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セル(George Szell)|ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55
セル指揮 ベルリンフィル 1957年8月9日録音
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55 「第1楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55 「第2楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55 「第3楽章」
Beethoven:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55 「第4楽章」
音楽史における最大の奇跡
今日のコンサートプログラムにおいて「交響曲」というジャンルはそのもっとも重要なポジションを占めています。しかし、この音楽形式が誕生のはじめからそのような地位を占めていたわけではありません。
浅学にして、その歴史を詳細につづる力はありませんが、ハイドンがその様式を確立し、モーツァルトがそれを受け継ぎ、ベートーベンが完成させたといって大きな間違いはないでしょう。
特に重要なのが、この「エロイカ」と呼ばれるベートーベンの第3交響曲です。
ハイリゲンシュタットの遺書とセットになって語られることが多い作品です。人生における危機的状況をくぐり抜けた一人の男が、そこで味わった人生の重みをすべて投げ込んだ音楽となっています。
ハイドンからモーツァルト、そしてベートーベンの1,2番の交響曲を概観してみると、そこには着実な連続性をみることができます。たとえば、ベートーベンの第1交響曲を聞けば、それは疑いもなくモーツァルトのジュピターの後継者であることを誰もが納得できます。
そして第2交響曲は1番をさらに発展させた立派な交響曲であることに異論はないでしょう。
ところが、このエロイカが第2交響曲を継承させ発展させたものかと問われれば躊躇せざるを得ません。それほどまでに、この二つの間には大きな溝が横たわっています。
エロイカにおいては、形式や様式というものは二次的な意味しか与えられていません。優先されているのは、そこで表現されるべき「人間的真実」であり、その目的のためにはいかなる表現方法も辞さないという確固たる姿勢が貫かれています。
たとえば、第2楽章の中間部で鳴り響くトランペットの音は、当時の聴衆には何かの間違いとしか思えなかったようです。第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。
それほどまでに、この作品は時代の常識を突き抜けていました。
しかし、この飛躍によってこそ、交響曲がクラシック音楽における最も重要な音楽形式の一つとなりました。いや、それどことろか、クラシック音楽という芸術そのものを新しい時代へと飛躍させました。
事物というものは着実な積み重ねと前進だけで壁を突破するのではなく、時にこのような劇的な飛躍によって新しい局面が切り開かれるものだという事を改めて確認させてくれます。
その事を思えば、エロイカこそが交響曲というジャンルにおける最高の作品であり、それどころか、クラシック音楽という芸術分野における最高の作品であることをユング君は確信しています。それも、「One of the Best」ではなく、「The Best」であると確信しているユング君です。
ザルツブルグ音楽祭とセル
セルはクリーブランドのシェフに就任してからは、活動の大部分を手兵の育成に力を集中しています。この辺りは昨今の指揮者とは大違いです。
最近は、「○○交響楽団の音楽監督に就任」と言っても、実際にそのオケと関わる時間は限られたものです。とにかく一つのオケに長期間束縛されるよりは、売れっ子指揮者として、世界中を飛び回って客演でギャラを稼ぐ方を選択するのが一般的なようです。こんな状態では、オケと指揮者が緊密な結びつきを作り上げていくことは不可能ではないかと思ってしまいます。
あまり、昔はよかった、みたいな物言いにはなりたくないのですが、アメリカだけをざっと思い返してみただけでも、トスカニーニ&NBC交響楽団、クーセヴィツキー&ボストン交響楽団、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団、ライナー&シカゴ交響楽団等々、他には代えがたい魅力を持った結びつきをあげることができます。
はてさて、現在のオケと指揮者を思い浮かべて、このようなオンリーワンの魅力を持ったコンビを思い浮かべることができるでしょうか?
とは言っても、彼らも決して手兵のオケだけを指揮していたのではありません。それはセルの場合も同様で、クリーブランド以外にもそれなりの結びつきを持ったオケがありました。
セルの場合は、クリーブランド以外ではニューヨークフィルとの関係がもっとも緊密で、1943年から亡くなる1970年までコンスタントに指揮を続けています。正確に数えたわけではありませんが、総数は100回を超えると思われます。
ヨーロッパのオケではコンセルトヘボウとの結びつきが有名で、フィリップスにまとまった録音を残しています。
そして、もう一つ忘れてならないのが、ザルツブルグ音楽祭です。
セルはこの音楽祭に1949年に初登場して、師であるリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」を指揮しています。その後は、数回の不参加はあるものの、亡くなる前年の1969年まで密接な結びつきを維持しています。
この音楽祭では、1967年だけは手兵のクリーブランドを引き連れて参加しているのですが、それ以外は全てヨーロッパのオケを指揮していることがセルファンにとってはたまらない魅力になっています。
ウィーン・フィル・ベルリン・フィル・シュターツカペレ・ドレスデン・チェコ・フィル・フランス国立放送管弦楽団、そしてコンセルトヘボウという面々を相手に演奏を行っています。
さらに、この音楽祭は地元の放送局がきちんとした形で録音を行っているので、音質面でもクオリティが高く、いわゆる怪しげな「海賊盤」とは一線を画す魅力を持っていることも指摘しておかなければなりません。
ただ、正規に録音した放送局が、正規にリースしているので、なかなかパブリックドメインにならないというのが、私のようなサイトにとってはいささか「困った」ことです。(^^;
2003年の法改定で、隣接権の起算点が「録音」から「発売」に変更されたために、今後半世紀近くザルツブルグ音楽祭の録音がパブリックドメインになることはありません。
しかし、何が原因かは分かりませんが、1957年の録音だけは50年が経過されても正規にリリースされることがなかったためにパブリックドメインとなり、ヒストリカル音源として世に出ました。
Wikipediaの「ザルツブルク音楽祭とセル」の項目を見てみると、1957年の演奏記録は以下のよう記述されています。
リーバーマン:「女の学校」(ドイツ語版初演)
ベルリン・フィル:モーツァルト/交響曲第29番、ピアノ協奏曲第25番(レオン・フライシャー)、交響曲第40番
リーバーマンのオペラはオケはウィーンフィルで、8月17日に演奏されています。この録音はORFEOより1996年にリリースされているので、隣接権、著作権ともに消滅していません。
ベルリンフィルを振ったオール・モーツァルトのプログラムは8月3日の演奏です。この録音がなぜか2008年になるまでに正規にリリースされなかったので日本の法律ではパブリックドメインとなってしまいました。
ところが、この年は、もう一回セルは指揮をしているのです。それが、8月9日の演奏会で、プログラムは以下の通りです。
ドビュッシー:『海』
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』
オケはベルリンフィルです。
実はこの演奏会はベイヌムが指揮をする予定だったのですが、急病による突然のキャンセルで、セルがピンチヒッターとして指揮台にあがったようなのです。
この年は帝王カラヤンが音楽祭の芸術監督に就任して、ウィーンフィル以外のオケを初めて招いた年でした。その大切なスタートの年に突然穴が開いたわけですから、カラヤンとしても焦ったことでしょうが、そのピンチを救ったのがセルだったというのは記憶にとどめておいてもいいでしょう。
セルはカラヤンにとって唯一頭の上がらない指揮者でした。もちろん、カラヤンはセルのことを深く尊敬していて、彼の前に出ると緊張してまともにものも言えなかったそうです。信じがたい話ですが、1970年にセルとカラヤンが大阪で出会った時も、カラヤンは全く頭が上がらないのを見て驚いたという話が今も伝わっています。
おそらく、その様な関係だったからこそ、快くセルもピンチヒッターを引き受けたのでしょう。
この1957年の録音で一番の注目はモーツァルトの29番でしょう。この若きモーツァルトを代表する素敵な交響曲を、セルはなぜかクリーブランドとは録音していません。つまり、セル&クリーブランドでは聞くことのできない作品ですから、その価値は大きいと言えます。ただし、それ以外の作品に関しては、決して悪い演奏とは思いませんが、クリーブランドとのスタジオ録音と比べてみるといささか物足りなさは感じてしまいます。
また、録音もいささか物足りないです。ザルツブルグ音楽祭の録音は一般的にはモノラル録音ながらもかなり良好なものが多いのですが、この年の録音はなぜか2〜3KHzあたりからダラ下がりです。結果として、少しばかり寝ぼけ気味の音になっているのが残念です。
その意味では、ザルツブルグ音楽祭におけるセルの活動を振り返る資料的価値と割り切った方がいいかもしれません。
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よせられたコメント
2011-05-21:セル好き
- なにか微妙に音が前につんのめっている感じがして、落ち着かないところが多い。
こういう感じは、カラヤンのものかと思っていたが、実は当時のベルリンフィルの特性だったのかと思ってしまう。
ライブとは思えないくらい、音の重なりは非常に綺麗なのにね。
同年のクリーブランド管弦楽団を聴くとホッとした。
2012-04-07:じょっちゅむ
- 出だしはキッチリとセッションのように始まりますが、リハーサルが限られたのか結構現場対応的に気合入れているのが散見されてスリリングですね。
これはこれで感銘を受けました。