込んで、そう言う「しつこさ」にも深い共感を持って演奏しました。
おそらく、ニューヨークフィルとのマーラー演奏のキーワードは「共感」です。確かに、時にはその「共感」が深すぎて方向性を失うような場面も見受けられるですが、そう言う「熱さ」も含めて、我々が知らなかったマーラーの姿を提示したという意味では画期的な演奏だったといえます。
つまりは、私たちはバーンスタインの録音によって、はじめて(あまりこういう言葉は好きではないのですが)「本当のマーラー」と出会うことができたのです。
確かに、昨今の精緻極まるマーラー演奏を聞き慣れた耳には、あまりにもザックリしすぎた演奏に聞こえるかもしれません。しかし、そう言う精緻さを追いかけるがあまり、マーラー作品に本来内包されている「熱さ」が姿を消して、逆にひんやりした冷たさのようなものさえ感じられる演奏が増えている中に置いてみると、やはり未だに聞くに値する録音だと言えます。
そして、この7番ですが、上でも述べたように69年になってもこの7番だけは日本国内のカタログでは欠番だったと言う事実がこの作品のマイナーさを証明していますが、アメリカではバーンスタインが手兵のニューヨークフィルを指揮して1965年12月に録音し、その翌年にはリリースされています。その演奏のクオリティに関しては、正直申し上げて私にはよく分かりません。
かつてシェルヘン&ウィーン国立歌劇場管弦楽団による古い録音(1953年7月録音)に対して、「極めて真っ当で、ともすれば分裂的になってしまいがちなこの作品を一つの作品としての統一感がもてるように見事にまとめ上げています。」とか、「分裂的なマーラー作品の本質をスポイルするものだと言う批判がついて回るであろう・・・が、この何とも言えない「まとまり感」は聞き手に優しく、そして理解されがたいこの作品の入り口としては最適な演奏です。」などと述べていました。
当然の事ながら、そう言う「分かりやすさ」はバーンスタイン盤にはないので、相変わらず私には「よく分からない音楽」と聞こえてしまうのです。
結局、その背景には、あれこれものが言えるほどには多くの演奏を聞き込んでいないという「薄さ」があるわけです。本当は、もう少しはものが言える程度には聞き込んでからアップしたいのですが、そう言う「修行」はもうたくさんという思いもあるので、評価は聞き手の皆さんにお預けしようかと思います。
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