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ベイヌム(Eduard van Beinum)|ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1953年6月録音
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第1楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第2楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第3楽章」
Bruckner:交響曲第7番 ホ長調 「第4楽章」
はじめての成功
一部では熱烈な信奉者を持っていたようですが、作品を発表するたびに惨めな失敗を繰り返してきたのがブルックナーという人でした。
そんなブルックナーにとってはじめての成功をもたらしたのがこの第7番でした。
実はこの成功に尽力をしたのがフランツ・シャルクです。今となっては師の作品を勝手に改鼠したとして至って評判は悪いのですが、この第7番の成功に寄与した彼の努力を振り返ってみれば、改鼠版に込められた彼の真意も見えてきます。
この第7番が作曲されている頃のウィーンはブルックナーに対して好意的とは言えない状況でした。作品が完成されても演奏の機会は容易に巡ってこないと見たシャルクは動き出します。
まず、作品が未だ完成していない83年2月に第1楽章と3楽章をピアノ連弾で紹介します。そして翌年の2月27日に、今度は全曲をレーヴェとともにピアノ連弾による演奏会を行います。しかし、ウィーンではこれ以上の進展はないと見た彼はライプツッヒに向かい、指揮者のニキッシュにこの作品を紹介します。(共にピアノによる連弾も行ったようです。)
これがきっかけでニキッシュはブルックナー本人と手紙のやりとりを行うようになり、ついに1884年12月30日、ニキッシュの指揮によってライプツィッヒで初演が行われます。そしてこの演奏会はブルックナーにとって始めての成功をもたらすことになるのです。
ブルックナーは友人に宛てた手紙の中で「演奏終了後15分間も拍手が続きました!」とその喜びを綴っています。
まさに「1884年12月30日はブルックナーの世界的名声の誕生日」となったのです。
そのことに思いをいたせば、シャルクやレーヴェの業績に対してもう少し正当な評価が与えられてもいいのではないかと思います。
豪快なブルックナー
ベイヌムにとってブルックナーはとても大切なレパートリーだったようで、コンセルトヘボウへのデビューもブルックナーの8番だったそうです。
また、全てモノラルというのが残念ですが、5番(1959年録音)・7番(1953年録音)・8番(1955年録音)・9番(1956年録音)と4種類も録音が残っていて、今も割合に簡単にCDが入手できます。こんなにも古い録音が今も簡単に入手できるというのは、言葉を返せばそれだけ評価が高いと言うことです。
では、ベイヌムのブルックナーのどこかが評価が高いのか?と聞かれると、これが困ったことに相応しい言葉を探すのに苦労してしまうのです。
テンポ設定は基本的にかなり早めです。ですから、クナのブルックナーのような巨大さで勝負というタイプではありません。かといって、クレンペラーのようにゴツゴツとした構築物としての威容を誇るような演奏でもありません。フルトヴェングラーやテンシュテットのような後期ロマン派風にのたうち回るような狂気とも無縁です。ついでに言えば、ヴァントやスクロヴァチェフスキーのように煉瓦を丹念に積み上げていくような精緻さとも無縁です。
要は、ブルックナー演奏を評価するときの「褒め言葉」がどれ一つとしてあてはまらないのです。あえて言えば、非常に見通しのよいスッキリとした演奏と言うことになるのでしょうが、これもなかなか一筋縄ではいかない多様性を持った指揮者でした。
残された4種類の録音の中で「見通しのよいスッキリとした演奏」という表現が一番ピッタリ来るのが7番の演奏でしょう。
録音はもっとも古い1953年なのですが、これがもう信じられないほどの優秀録音で、その解像度の高さには驚かされます。おそらく、そう言う録音の良さにもよるのでしょうが、演奏も非常に引き締まった小気味の良いものになっています。
そして、何よりも素晴らしいのはこの上もなくふくよかな弦楽器の響きです。そして、金管群は基本的には控えめに鳴らすことで弦楽器と上手くブレンドさせているのですが、ここぞと言うときには力の限り鳴らしきっています。その鳴らしきったときの素晴らしさはまさに「黄金のブラス、ビロードの弦」なのです。
ベイヌムのブルックナーの最大に魅力は、オーケストラという究極のアコースティック楽器から極上の響きを引き出していて、その極上の響きでブルックナーという生地を織り上げたことにあるのでしょう。
さらに感心させられるのが、自然体での音楽の盛り上げ方のうまさです。例えば第2楽章の葬送音楽になっていく場面などは実に見事です。取り立てて変わったことは何もしていないのに、じわりじわりと音楽が高揚し感情が盛り上がっていく手綱さばきは見事としか言いようがありません。
ヘタが同じようなことをやると本当に何もおこらないまま音楽通り過ぎていってしまいます。実際、若手指揮者のブルックナーでそう言う端正で何も起こらない演奏を随分と聴かされた経験があるので、一見何でもないこのような音楽の作り方が本当は一番難しいことを知っています。
ところが、同じように速めのテンポで演奏されている第8番の交響曲では、そのテイストが随分と異なります。
テンポが速いと言うことでは4種類の録音の中ではダントツでしょう。もしかしたら、数ある8番の録音の中でも最速かもしれません。ですから、クナやヨッフムのような悠然としたブルックナーを好む人は強い拒絶感を覚えるかもしれません。
ただし、テンポが速いといっても決して演奏がこぢんまりしたりセカセカしたりしているわけではありません。
ひと言で言えば、豪快極まるブルックナー像を描き出しています。驚くのは、誰が演奏しても天国的な雰囲気を醸し出してくれる第3楽章ですら、ある種の剛毅さで音楽が造形されているのです。そう言う意味では異形の演奏に分類されるべき録音だと思うのですが、数多くの8番の録音を聞いてきた人にとっては逆に面白く聞くことのできる演奏家もしれません。
ただし、録音に関しては53年録音の7番と比べるとややくすみ気味なのが残念です。
さらに面白いのは、56年に録音された第9番では、これもまた速めのテンポながら7番とも8番とも違う姿を見せてくれるのです。
そう言う意味では実に引き出しの数が多い人だと言えそうです。
この9番の演奏を聴いてすぐに思いついたのは「太めの筆を使った一筆書き」という言葉です。昨今の精緻極まる演奏に慣れた耳からすれば随分と大雑把で荒い部分も見え隠れする演奏です。しかし、細かいことはあまり気にせずにグイグイと描ききったこの録音は、ともすれば晦渋な方向に傾きがちなこの交響曲を実に面白く聞かせてくれます。
もちろん、最終楽章における金管の咆吼は地獄の底をのぞかせてくれるような迫力に満ちています。ただ、最後のコーダにおける天国的な雰囲気はいささか希薄で淡泊なのが残念ですが、それは8番のアダージョ楽章にも同じ事が言えるので、それがベイヌムという人の持ち味だったのかもしれません。
最後に、死の一ヶ月前に録音された第5番でも、気迫にあふれた迫力満点の演奏を聴かせてくれています。ただし、ライブと言うことなので低域と高域が上手く拾えていないかまぼこ形の録音です。おまけに、59年の録音であるにもかかわらずモノラル録音ですから、このコンビによる最大の美質であるオケの響きがすくい取れていません。録音は4種類の中では一番新しいのですがクオリティ的には最低です。
ですから、この録音を通してベイヌムの演奏に関してあれこれ言うのは控えた方が良さそうです。
ただ、ブラームスの交響曲のところでもふれたように、豪快に造形するスタイルから横への流れを意識した歌う方向への変化は感じ取れます。
これを病がちだったベイヌムの衰えと見るのか新しい方向を目指そうとした過渡期の姿と見るのかは、この録音からでうかがうことは不可能なようです。
この演奏を評価してください。
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よせられたコメント
2013-12-02:Joshua
- 第2楽章、16分21秒目。
このあと10秒に満たない時間ですが、1980年代ヨッフムが同楽団を率いて同じ曲で鳴らした音がよみがえってきました。私の知る限り、ここのホルンをこんなに衝撃的に(しかし芸術的に)鳴らした演奏はありません。ベームだって、ヴァントだって、カラヤンだって、のっぺりとしています。ベイヌムにその原型があったのかもしれません。
大阪堂島のフェスティヴァルホールでの思い出がよみがえってきました。
YUNGさんありがとう。
先日、河合隼雄氏がアニマ、アニムスを説いた「カセット」を図書館で借りました。ユングはフロイトとも違い、自己の体験に基づき、独自の理論を打ちたて、1960年ごろまで生きていたのも、最近知った次第です。単なる秀才でなく、今でなら引きこもり不登校に近い自分から出発したのが、うれしい発見でした。蛇足ながら・・・