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クーベリック(Rafael Kubelik)|チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1960年1月18日,19日録音
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [1.Andante sostenuto - Moderato con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [2.Andantino in modo di Canzone]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [3.Scherzo. Pizzicato ostinato.]
Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [4.]Finale. Allegro con fuoco
絶望と希望の間で揺れ動く切なさ
今さら言うまでもないことですが、チャイコフスキーの交響曲は基本的には私小説です。それ故に、彼の人生における最大のターニングポイントとも言うべき時期に作曲されたこの作品は大きな意味を持っています。
まず一つ目のターニングポイントは、フォン・メック夫人との出会いです。
もう一つは、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァなる女性との不幸きわまる結婚です。
両方ともあまりにも有名なエピソードですから詳しくはふれませんが、この二つの出来事はチャイコフスキーの人生における大きな転換点だったことは注意しておいていいでしょう。
そして、その様なごたごたの中で作曲されたのがこの第4番の交響曲です。(この時期に作曲されたもう一つの大作が「エフゲニー・オネーギン」です)
チャイコフスキーの特徴を一言で言えば、絶望と希望の間で揺れ動く切なさとでも言えましょうか。
この傾向は晩年になるにつれて色濃くなりますが、そのような特徴がはっきりとあらわれてくるのが、このターニングポイントの時期です。初期の作品がどちらかと言えば古典的な形式感を追求する方向が強かったのに対して、この転換点の時期を前後してスラブ的な憂愁が前面にでてくるようになります。そしてその変化が、印象の薄かった初期作品の限界をうち破って、チャイコフスキーらしい独自の世界を生み出していくことにつながります。
チャイコフスキーはいわゆる「五人組」に対して「西欧派」と呼ばれることがあって、両者は対立関係にあったように言われます。しかし、この転換点以降の作品を聞いてみれば、両者は驚くほど共通する点を持っていることに気づかされます。
例えば、第1楽章を特徴づける「運命の動機」は、明らかに合理主義だけでは解決できない、ロシアならではなの響きです。それ故に、これを「宿命の動機」と呼ぶ人もいます。西欧の「運命」は、ロシアでは「宿命」となるのです。
第2楽章のいびつな舞曲、いらだちと焦燥に満ちた第3楽章、そして終末楽章における馬鹿騒ぎ!!
これを同時期のブラームスの交響曲と比べてみれば、チャイコフスキーのたっている地点はブラームスよりは「五人組」の方に近いことは誰でも納得するでしょう。
それから、これはあまりふれられませんが、チャイコフスキーの作品にはロシアの社会状況も色濃く反映しているのではと私は思っています。
1861年の農奴解放令によって西欧化が進むかに思えたロシアは、その後一転して反動化していきます。解放された農奴が都市に流入して労働者へと変わっていく中で、社会主義運動が高まっていったのが反動化の引き金となったようです。
80年代はその様なロシア的不条理が前面に躍り出て、一部の進歩的知識人の幻想を木っ端微塵にうち砕いた時代です。
私がチャイコフスキーの作品から一貫して感じ取る「切なさ」は、その様なロシアと言う民族と国家の有り様を反映しているのではないでしょうか。
どす黒いチャイコフスキー
あまり評判のよくないクーベリックのチャイコフスキーです。ネット上を散見すると「へっぽこ指揮者」とか、ウィーンフィルがあまりにも「手抜き」「ダレてる」とか、「若武者の覇気のカケラも感じられない」とか・・・、まあぼろくそ言われています。
しかし、調べてみると、クーベリックとウィーンフィルはこのチャイコフスキー後期の交響曲をかなり念入りに録音しています。
- チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36 1960年1月18日,19日録音
- チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64 1960年1月21日~24日録音
- チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」 1960年1月24日,25日&27日,28日録音
さらに、録音会場に使っているのは「musikverein groser saal」、つまりは、ほぼ半月にわたってウィーンのムジークフェラインザールを押さえてセッション録音をしているのです。さらに言えば、録音プロデューサーは英デッカの重鎮ヴィクター・オロフ(56年にデッカは退社したのでこの時はEMIに移籍していましたが・・・)がつとめているのです。
まあ、普通に考えれば、指揮者が「へっぽこ」で、オケも「手抜き」で「ダレて」いて、おまけに演奏そのもに「覇気のカケラも感じられない」ようなものが「OK」になると考える方がどうかしています。
とはいえ、「ブランド」だけで演奏や録音の良し悪しが決まるわけではないので、己の耳と心を信じるのも大切なのですが、それと同じくらいに、己の耳と心を疑ってみることも大切なことです。
おそらく、この録音を前にしたときに問題となるのは、このウィーンフィルの響きをどうか解釈すべきなのか、なのでしょう。
正直言って、パッと聞いた限りでは何ともいえずザラザラした荒い響きに聞こえますので、「なんだ?またまたウィーンフィルは指揮者が若いと思って手を抜いているのか」と思いました。
今さら言うまでもないことですが、このウィーンフィルほど性悪なオケはありません。指揮者が能なしだと思えばいくらでも手を抜きますし(ニューイヤーコンサートでは明らかにこいつ酒呑んでる!と言うメンバーがいますよね)、さらには考えられる限りの嫌がらせとイジメを平気でします。ですから、このウィーンフィルらしくない響きを前にしたときには、そういう疑惑を感じても当然なのです。
しかし、聞き進んでいくと、実は「手抜き」ではないことがだんだん分かってきます。
ここでのクーベリックが求めているのは「若武者の覇気」などではなく、ましてやチャイコフスキーという「ブランド」から安易に類想されるようなメランコリックな「泣き節」でもありません。
クーベリックが求めているのは、交響曲を書くことを求められたチャイコフスキーの「運命」に寄り添って、彼の作品を彼が望んだような「交響曲」として再構築してみることだったのではないでしょうか。
言葉をかえれば、ある意味では、作品が持っている生の姿が生のままで投げ出したような演奏になっています。
結果として、「悲愴」では、そこに何ともいえない「どす黒くも重たい世界」を感じとってしまいましたし、5番では、正直言って、構成の弱さから繰る「虚仮威し」みたいなものが否応なくあぶり出されてしまった・・・感は否めませんでした。そして、この4番はその中間で、悲愴ほどえぐみも出なかったけれども5番ほども軽くなかったと言うことです。ついでながら、ウィーンフィルの響きのザラザラ感もこれが一番ましな感じもします。
しかし、こういう物言いは必ずしも「褒め言葉」とはいえないあたりが、クラシック音楽という世界の辛いところです。
何故ならば、こういうバランスのとれた演奏ならばいくらでも代替物が存在するからです。個人的に聞いていて面白いのは、あの何ともいえない「悲愴」のどす黒くも重苦しい世界の方です。もっとも、他人には勧めませんが・・・。
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